野反湖に向かう国道405号線の冬季閉鎖が解除された日に休暇を取って野反湖に出掛けてきた。4月の野反湖を訪れるのは初めてのことで、どんな景色だろうかと楽しみにしていたのだけれど、雪はあまり残っていなかった。平日ということもあり、富士見峠の車は10台程度。ゆっくり景色を楽しんでからとんぼ返りで帰宅した。


野反湖に向かう国道405号線の冬季閉鎖が解除された日に休暇を取って野反湖に出掛けてきた。4月の野反湖を訪れるのは初めてのことで、どんな景色だろうかと楽しみにしていたのだけれど、雪はあまり残っていなかった。平日ということもあり、富士見峠の車は10台程度。ゆっくり景色を楽しんでからとんぼ返りで帰宅した。


仕事で知り合ってから長いお付き合いを続けている方々と水俣と阿蘇を訪れて来た。水俣は、高校生の頃に社会科の授業でかなりの時間をかけて水俣病の経緯を学ぶ機会があり、また15年程前に仕事の関係で関わった折にも仕事を超えて何冊かの本を読んだこともあり、一度足を運ばなければと思ってきた土地だったので、今回、比較的短い時間だったけれど、水俣を訪れる機会が得られたことは嬉しかった。訪問する前に、久しぶりに「苦界浄土」を再読して、以前は感じることのできなかったそのフィクションとしての文学的な表現の魅力を味わう経験ができたことも収穫だった。湯の児温泉で一泊し、翌日は阿蘇に向かい、天岩戸神社と高千穂神社を参拝してから早めに南阿蘇の宿に入って仕事に励み、夜は「好信楽」で馬肉を堪能し、翌日帰京した。仕事が忙しくなる時期と重なってしまい、眠る時間が取れない旅行になってしまったのだけれど、何度も温泉に入ってパワーをもらいながら、充実した時間を過ごせた旅行だった。


飯嶋和一の「出星前夜」を読んでから南島原を訪ねてみたいと思っていたこともあり、仕事の関係で始まった長いお付き合いのある方々と熊本に行く機会を得たので、南島原に足を延ばしてきた。16世紀にポルトガルとの貿易で栄え、17世紀初めの幕藩体制の確立と共に交易の自由を失い、その後のキリシタン弾圧に乗じた重税と苛政に抗った1637年から1638年にかけの島原の乱では2万人を超えるといわれる人たちが命を失い、様々な地域からの植民を受け入れた歴史を持つこの土地は、この日は強い風が吹き、時折晴れ間が覗いたり軽く雨が降ったりと目まぐるしい気候だったけれど、南に広がる穏やかな島原湾の向こうに天草を望む静かな土地だった。388年前に落城した頃とちょうど同じ時節の原城跡では、訪れる人もまばらな中、ソメイヨシノの桜が満開の時期を迎えていた。


2026年3月の月間走行距離は26.5キロだった。月初にハーフマラソンを走り、月末に1回5キロを走っただけという為体なのだけれど、言い訳をするならば仕事が忙しかったということになるだろうか。もっと忙しくても走っている方がたくさんいることは分かっているのだけれど。
サントリーホールで高関健が指揮するTCPOの50周年記念特別演奏会(2026年3月31日)を聴いた。演目はマーラーの交響曲第2番「復活」。第1楽章は高関健と大編成のオーケストラの魅力を堪能し、その後20分間の休憩を挟んで演奏された第2楽章や第3楽章は、マーラーの斬新な試みから強い意思と意欲を感じつつ、ここからその後の中期そして後期の交響曲が生まれていったのだろう、といったマーラーの資質や歴史に思いを馳せながら聴いていたのだけれど、第4楽章から第5楽章にかけては、マーラー個人の意思や資質を超える力がこの曲を書かせていたようなこの曲自体の存在感が、そしてそれをそのままホールに届けようとする演奏者の気合のようなものがホールに立ち昇ってくるような、力強く充実した時間だった。素晴らしい演奏を経験させてもらえたことに感謝している。東京シティフィルコーアの合唱とソリストの森野美咲(ソプラノ)、加納悦子(メゾ・ソプラノ)の歌唱も素晴らしく、特に加納悦子の深い表情を湛えた声に魅力を感じた。終演後は温かく盛大な拍手とブラボーが続き、合唱団が退場を終えるまで(高関健が最後に舞台に戻って来るまで)会場で拍手を送り続けた観客も多かった。