藤田嗣治-白い暗闇-

東京芸術劇場シアターウエストで劇団印象-indian elephant-第33回公演「藤田嗣治-白い印象-」(作・演出・鈴木アツト)を観た。大きな船が海の波を分けて進むような音で芝居が始まり、時代をうかがわせる音楽やラジオの音、舞台を日本に移してからの蝉の声など、印象的な音はありつつもシンプルな音響、そして舞台全体を囲む大きな額縁をあしらった木枠といくつかの椅子、テーブル、ベッド、イーゼルといったこちらもシンプルな美術や衣装で、それだけに存在感のある素敵な役者さんたちの力強く巧みな演技と、脚本の言葉が前面に打ち出された芝居に感じられた。もっとも、自分の中でこの時代や藤田嗣治に近づこうとしてモヤモヤと感じているイメージとはちょっとズレがあったように思えて、そのズレの理由がどこにあるのか、帰り道に考えていたのだけれど、おそらく「疲れ」ではないかという気がしている。エコール・ド・パリや戦争の時代の「祝祭感」と藤田個人の強いエネルギーをもってしても、困難な時代や環境に向き合う中で避けようもない「疲れ」を、藤田も周りの人たちも抱えていたのではないか、今日の芝居にはこの「疲れ」の感覚が希薄だったようにも思えて、大事なことではないのかもしれないけれど、ちょっとしたズレを感じたのかもしれない。昨年秋に東京国立近代美術館で開催された企画展「記憶をひらく 記憶をつむぐ」を観て、改めて藤田嗣治への関心を深めたことがこの芝居を観るきっかけになったのだけれど、上演後、この企画展の担当をされた鈴木勝雄と鈴木アツトのアフタートークもあって、改めて藤田嗣治や戦争の時代の文化芸術について学びたいという気持ちになっている。(国立美術館の予算不足という理由でこの企画展の図録が作成できなかったようで、多くの人が訪れた素晴らしい企画展だっただけに、とても残念だ。)

誰かひとり/回復する人間

中野ザ・ポケットで「誰かひとり/回復する人間」(演出:西本由香)を観た。ノーベル文学賞作家であるヨン・フォッセの「誰かひとり」と、ハン・ガンの「回復する人間」を続けて上演するということで、今年に入ってから妻と三女に薦められて「別れを告げない」を読み、ハン・ガンの作品が気になっていたこともあって(「菜食主義者」はそれほどでもなかったのだけれど)、チケットを購入した。ふたつの作品は、いずれも家族という身近な繋がりにおける人と人の関係の難しさを描いていて、「誰かひとり」では、息子、母、父という3人の登場人物のそれぞれをふたりのキャストの対話で描くことで微妙なブレや揺らぎを生じさせ、「回復する人間」では、おなじシーンを何度も繰り返しつつバリエーションの違いを生じさせることで微妙なブレや揺らぎを生じさせる、シンプルだけれども象徴的な赤い花を舞台奥に配した美術と、効果的な音楽、そして役者さんたちのしっかりとした存在感と相俟って、そんなブレや揺らぎの中から芝居の魅力が立ち上がってくる、そんな素敵な舞台だった。この日は朝からチケットぴあのMyチケットにアクセスできず、チケットを持たずに会場に出掛けたのだけれど、受付で気持ちよく対応していただいて、無事に芝居を楽しむことができた。ご対応いただいたスタッフの方々にも感謝している。

2026年2月は25.8キロ

2026年2月の月間走行距離は25.8キロだった。1月は3回、2月は2回しか走っておらず、この状態で3月1日の三浦国際市民マラソンに行ってきたのだけれど、無理せずゆっくりお散歩気分で景色を楽しもうという心構えだったとはいえ、やはり歩きに近いゆっくりペースで走ってもきつかった(お天気に恵まれ、海、港、畑、富士山など変化のある美しい景色が素敵だった)。とはいえ、コロナ前の2019年に夫婦で鹿児島マラソンに参加したのを最後に7年間にわたりマラソン大会に参加していなかったようで、今回はDNSとせずに参加しただけでも収穫だった。

都響第1036回定期演奏会

東京文化会館でエリアフ・インバルが指揮する東京都交響楽団と新国立劇場合唱団他によるマーラーの交響曲第8番を聴いた。マーラーの交響曲第8番をコンサートで聴くのは初めての経験で、大編成のオーケストラ、8人のソリスト、2つの合唱団が奏でるゴージャスな音楽だった。アルマに献呈されているものの、他の交響曲と比較してもPersonalというよりもPublicな音楽に感じられて、音楽に限らずどんな作品もPersonalなものとPublicなもののバランスの上に成り立っていると思うのだけれど、自分にとって心地が良いバランスはどのあたりのあるのだろうなどと考えてしまった。それにしても印象深かったのは、前日に90歳を迎えたインバルの逞しい指揮で、都響の創立60周年とインバルの90歳を祝うのに相応しい華やかな選曲でありコンサートだったと思う。

東京シティ・フィル50周年記念特別演奏会(1)

サントリーホールで高関健が指揮するTCPOの50周年記念特別演奏会を聴いた。演目はマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。112人編成(弦60人、管打楽器等52人)の大編成のオケが約90分をかけて演奏する大曲である。この曲をコンサートで聴くのは初めてで、録音もバーンスタイン/WPO、アバド/BPO、ラトル/CBSOの演奏が手元にあるだけで、あまり聴いていない(高関健がプレトークでセル/CLOの録音を褒めていたので聴いてみようと思っている。)。演奏が始まり、オケの音にいつも以上に余裕や厚みを感じたり、ハープ、チェレスタ、シロフォン、カウベルなど多彩な音を楽しんだり、第3楽章までの約60分の演奏もある程度集中して聴けたのだけれど、圧巻は第4楽章、特に最初のハンマーが鳴らされた後、じわじわと鳥肌が立ってきて、その後はゾーンに入ったように音楽に揺り動かされた。「悲劇的」というタイトルがついているけれど、このときに感じていたのはむしろ人間に許された「幸福」といったものだったように思える。音楽とは関係がないのだけれど、演奏の直前に読了した本が、エミール・デュルケム、マルセル・モースから柄谷行人、デヴィド・グレーバーに向かう線を引いて贈与のモラルを内包した共生する社会の可能性に向けた営為を論じた本(山田広昭著「可能なるアナキズム」インスクリプト)だったことも影響していたかもしれない。この演奏の録音はCDになるのだろうか。CDになったら是非購入したい。