長島愛生園

備前焼の里で一日を過ごすことも考えたのだが、車で30分ほどの距離にあることを知り、長島愛生園を訪ねることにした(往路は八反峠の旧道を通ったが、かなり狭隘な難路だった。)。事前に予約をした歴史館でハンセン病や長島愛生園に関する展示や資料を見学し、島で亡くなった患者や職員の方々の遺骨が納められている万霊山を訪れ、島内をしばらく散策すると半日が過ぎていた。訪問に前後して神谷美恵子のエッセイ集「島の診療記録から」(平凡社)を読み進めていたこともあり、病や生き死にについて思いを巡らせることも多かったのだが、島を訪れた際に頭を占めていたのは多数者と少数者の軋轢に関わる諸々の考えごとだったかもしれない。かつて自宅の近くにハンセン病患者を療養した東京市立養育院があったことや、毎年のように足を運ぶ野反湖の近くに栗生楽泉園があることもあって、ハンセン病は学びが足りていない気がかりな事柄のひとつなのだが、東京に戻ってから、ハンセン病患者療養施設の職員には鹿児島の田舎や島の人たちが多かったらしいと妻に話したところ、奄美大島の親戚が離婚した後で瀬戸内か四国あたりの施設で職員として働いて一生を終えたらしいという話を聞いた。

長島愛生園歴史館(旧事務本館)の前から海を眺めて

備前

広島県府中市を出て福山城に立ち寄ってから備前焼の中心地である伊部で一泊した。美味しいお料理を頂きながら女将に街の見どころや備前焼のお店のことを聞いて、翌日は半日ほどかけて街歩きを楽しんだ。町中に登り窯の煙突が立ち並ぶいかにも焼き物の街で、備前焼のお店も多いのだが、静かで落ち着いている。次は奥さんも一緒に訪れたいと思ったので、今回の買物はぐい呑み1つと角皿1枚、それから地元の地酒1本に止めることにした。

伊部の街
南大窯跡の陶片の山の上から眺める備前焼の里

府中(広島県府中市)

松江でレンタカーを借りて、広島県府中市に向かった。府中は父が生まれてから高校を卒業するまでを過ごした街なのだが、記憶にある限り自分は足を運んだことがなかった。そもそも数年前まで父の郷里は伯母が暮らす隣町の新市だと思っていた。父が育った家は府中高校と旧岩谷小学校の間にあった。すっかり変わってしまったその辺りの食堂で伯母が話すような広島弁を聴きながら焼きそばを食べてから、裏山の坂道を少し登って、ご先祖様が暮らした府中の街を見下ろしてみた。花が咲き、蝶が舞い、蜂が飛び、上空では2羽のトンビがゆっくりと弧を描いていた。

2023年秋の府中
府中の出口通りで見かけた父が生まれた頃の府中の写真

松江

松江に出掛けるのは3年ぶり2回目で、前回の出張の折に偶々入ったバーの居心地が良かったので、今回はこのバーを訪ねることを楽しみに日の暮れた街に出た。前回はカサベテスの映画の話をした後でイニャリトゥの「バードマン」を勧めらた記憶があり、その後「バードマン」や「レヴェナント」を観た話などしようかと思いながら大橋川の川縁に出ると、東の夜空に中秋の名月が浮かんでいた。
マスターはお店を東京に引っ越すことも考えているそうで、この店を出すなら東京のどの街が良さそうだろうかといった話をしながら、今や貴重品となってしまった久しぶりのハーパー12年(1杯だけ)や他のお酒を味わいつつ、店が混み始めるまでの短くはない時間を愉しく過ごさせてもらった。帰りがけに、ケッチとヨールが愛飲したバーボンの空き瓶をひとつ頂戴した。(そういえば、お店に飾られていたCriterionのBrighter Summer Day(牯嶺街少年殺人事件)のジャケットが格好良かった。)

松江新大橋の上にかかる満月

2023年9月は20キロ+Walk

2023年9月の月間走行距離は20キロだった。今月は東北地方と中国地方の旅行や父の米寿祝いで週末を過ごしたことや、仕事がタイトだったこともあり、ランニングから遠ざかってしまった(9月は投稿も少なかった)。やや涼しくなってきたので、10月は距離を伸ばしたい。