諏訪大社

八ヶ岳高原音楽堂でのコンサートを挟んで、1日目に上社前宮と上社本宮を、2日目に下社春宮と下社秋宮を巡る順番で諏訪大社をお詣りしてきた。いずれもそれぞれに個性があって、インバウンド観光客で混雑する様子もなく、諏訪の歴史に思いを馳せながらゆっくりと参詣することができた。カメラとレンズをバッグごと自宅に忘れてきてしまい、写真を撮れなかったのは残念なのだけれど、お天気にも恵まれ、楽しい休日だった。2日目の参拝後、そういえば長野県は満州に行かれた人が最も多かった県だった、などといった話をしながら諏方のご当地グルメ、ハルピンラーメンを食べ、白樺湖の池の平ホテルで日帰り温泉に浸かってから帰宅した。

八ヶ岳 Yatsugatake
平沢峠から八ヶ岳を望んで

ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル

八ヶ岳高原音楽堂で「ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル」を聴いた。ルイサダのピアノを聴くのは2010年の紀尾井ホールでのコンサート以来で、仕事の関係で知り合った方からのお誘いでご一緒したのだけれど、先月、小山実稚恵のコンサートを聴き、今回ルイサダのコンサートを聴き、ブーニンも含めて1985年のショパンコンクールに参加したピアニストがその後過ごした年月についていろいろと考えさせられた。

エンドゲーム

新国立劇場で「エンドゲーム」(作:サミュエル・ベケット、演出:小川絵梨子)を観た。ベケットやゴドーの名前に接する機会は頻繁にあっても、劇場でベケットの芝居を観るのは初めてのことで、どんな芝居なんだろうかと予備知識なしに出掛けたのだけれど、想像していたよりも饒舌、哄笑、猥雑な味わいのある芝居に感じた。なぜ、とか、なんのために、といった問いを封印して芝居の空気を浴びて来たのだけれど、何とはなしに、記憶を担う両親と、創造するハム、そして受け取るクロヴが先のない非現実的な状況で交わす言葉に、独特の風味のあるデフォルメが施された人間味を感じていたようにな気がする。こんな(どちらかというと分かったような気になったり、共感したりすることが難しい)作品が70年近くも愛されて上演され続けていることに、演じる役者だけでなく(今回の役者さんたちも、いずれも個性が立っていて、素晴らしい演技だったと思う。)、演劇を愛する観客の奥深さ(客席は世代や性別を交えた観客でほぼ満席だった)を感じたりもした。

TOPコレクション Don’t think. Feel.

東京都写真美術館で「TOPコレクション Don’t Think. Feel.」を観た。ブルース・リーの言葉「Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.」と月夜を写した2枚の写真から始まる展覧会は、互いに独立しつつ響き合う5部構成で、中でも「Don’t think. Feel.」と題された第1室は、触覚を手掛かりとする静物の写真から自然、風土、文化を写す長期間をかけた連作まで見応えのある展示で、ゆっくりを時間をかけて楽しませて頂いた。第2室の「家族写真の歴史民俗学」も、写真と家族や社会の構造の関係性に切り込む川村邦光の文章を読みながら写真を読み解く面白さについ長居をしてしまった。その後の展示も充実していて、東京都写真美術館で観た展覧会の中でも熱量が高い展示だったように思える。Don’t thnkと言われているのに、写真を撮る(撮り続ける)ことの意味についてじっくり考えてみないと、という気持ちにさせられた。ややお腹いっぱい気味で、「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」にも足を運び、こちらもユージン・スミスの写真家としての生き方を振り返る展示で、ロフト時代というおそらくは戦争やピッツバーグでの仕事で傷つき、疲れ、迷い悩んだであろう時期にスポットを当てているところに誠実さを感じた。