東京シティ・フィル第九特別演奏会

東京文化会館で高関健が指揮するTCPOの第九特別演奏会を聴いた。心を打たれる素晴らしい演奏だった。第1楽章から第3楽章(特に第1楽章)は、一音一音を揺るがせにせず積み上げて磨き上げることで、ベートーヴェンがこの音楽に込めた思いや熱量が現代的に洗練されて立ち上がって来るような感動があった。その姿勢はソリストと合唱が加わった第4楽章になっても変わらず、オケと合唱をバランスさせる難しい舵を取りながら、目指す音楽に向けて全員が気を交わしつつ進んでいく様子に深いところから動かされた。最初の一音から最後の一音まで、充実した時間だった。ソリストの歌唱も素晴らしく、特にソプラノの中江早希の良く通るしなやかで柔らかな声に魅力を感じた。演奏後、一緒に聴いた奥さんと谷中の古書木菟や山内屋酒店まで散歩する道すがら、「隣の人のマナーが悪かった」とか「コンバスがイケメンだった」といった他愛もない話もしつつ、今年最後のコンサートで来年に向けて勇気づけられる飛び切り素敵な演奏を聴かせてもらえたことに感謝するお互いの気持ちを感じ合ったりして、心温まる年末のひとときを過ごすことができた。

N響第9演奏会

NHKホールでNHK交響楽団のベートーヴェン「第9」演奏会を聴いた。数年前にNHKラジオビジネス英語でインタビューを聞いたレナード・スラットキンが指揮するということで、今年はN響を聴いてみようと思って早めにチケットを購入したのだけれど、やはりN響は人気があり、席は2階センターの6列目で、ホールが大きいこともあってオケの演奏はやや残響が少なく音が短いように感じられた。けれども、その分音の明瞭度や緻密さが高まった印象もあって、滑らかで明晰な演奏というイメージだった。4楽章に入り、ソリストの歌唱も素晴らしかったのだけれど、新国立劇場合唱団の迫力のある合唱が素晴らしく、今回の第9で一番印象深かったかもしれない。全体的に、「ベートーヴェンの神髄を追求する」といった雰囲気よりも、クリスマスの祝祭感や、何処となく大人のエンタメ感といった香りのするコンサートに思えた。今年は数日後に東京シティフィルの第9を聴きに行く予定なので、こちらもどんな第9になるのか楽しみにしている。

焼肉ドラゴン(凱旋公演)

新国立劇場(中劇場)で「焼肉ドラゴン」(作・演出:鄭義信)の凱旋公演を観た。今年の10月に小劇場での公演を観た時にファイナル公演(の予定)と知って、別れ難い気持ちから凱旋公演のチケットを購入し、84歳の母を連れて20日昼の公演を観た時も、もう少し焼肉ドラゴンの家族と一緒にいたいと思っていたのだけれど、21日の千秋楽の公演を観終えた今は、何処となく前を向いた清々しく晴れやかな気持ちでいる。全力でやり切ったオーラを発している役者さんたちの表情と、控えめにカーテンコールに応える鄭義信の姿と、1000人を超える満場のお客さんの盛大なスタンディングオベーションから伝わるこの芝居への愛情に勇気づけられて、アボジがトタン屋根に降る桜吹雪を眺めながら「ああ、いい心持ちだ」と口にした時のような、明日が信じられる気持になっている。同じ演目の芝居を劇場や座席を違えて観たり、2日連続で観たりするのは初めてのことで、それもまた良い経験だったのだけれど、凱旋公演にはやはりこの芝居を何度も観たファンの方も多く来られているようで、初めてちょっとした「推し活」気分?を味わったことにちいさなこそばゆさを感じている。

飛び立つ前に

東京芸術劇場シアターイーストで「飛び立つ前に」(フロリアン・ゼレール作、齋藤敦子訳、ラディス・ショラー演出)を観た。映画はたくさん観ても、芝居を観ることは殆どなかった90年代(20代の頃)に観た芝居で、今も記憶に残っているのは「スカパンの悪だくみ」と「アパッチ砦の攻防」の2作だけで、「スカパンの悪だくみ」を選んで観たということは、この頃から橋爪功は好きな俳優だったのだろうと思う。84歳の橋爪功が舞台に立ち、若村麻由美が共演し、昨年「母」と「息子」の芝居を観たフロリアン・ゼレールの作品が東京芸術劇場にかかるということで、これは観てみたいと思ってチケットを購入したのだけれど、期待に違わず味わい深い芝居だった。キャストは皆それぞれに魅力的だったのだけれど、やはり橋爪功の役者としての風格と若村麻由美の天才的な演技の存在感は圧倒的で、ラストの若村麻由美の演技には鳥肌が立った。脚本も、橋爪功の父と若村麻由美の母のいずれが存命しているか亡くなっているのか、奥貫薫の姉と前田敦子の妹の家族の関係性は固定されているものの、岡本圭人の男と剣幸の女は複数の人格を行き来し、何処となく量子力学的に決定不能な中で芝居が進行するのだけれど、そこから長い時間を抱えた家族、そして夫婦、またその時間が沁み込んだ家(居間)という場所が立ち上がって来る様子が、様々な見方や気持ちを許容する世界の在り様を優しく照らし出すようで、こうして振り返ってみても味わい深い芝居だったと思う。

ワン・バトル・アフター・アナザー

ヒューマントラストシネマ渋谷でポール・トマス・アンダーソン(PTA)の「ワン・バトル・アフター・アナザー」を観た。次女が卒論でお世話になり、三女がピンチョンの「LAヴァイス」の授業を受けているPTAファンの先生がこの映画を推していると聞いて気になっていたのだけれど、この映画を観る前にと思って久しぶりに「マグノリア」を観たり、その後も「パンチドランク・ラブ」や「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を観たりしていたら時間が過ぎてしまい、上映期間終了間際に映画館に足を運ぶことになった。1999₋2007年の3作と比べると、オフビート感よりも、ストレート・アヘッドな疾走感が前面に出た感じで、とはいえ、回収されなさそうないくつものエピソードを手を振って見送りつつ、字幕のないスペイン語を訳も分からず聴き飛ばしながらの一気呵成の162分で、個性溢れる映画であることに変わりはない。上映時間の長さは感じられず、観終えた後に充実感と世界に向けて開かれた開放感が手元に残る元気が出る映画だった。PTAの映画に出てくる「家族」はどこか歪んでいるのだけれど、その「家族」の在り方が愛おしかったり切なかったり痛かったりする。この映画の「家族」も、どれもが大きく歪んでいるのだけれど、どこか神話的な説得力があって、それがこの映画の充実感に繋がっているような気もするし、また、理解の及ばない「家族」が存在することを否定しないトーンが開放感に繋がっているような気もする。そんなことを考えながら、年末年始を跨いでPTAの他の映画も観ていくことになりそうで、しばらくはこの楽しみが続きそうだ。