東京芸術劇場プレイハウスでティモフェイ・クリャービンが演出する「NORA」を観た。イプセンの「人形の家」を現代のスマホ中心の生活に移して描く作品だという紹介と、キャストの顔ぶれ(黒木華、勝地涼、瀧内公美、鈴木浩介)を見てチケットを購入したのだけれど、想像していた範囲を大きく踏み越えた芝居だった。舞台前面に下ろされた黒い仕切りの下部に高さ3メートルくらいの幅で透過フィルムが張られ、その向こう側の3つに仕切られた区画に役者が配置されるのだけれど、主要な4人の登場人物(「人形の家」のランク医師は登場しない。)は異なる区画に配置されて、それぞれに離れた場所での日常を過ごしつつ、フィルム上部の黒い仕切りに投影されるLINEの画面上の文字、スタンプ、ボイスメッセージでお互いにコミュニケーションを取り、実際に役者が対面して会話するシーンは、原作では第3幕にあるクリスティーン(リンネ婦人)がクログスタに復縁を話しかけるシーンと、ヘルメルがノラを非難し、ノラがヘルメルに(LINEメッセージを交えながら)別れを告げるシーンだけという斬新な構成で、原作ではヘルメル家の居間で交わされる会話のほぼすべてがLINEメッセージで表現される。「人形の家」を再読してから観に行った自分は、筋を追わずにこの理知的な構成の企みを考えながら芝居を楽しむことになったのだけれど、再読していなかったらLINEメッセージを読むのに忙しかかっただろうと思う。もっとも、自分はスマホを極力使わない生活を送っているのだけれど、妻や娘は一緒に過ごしていても意識の半分はネット空間いるようなことも多く、この芝居の舞台の上半分と下半分を行き来するような毎日を過ごしている人にとっては苦にならない構成なのかもしれない。舞台上が暗転すると透過フィルム上に観客の姿が反射して映し出されて、フィジカルな位相にある役者同士、そして役者と客席が見えない壁で分断されていることを意識させられ(役者の声もPAを通して聞こえてくる。)、その上の位相のネット空間では登場人物にとって大事なことが文字や映像の情報で取り交されるこの芝居の空間は、文字や映像よりも遥かに豊かな情報を伝える身体表現を客席と分かち合うことを身上とする舞台本来の魅力を殺してまで何かを伝えようと試みているようにも思えて、少し重苦しくもあり、また切なくも感じられた。