文京シビックホールで原田慶太楼が指揮する東フィルの「響きの森クラシック・シリーズVol.88」を聴いた。1曲目はムソルグスキーの「展覧会の絵」で、東フィルの巧みさを感じつつも、今一つ乗り切れなかった。一昨年の秋に聴いたフランクフルト放送響の演奏は、もっと軽やかで奏者が緩やかに繋がりながら自由に演奏する楽しさや美しさを感じたのだけれど、それと比べると今日の演奏は統率が取れた印象で、指揮者の情熱や力量は感じつつも、昨今の報道で接する世情にやや辟易としていることもあってか、やや演奏から心が離れてしまったような気がする。2曲目は中川優芽花をソリストに迎えたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、初めてホールで聴く中川優芽花のピアノはナチュラルで魅力的な響きに感じたのだけれど、席がやや後方だったこともあってか、ピアノがオケに完全に埋没してしまう場面も少なくなく、こちらも昨年のダニール・トリフォノフと広響のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の演奏を思い出したりしながら、もう少しピアノを味わいたい気持ちがした。アンコールのシューマン「見知らぬ国と人々」は素敵な演奏だった。
東京シティ・フィル第384回定期演奏会
東京オペラシティで高関健が指揮するTCPOの第384回定期演奏会を聴いた。前半は、荒井英治をソリストに迎えたショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番で、やや重心を下げて質量のある音を機敏に動かすオーケストラと、その上を縦横無尽に走る荒井英治のヴァイオリンの音色の響き合いが素晴らしかった(荒井英治のヴァイオリンはホールの響きも味方につけているような印象を受けた。)。プレトークで高関健が話していたショスタコーヴィチの「疲れ」や、プログラムに荒井英治が書いていたショスタコーヴィチが抱える「カオス」に思いを巡らせながら聴いていたこともあってか、聴き慣れないこの曲にひどく心を動かされた。後半は、武満徹のア・ウェイ・ア・ローンⅡを挟んでから(プログラムとしてのまとまりは感じられたものの、続けてショスタコーヴィチを聴きたい気持ちも否定しがたっかかもしれない。)、同じく荒井英治をソリストに迎えてショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏され、こちらは、音数の多いスコアを高速で演奏するためだろうか、第2番よりもオーケストラの重心が少し上がったように感じられた。荒井英治が描く音のラインは引き続き生命力を持って力強く、第1楽章で弦が切れ、楽章の終わりまでコンマスの戸澤哲夫の楽器に持ち替えるハプニングはあったものの(異なる楽器の響きを楽しむチャンスに恵まれたのは嬉しかった)、緊張感は途切れることがなく、最後の四楽章に向けて圧巻の演奏だったと思う。満足感の高いコンサートで、全体的にはそれほどクラッシック音楽通といった雰囲気でもない客席から、必ずしもポピュラーとは思えないこの曲の演奏に向けられた拍手とブラボーは長く、分厚く、温かく、演奏を終えた舞台上の奏者の表情にも充実感と歓びが感じられた。
夜クラシック Vol.41
文京シビックホールで仲道郁代と弦楽アンサンブル(Vn水谷 晃、Vn中川和歌子、Va大島亮、Vc植木昭雄)の「夜クラシック Vol.41」を聴いた。前半は仲道郁代が演奏するドビュッシーの月の光とショパンのバラード全曲、後半は仲道郁代と弦楽アンサンブルが演奏するショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ五重奏版)というプログラムで、特に後半のピアノ協奏曲が、この曲のまた違った魅力を引き出してくれた味わい深い演奏だったと思う。特に第1楽章のクライマックスとも言える場面でのピアノと弦の掛け合いや、アンコールでも演奏された第2楽章には、奏者の息遣いが感じられる室内楽の醍醐味が感じられた。(それから、去年の木曽音楽祭でもその魅力が印象深かった大島亮のビオラの音色が素晴らしく、今回の演奏を一緒に聴いた妻も心を惹かれたようだった。今年は通し券を購入した木曽音楽祭で、再び素敵な演奏に出会えることを楽しみにしている。)ピアノの演奏も、プログラムを通して真摯で誠実な印象を受けた。このホールでもスタインウェイを聴く機会が多いのだけれど、今回仲道郁代が演奏したヤマハのCFXも、冒頭のドビュッシーから素晴らしい音色だった。
2026年6月は35.8キロ
2026年8月の月間走行距離は35.8キロだった。去年と比べると涼しい6月だったのだけれど、5キロ×7回止まりということで、これから暑い夏に向かって距離を延ばせるか心許ない。エントリーしようかと思っていた10月の諏訪湖マラソンは早々に定員に達して締め切られ、他のハーフマラソンにでもエントリーしてみようかな。
アンドリュー・ワイエス展
東京都美術館で「アンドリュー・ワイエス展」を観た。NHKの日曜美術館に出演されていた担当学芸員の方が妻の知り合いだということもあり、夫婦で土曜日の開館直後に出掛けてきたのだけれど、会場はやや高めの年齢層の入場者で混み合っていた。とはいえ、楽しみにしていた「End of Olsons」の前には人がいない時間もあり、ひとりでゆっくりと作品に向き合う時間を持つことができた。「境界」という今日的なテーマを軸に編集された展示作品は幅広い年代をカバーしていて、80年代以降の明るさと軽さを感じる作品への変容にも魅力を感じたけれど、やはりオルソン家を題材にした1939年から1969年にかけての作品群に力強い存在感を覚えた。その最後の作品に位置づけられる「End of Olsons」は、しばらく眺めていると家がやや暗い海に向けて傾斜をゆっくりと沈んでいくような、そして繰り返し作品に描かれてきた鳥が風景の記憶として残り続けるような、煙だけでなくオルソン家の姉弟の声も運んだという煙突のやや明るい色彩の印象と相俟って、作家の眼差しや人間性が聞こえてくるような印象深い作品だったと思う。