
Books: 開玄堂が無料でご提供する中・短編の作品です。
Photos: Please enjoy photos of “Central Tokyo, North” “Koishikawa Botanical Garden” “Nozori Lake” “Travels in Japan” and “Travels Abroad.”
Blog: 読書、映画、演劇、音楽、美術、写真、遠出などに関する日々の雑感です。
************************
Booksから
「父の死・開玄堂」の冒頭部分

************************
From Photos

************************
最近のBlog
- 海街diary
たまに、数年に一度くらい「海街diary」(是枝裕和監督)を観たくなる。今回はクレジットを眺めながら改めて吉田秋生のコミックが原作だったんだと思ったりして、手に入れて読んでみた。吉田秋生の作品は、学生の頃からたまに「十三夜荘奇談」を本棚から取り出して読み返すことがあって、「海街diary」にも同じ生命への優しさを感じる。もっと年輪を感じさせる台詞や展開も多くて、何となく自分もそれなりに歳を取ったんだろうな、と感じさせられたりもする。我が家の三姉妹も香田家の三姉妹と同じような年頃になり、近頃は妻も姉妹に加わって四姉妹のように見えたりもする。家族はこれからも歳を重ねていくけれど、この作品の中の四姉妹はいつまでもこの作品のままで、そんな四姉妹に会いたくなって、また、たまにこの映画を観たり、原作を読んでみたりしたくなるんだろうな、と思ったりしている。
- 戦争レクイエム
すみだトリフォニーホールで高関健が指揮する東京シティフィル、東京シティフィルコーア、江東少年少女合唱団の演奏でブリテンの「戦争レクイエム」を聴いた。ブリテンが指揮した1963年の演奏のCDは手元にあって、1度か2度は聴いたことがあるものの、コンサートで聴くのは初めての耳馴染のない曲で、どこまで聴けていたか覚束ないのだけれど、聴き終えて最初の印象は、感動や情熱を受け取ったというよりも、おそらく演奏がかなり難しいであろう作品をきちんと届けて頂いたといった感じだった。ソリストの木下美穂子、宮里直樹、大西宇宙はそれぞれに素晴らしく、合唱もTCPCは過去に何度か聞いた演奏よりも分厚い印象を受け、天上から降り注ぐ江東少年少女合唱団の歌声も美しく、室内楽オケもフルオケも確実な演奏だった(出番の多い金管が頑張っていたように聴こえた。)と思うのだけれど、歌われる詩の日本語訳を事前に読み、演奏中も両袖に投影されていたとはいえ、その言葉の難解さが高揚や共感を踏みとどまらせていたような気もする。もっともその難解さは、おそらく即物的な理解を拒む誠実さでもあって、この日の演奏もその誠実さに根差していたのかもしれない。第2次世界大戦から80年以上が経過して、その後も世界各地で戦争が続いてきたとはいえ、「戦争」がその生々しさを失って抽象化され、戦争を否定するにせよ正当化するにせよ、ともすれば安易に戦争を語ってしまいかねない恐ろしさを感じる昨今、そういった言葉たちから距離を置いてこの作品と向き合う時間を持つことは、貴重な経験だったように思える。
- 夜明け前
島崎藤村の「夜明け前」(新潮文庫)を読んだ。未読だったのだけれど、飯嶋和一が田中優子との対談で好きな日本の小説として「夜明け前」をあげていたこと、8月末に木曽音楽祭を聴きに出掛ける際に馬籠宿を訪れる予定があることといった理由から読み始めて、3か月ほどかけてこの長い小説を読了した。飯嶋和一はディテールが丁寧に描かれているとコメントしていて、そのコメントは飯嶋和一の作品にこそ当てはまるように思えるのだけれど、飯嶋和一が「夜明け前」から受け取ったものがあろうことは感じられるような気がした。この作品の登場人物の多くは江戸末期にあらかた人格を形成した東山道筋や江戸で暮らした庶民たちで、その人たちの目から見た江戸末期から明治初期の日々の暮らしや、明治維新を挟む時代の大きな動きを想像しながら読書する時間を過ごせたことは、楽しみであり、またこれからの時代に向けた学びでもあったと思う。鎖国を終えて開国し、明治維新を挟んで近代化を進めていった時期の市井の人たちが何を感じ、何を考え、どう行動していたのか、どんな達成があり挫折があったのか、歴史的な出来事やリーダーの視点に偏りがちな多くの作品とはまた違った角度でこの時代を見つめる機会を得られたことが、この作品を読んだことの大きな収穫だったように思える。馬籠宿を訪れてこの作品を振り返ることを楽しみにしている。