資本主義と闘った男

佐々木実著「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」(講談社)を読んだ。他の「積読」本と一緒に1年以上は書棚で寝かせてしまっていたのだが、昨年末に「富国と強兵」を読み終えた流れで元日から読み始め、この3連休で読了した。3年ほど前に「社会的共通資本」(岩波新書)や「自動車の社会的費用」(岩波新書)を再読した頃、宇沢弘文に関心が向いていたのだが、当時は「鶴見俊輔コレクション1~4」(河出文庫)を大事に読みながら、興味が広がった先の本を読んでいたこともあって、それきりになってしまっていた。今回改めて宇沢弘文の人と思想に触れることができて、今年は宇沢先生を起点とする読書をしてみたいと思った。経済学には全くの門外漢で、そういえば経済系の同級生が枕のように持ち歩いていたサミュエルソンの「Economics」すら読んだことがなく、宇沢先生の専門的な論文は読みこなせないと思うが、今の世の中や自分の「常識」を相対化して考える手掛かりとして、宇沢先生の問題意識や思想の在り方、そして活動の軌跡を学ばせて頂きたいと思っている。それから、本書で活写された戦後史と経済学のダイナミクスは大変興味深かった。

2021年の読書

2021年に読んだ本は52冊だった。年末の1週間で、読み止しにしていた安岡章太郎著「大世紀末サーカス」(小学館)、立花隆著「青春漂流」(講談社文庫)、下山達著「2050年のジャーナリスト」(毎日新聞出版)を読み終わし、今日、ここ1か月ほど読み続けてきた中野剛志著「富国と強兵」(東洋経済新報社)を読了し、週1冊年間52冊の目処に何とか届いたといった具合だ。この4冊にも、いずれもいろいろと考えさせられたが、特に「富国と強兵」は、社会と学問の歴史を踏まえた思惟の射程が長く、自分の乏しい知識の蓄えと思考の持久力では、風景を楽しみながら通り過ぎるような読書しかできなかったので、折をみて部分部分であっても腰を落ち着けて再読し、現在の日本や世界の状況と課題について思いを巡らせてみたいと思う。「大世紀末サーカス」は、安岡章太郎の知性や筆捌きも魅力なのだが、素材の面白さが格別なので、異なる手法で小説や映画、ドキュメンタリーにしたら素敵な作品が生まれそうだと思った。幕末に最初に旅券を手にした民間人として2年間の米国・欧州公演に出かけた軽業師一座を、パリで公演を観た徳川昭武や渋沢栄一が持て成したそうだから、一座の波乱に満ちた痛快で猥雑な挿話を今年の大河ドラマでちらっと紹介してみたりしたら楽しかったかもしれない。

2021年の映画・演劇

2021年に観た映画と舞台(映像を含む)は44本だった。週1本で年間52本の目処には届かなかったけれど、今年は秋頃から舞台に足を運ぶことができて、今までにない楽しみを見つけられたことが収穫だった。近所のレンタルDVDショップが閉店し、来年はサブスクで映画を観ることになりそうだが、今年、娘に誘われて四半世紀ぶりに早稲田松竹に足を運んだように、若い頃にお世話になった懐かしい映画館にも出かけたいと思う。

2021年12月は100キロ

2021年12月の月間走行キロ数は、予定どおり100キロだった。今年はもっぱらリハビリモードのジョギングだったが、来年は月間100-150キロを目処に、多少は強度のあるメニューを織り交ぜて、秋頃にはハーフを2時間弱で走れるようになっていたいと思う。

第九特別演奏会(高関健/東京シティ・フィル)

東京文化会館で高関健指揮/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のベートーヴェン交響曲第9番を聴いた。昨年1月にサロネン指揮/フィルハーモニア管弦楽団のマーラー交響曲第9番を聴いて以来のほぼ2年ぶりのコンサートで、久しぶりのオーケストラの音、それも練られて磨かれた音に第1楽章から感情がひどく昂ってしまった。第2楽章になってやっと落ち着きを取り戻し、対向配置のオーケストラの効果に思い至ったような具合で、第3楽章は上手と下手の掛け合いをじっくり愉しむことができた。第4楽章も、合唱団がマスク着用となってしまったことは残念だが、オーケストラもソリストも合唱も素晴らしい演奏だったと思う。交響曲の前に演奏されたフランセ作曲「ファゴットと11の弦楽器のための協奏曲」も、大内秀介のファゴットと小編成の弦楽器のアンサンブルの妙が素敵だった。高関健の第九が聴きたくて今年の第九はこのコンサートを選んだのだが、心から良い経験ができたと思う。次回のコンサートは、来年3月に同じく高関健指揮/東京シティ・フィルのマーラー交響曲第9番を聴きに行く予定で、以前からとても楽しみにしているのだが、第九を聴いてさらに期待が高まった。