ウィリアム・フォークナーの「響きと怒り」(高橋正雄訳、講談社文芸文庫)を読んだ。手元の文庫本は2004年の第8刷で、手元に同じ頃の刷がある「サンクチュアリ」、「八月の光」、「アブサロム、アブサロム!」といった作品はこの頃に読んだのだが、「響きと怒り」は読み始めては挫折してといったことを約20年の間に何度か繰り返してきたことになる。今回は読了したとはいえ、特に第1章は読み進めることがかなり難しく、取り敢えず活字を追っていくといった具合だったので、次は岩波文庫の翻訳で読み返してみようかと思っている。どうでも良いことなら遣り過ごしたままにしてしまうのだが、この作品は再読して味わってみたい。
本阿弥光悦の大宇宙
東京国立博物館で「本阿弥光悦の大宇宙」を観た。本阿弥光悦に初めて接したのは、「小説を読む暇があるなら参考書を読め」とよく言っていた父親が唯一評価していた吉川英治の「宮本武蔵」を読んだ時で、小学校5年生だったと思う。そんな子供にとっても本阿弥光悦の印象は強烈で、卓越した知性と人間力を備えた超越的なスーパーマンだった。今回も「大宇宙」や「天才観測」といったキャッチコピーを眺めながら会場に向かったのだが、展示を観た印象は、スーパーマンというよりは、その時代に暮らして、その時代の才人達と交わりながら生きた(そして長生きした)ひとりの人間としての本阿弥光悦だった。確かに何気ない書簡の筆遣いや、「時雨」や「加賀」といった茶碗にも心を惹かれたのだが、スーパーマンかというとそうではない。スーパーマンはやはり俵屋宗達、あるいはあの時代の京都の空気で、本阿弥光悦はその中で自分の(あるいは自分と仲間たちの)作品と人生を切り拓いていった人、そんな印象を受けた。
N響第2004回定期公演
NHKホールでN響第2004回定期公演を聴いた。日本と米国にルーツを持つ井上道義が、日本のオケ、ロシアの独唱者、スウェーデンの合唱団と、ウクライナのキーウ近郊でナチスが3万4000人ものユダヤ人を虐殺した事件を題材としたためにソビエトの政治的な圧力を免れなかったショスタコーヴィチの交響曲第13番を演奏するという、背景に思いを馳せるだけでも複雑なコンサートだったのだが、この曲自体も、自分はほぼ初めて聴いたこともあって、複雑で大きな作品であることは感じつつも、身体に馴染ませることが難しかった。録音になると思うけれど、近いうちに再度この曲を聴いてみたいと思っている。先立って演奏されたシュトラウスのポルカやショスタコーヴィチの小品は、井上道義らしい?センスの良さと楽しさを感じさせてくれる選曲で、特にショスタコーヴィチの「リリック・ワルツ」と「ワルツ第2番」は印象深かった。そういえば去年の6月のコンサートで井上道義が振った武満徹の「ワルツ」も素敵だったと思い出したりした。
2024年1月は0キロ
2024年1月の月間走行距離は0キロだった。正月1日を実家で過ごし、2日から上海・蘇州への旅行に出かけ、帰国後まもなくコロナに罹患し、月末になって走ろうとしたところ左腿裏に痛みがあって止めてしまった。というわけで、特に上海では長い距離を歩きはしたものの、まったく走らなかった1か月になってしまった。2月は左腿裏の痛みに気を付けながら少しづつ走り始めたいと思う。
田村隆一
田村隆一の名前に最初に触れたのは、大学生の頃、山川直人監督「ビリイ☆ザ☆キッドの新しい夜明け」の中で高橋源一郎が「日本の三大詩人は、谷川俊太郎、田村隆一、そして中島みゆきですね」と話すのを聞いたときだったと記憶している。あの時も田村隆一の詩集を手に取ってみたはずなのだが、何を読んだのか、まったく記憶がない。昨年の10月、あの映画に映り続けたモニュメント・バレーで、宮本浩次が歌う中島みゆきの「化粧」を聴きながらそんなことを思い出して、去年の暮れから今年にかけて、田村隆一の「腐敗性物質」(講談社文芸文庫)、「1999」(集英社)、「ぼくの鎌倉散歩」(港の人)を読んだ。ひとりの詩人の言葉が人生の時間軸の中で大きく変化しつつも、やはり変わらないものもあるということを感じられたように思う。それにしても、田村隆一がアガサ・クリスティやロアルド・ダールの翻訳者だったとは知らなかった。