Books: 開玄堂が無料でご提供する中・短編の作品です。
Photos: Please enjoy photos of “Central Tokyo, North” “Koishikawa Botanical Garden” “Nozori Lake” “Travels in Japan” and “Travels Abroad.”
Blog: 読書、映画、演劇、音楽、美術、写真、遠出などに関する日々の雑感です。

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Booksから

「父の死・開玄堂」の冒頭部分

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From Photos

原城跡 Hara Castle
原城跡(Hara Castle in Minami Shimabara)

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最近のBlog

  • フェスタ・サマーミューザ 仙台フィル

    ミューザ川崎シンフォニーホールで開催されるミューザ・サマーフェスタで高関健が指揮する仙台フィルのコンサートを聴いた。1曲目に演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第9番は、コンサートで聴くのは初めてだったのだけれど、戦勝後の1945年8月に作曲され初演後に当局からショスタコーヴィチへの激しい非難と攻撃を招いた歴史がプログラムや高関健のプレトークでも紹介されていたこともあって、その正統的かつ諧謔的な味わいを楽しみつつも、感情以上に理性を揺さぶられたような気がした。2曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」で、こちらも振り返ってみると感情よりも意志の力を感じる演奏だったように思える。演奏を聴きながら、数年前にコバケンが東京シティフィルを振った時の演奏はまた違った味わいだったよなぁなどと思い出したりもした。(そういえば、ショスタコのときも井上道義の演奏を思い出したりしていた。)コンサートを通じて、仙台フィルの演奏は素晴らしく、特に見せ場の多かったファゴットやクラリネットの音色は素敵だったと思うし、ホールも(2CBの席からでも)オケが近くに感じられたのだけれど、高関健と東京シティフィルの演奏に感じるような何と言うか(客席も含めた)期待感とか一体感とかいったようなものがやや希薄だったようにも感じられた。仙台のホールで定期演奏会を聴くとまた違った印象を受けるのかもしれないけれど、仙台はちょと遠いなぁ。

  • NORA

    東京芸術劇場プレイハウスでティモフェイ・クリャービンが演出する「NORA」を観た。イプセンの「人形の家」を現代のスマホ中心の生活に移して描く作品だという紹介と、キャストの顔ぶれ(黒木華、勝地涼、瀧内公美、鈴木浩介)を見てチケットを購入したのだけれど、想像していた範囲を大きく踏み越えた芝居だった。舞台前面に下ろされた黒い仕切りの下部に高さ3メートルくらいの幅で透過フィルムが張られ、その向こう側の3つに仕切られた区画に役者が配置されるのだけれど、主要な4人の登場人物(「人形の家」のランク医師は登場しない。)は異なる区画に配置されて、それぞれに離れた場所での日常を過ごしつつ、フィルム上部の黒い仕切りに投影されるLINEの画面上の文字、スタンプ、ボイスメッセージでお互いにコミュニケーションを取り、実際に役者が対面して会話するシーンは、原作では第3幕にあるクリスティーン(リンネ婦人)がクログスタに復縁を話しかけるシーンと、ヘルメルがノラを非難し、ノラがヘルメルに(LINEメッセージを交えながら)別れを告げるシーンだけという斬新な構成で、原作ではヘルメル家の居間で交わされる会話のほぼすべてがLINEメッセージで表現される。「人形の家」を再読してから観に行った自分は、筋を追わずにこの理知的な構成の企みを考えながら芝居を楽しむことになったのだけれど、再読していなかったらLINEメッセージを読むのに忙しかかっただろうと思う。もっとも、自分はスマホを極力使わない生活を送っているのだけれど、妻や娘は一緒に過ごしていても意識の半分はネット空間いるようなことも多く、この芝居の舞台の上半分と下半分を行き来するような毎日を過ごしている人にとっては苦にならない構成なのかもしれない。舞台上が暗転すると透過フィルム上に観客の姿が反射して映し出されて、フィジカルな位相にある役者同士、そして役者と客席が見えない壁で分断されていることを意識させられ(役者の声もPAを通して聞こえてくる。)、その上の位相のネット空間では登場人物にとって大事なことが文字や映像の情報で取り交されるこの芝居の空間は、文字や映像よりも遥かに豊かな情報を伝える身体表現を客席と分かち合うことを身上とする舞台本来の魅力を殺してまで何かを伝えようと試みているようにも思えて、少し重苦しくもあり、また切なくも感じられた。

  • 響きの森クラシック・シリーズVol.88

    文京シビックホールで原田慶太楼が指揮する東フィルの「響きの森クラシック・シリーズVol.88」を聴いた。1曲目はムソルグスキーの「展覧会の絵」で、東フィルの巧みさを感じつつも、今一つ乗り切れなかった。一昨年の秋に聴いたフランクフルト放送響の演奏は、もっと軽やかで奏者が緩やかに繋がりながら自由に演奏する楽しさや美しさを感じたのだけれど、それと比べると今日の演奏は統率が取れた印象で、指揮者の情熱や力量は感じつつも、昨今の報道で接する世情にやや辟易としていることもあってか、やや演奏から心が離れてしまったような気がする。2曲目は中川優芽花をソリストに迎えたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、初めてホールで聴く中川優芽花のピアノはナチュラルで魅力的な響きに感じたのだけれど、席がやや後方だったこともあってか、ピアノがオケに完全に埋没してしまう場面も少なくなく、こちらも昨年のダニール・トリフォノフと広響のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の演奏を思い出したりしながら、もう少しピアノを味わいたい気持ちがした。アンコールのシューマン「見知らぬ国と人々」は素敵な演奏だった。