東京オペラシティで鈴木秀美が指揮するTCPOの第382回定期演奏会を聴いた。1曲目はシューマンのマンフレッド序曲、2曲目はソリストに山崎伸子を迎えたシューマンのチェロ協奏曲、そして山崎伸子とTCPOのチェリストによるアンコール鳥の歌と休憩を挟んで、3曲目はベートーヴェンの交響曲第6番田園、最後のアンコールにシューマンのマンフレッド間奏曲というプログラムだった。鈴木秀美が指揮するTCPOの演奏は、昨年6月の371回定期演奏会以来だけれど、他の指揮者とTCPOの演奏とは一味違う軽さや香しさが感じられて、全ての曲を通じてこの個性と魅力が印象的だった。協奏曲やアンコールでの山崎伸子のチェロも素晴らしく、桐朋の高校や大学で共にチェロを学んだ頃から50年を超える付き合いという鈴木秀美と山崎伸子の共演を聴き、二人が並んで満場の拍手を受ける姿を見られたことも嬉しかった。
記憶をひらく 記憶をつむぐ
東京国立近代美術館で企画展「記憶をひらく 記憶をつむぐ」を観た。1937年の盧溝橋事件により日中戦争が始まってから1945年8月の敗戦までの期間に制作された作品や作品を掲載したメディア等を中心とした展示で、当時の画家やメディアが戦争とどう向き合ったかを学び考える良い機会となったし、戦争に限らず時代の流れや権力の意志とアートやメディアの関係について考えさせられることになった。その中で、特に気になった作品のひとつは猪熊弦一郎の「長江埠の子供達」で、戦後に制作された上野駅の壁画に繋がる趣の作品なのだけれど、当時の中国に文化視察として派遣されて創作した作品とは思えないその独特の個性を強く主張する雰囲気と存在感にはっとさせられた。もうひとつは、やはり藤田嗣治の作品で、今回の展覧会には大作が5点展示されていた。20代後半から40代前半をパリで過ごし、エコール・ド・パリの画家として大きな成功を収め、3人のフランス人と結婚を重ねた藤田と、森鴎外の後を継いで陸軍軍医のトップを務めた父や陸軍大学校の教授を務めた実兄を持つ藤田の間に葛藤がなかったはずはなく、今回の展示にもあった藤田が陸軍美術協会理事長として書いた文章からは、確かに日本の国策を支援した藤田の姿勢が明らかに読み取れるのだけれど、その作品からは、単純に国策を支援したという文脈に回収することができないものが感じられるのである。例えば、ノモンハンで戦死した戦友を弔いたいという依頼を受けて制作された「哈爾哈河畔之戦闘」の永遠に続くかと思える青空、白い雲、そして緩やかな弧を描く広大な地平線と、ソ連の戦車に向かっていく日本の歩兵の小さな姿を眺めるとき、あるいは「アッツ島玉砕」や「サイパン島同胞臣節を全うす」の濃厚な人間の死の表現に触れるとき、そこにある藤田の無言の声に耳を傾けたくなる。猪熊弦一郎も藤田嗣治も、戦後は日本を離れて国外で暮らした画家であり、そんなことからも、日本の戦後というものについて考えてみたくなる。
トリオ・アコード
東京文化会館小ホールでトリオ・アコード(Vn 白井圭、Vc 門脇大樹、Pf 津田裕也)のメンデルスゾーンを聴いた。フェリックスの姉、ファニー・メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲で始まり、フェリックス・メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番と第2番、アンコールに「歌の翼に」というメンデルスゾーン尽くしのプログラムで、どの曲も聴き応えがあったのだけれども(聴く機会が少なかったピアノ三重奏曲第2番もいい曲だなぁと思った)、その中でもメントリ(ピアノ三重奏曲第1番)の第1楽章(から第2楽章)は圧巻の演奏だったと思う。今年の春祭でシューマンのピアノ三重奏曲第2番を聴いた時にも感じたことだけれども、それぞれの楽器を演奏する3人の個性は、共通の土台を持ちつつも、当然のことながらそれぞれに異なるような気がしていて、粗っぽく例えれば、色と艶の白井のヴァイオリン、誠と基の門脇のチェロ、理と知の津田のピアノ、あるいは、感性の白井、身体性の門脇、理性の津田といった感じだろうか。でも、20年以上も一緒に演奏してきているというこの3人が学生時代の仲間うちの距離感で密にスクラムを組んで盛り上がっていく時の完成度の高さには否応なく心を揺さぶられる。この3人の演奏を10年後、20年後も聴き続けていきたいという気持ちにさせられるのである。例えば20年後、トリオ・アコードはどんな演奏を聴かせてくれるのだろう。緻密な完成度の高さと迫力を味わわせてくれる一方で、3人がちょっと解けて遊びのあるような演奏も聞かせてくれたら、さらなる魅力が出てきそうな気もする。トリオ・アコードの自主企画的コンサートは初めてかもしれないという白井のトークもあったけれど、これからもますますご活躍されて、定期的にコンサートを開いてくれたら嬉しいと思っている。会場で購入したメンデルスゾーンのCDも早速聴いてみたけれど、コンサートの余韻が感じられて、こちらも素晴らしかった。
Mary Said What She Said
東京芸術劇場プレイハウスで「Mary Said What She Said」(作:ダリル・ピンクニー、演出:ロバート・ウィルソン)を観た。ロバート・ウィルソンの演出作品というよりも、イザベル・ユペールのひとり芝居であることに惹かれて、行ってみたいという次女と一緒に出掛けたのだけれど、下調べが至らず、英語だとばかり思っていた台詞がフランス語で、舞台からやや離れた字幕を追いかけることにもだんだんと疲れや不毛さが募ってきて、イザベル・ユペールのオーラや迫力、繰り返されるリズミカルな台詞の効果、シンプルな舞台演出の美しさといった魅力は感じつつも、フランス語ができない自分にとっては何とも消化不良な観劇となってしまった。次女は「ピアニスト」も「主婦マリーがしたこと」も観ていないらしく、イザベル・ユペールといえば「天国の門」ということになるらしいのだが、自分にとってもこの映画は好きな映画で、イザベラ・ユペールといえば「天国の門」のエラの印象が強い。帰宅してから夕食の準備をしつつ自宅のDVDで「天国の門」を流してみたのだけれど、冒頭からやはりどのシーンも美しいなぁと思わす見入ってしまう。ローラースケート場のシーンあたりで切り上げることになってしまったけれど、近いうちにじっくり観てみたいなぁと改めて思ってしまった。
焼肉ドラゴン(演劇)
新国立劇場(小劇場)で「焼肉ドラゴン」(作・演出:鄭義信)を観た。3年半前に2008年の初演の映像をNHKのプレミアムシアターで観て心を動かされ、その後映画を観て、今回幸せなことに劇場で芝居を観ることができた。この作品は、やはりなかなか出会うことができない特別な作品なのだと思う。この作品を演じるコ・スヒや千葉哲也を観られるのはこれが最後かもしれないと思いつつ劇場に足を運んだのだけれど、パンフレットを見ると「2025年の今回が『焼肉ドラゴン』のファイナル公演となります」と書かれている。そんなことは言わないでもらいたい、という気持ちもありつつ、日本語と韓国語が交じり合うこの作品を上演するのは容易なことではないのだろう。最後の機会に間に合って良かったという気持ちと、もう観られないのだろうかという惜別の気持ちが綯交ぜになっている。同じ時間帯に新国立劇場のオペラパレスで「ラ・ボエーム」を観ていた妻には早速帰り道で薦めて、帰宅後すぐにチケットを1枚購入し、子供たちにも薦めてさらに別々の公演のチケットを2枚購入し、年末の中劇場での3日間の公演の最終日のチケットも購入した。この機会を逃さずにこの芝居を味わいたいと思っている。