Central Tokyo, North 一周完了

山手線の内側にあるJRと地下鉄の60駅の周辺を散歩しながら写真を撮るCentral Tokyo, Northの企画が、60番目の春日駅を終えて一周した。2022年の夏から2年近くかかったことになる。家族以外に写真を撮るテーマを見付けたい、まずは縁がある身近な地域を知りたい、自分がどんな写真を撮ったり撮りたかったりするのかを知りたい、取り敢えず撮り溜めてみたら見えてくることがあるかもしれない、どうせなら英語のトレーニングも同時にしてみようか、といった思いで始めた企画だったのだが、残念ながら、それなりに時間も使ったはずなのに、自分の写真や物の見方を深めることができたといった成長の実感はない。とはいえ、楽しむことはできたので、この企画はペースを緩めつつ、しつこく長く続けて行こうかと思っている。たまには過去に撮った写真を振り返りつつ、前に進めていきたい。

春日町交差点と文京区役所

Le Fils 息子

東京芸術劇場シアターウエストで「Le Fils 息子」(作:フロリアン・ゼレール、演出:ラディスラス・ショラー)を観た。生き難さが昂じて不登校や自傷行為を繰り返す息子を抱えた家族の物語は、その「課題=試練」自体がフランスでも日本でも他の国でも共有される同時代的な普遍性を持つことを改めて感じたし、それぞれに善い人でありながら限界を持つ人たちが悲劇を避けられないという構図にも時代を超えた普遍性を感じた。もっとも芝居自体には、自然に入り込んで楽しめたものの、正直なところ、期待したほどのパワーや魅力は感じられなかった。戯曲や演出への興味に加えて、こまつ座の「頭痛肩こり樋口一葉」の若村麻由美が素晴らしかったのでこのチケットを買ったところもあったのだが、満席の客席の90%?は岡本健一と岡本圭人の親子共演を楽しみに来たと思しき女性客で、一人でふらっと訪れた中年男性にはかなりアウェイ感があり、日本の演劇の状況についても考えさせられた。

辻本玲 チェロ・リサイタル

トッパンホールで辻本玲「チェロ・リサイタル」を聴いた。残念ながら休憩までの前半しか聴くことができず、コンディションも良くなかったのだが、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ2番とシューマンの民謡風の5つの小品を楽しんだ。辻本玲の演奏は去年以上に力強く朗々とした印象を受けたし、津田裕也のピアノも美しかった。来年もリサイタルが開催されるようであれば、万全の態勢で聴きに行きたい。

東博でバッハ Vol.67 津田裕也

東京・春・音楽祭の「東博でバッハ Vol.67 津田裕也」を聴いた。昨年4月の「辻本玲チェロ・リサイタル」で津田裕也のピアノを聴いて、ソロでの演奏を聴いてみたいと思っていたところ、この機会があったので迷わずチケットを購入した。バッハのパルティータは、イギリス組曲やフランス組曲よりも手が伸びないやや苦手意識のある作品なのだが、今回は特に第2番に惹かれて、何故だかハーヴェイ・カイテルを思い出しながら聴いていたりした。そう言うと抑制の効いた渋めの演奏に感じられるかもしれないが、滋味のある芯の通った演奏が最後の第6番に向かって熱く盛り上がっていく、といった素敵な演奏会だったように思う。会場の東博平成館の石張りのラウンジが教会のような響き方をすることもあってだろうか、演奏者が近くに感じられて、音の重なり合いにも魅力を感じた。津田裕也のベートーヴェンやシューベルトなども聴いてみたいと思った。

ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?

国立西洋美術館で「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」を観た。国立西洋美術館は「未来の芸術」を生み育てる土壌となり得てきたか、という問いかけに(国立西洋美術館では基本的に収集や展示を行わない)現代美術の作家が作品で応答するというとても興味深い展示で、作品や作品を巡るテキストを行き来しながら3時間ほど楽しい時間を過ごさせて頂いた。坂本夏子の「入口」や坂本夏子と梅津庸一のファンタジックな「絵作り」といった作品の絵葉書があったら子供たちへのお土産に買って帰ろうかと思っていたところ、絵葉書の販売はなく(写真も撮っていなかった)、図録を買って帰ったのだが、図版ではなく読み応えのある文章が大半を占めている。冒頭の田中館長と新藤研究員(弓指寛治の作品にも登場する本展企画者)の文書を読み終えたところだが、田中館長が期待したようなポリフォニックな展示になっていたと思うし、新藤研究員が指摘するアガベンの「同時代性=アナクロニズム」は、この企画展だけでなく、前日に観たショーン・ホームズの「リア王」とも響き合って、ますます刺激的である。図録を読んでから、会期中にもう一度出かけてしまうかもしれない。お土産を渡せなかった子供たちにも訪問を勧めておこうかと思っている。

【追記】図録を完読し、田中館長と新藤研究員のウェビナーも参加し、いろいろなWEB記事も読んでみたこともあって、最終日に再度企画展に足を運んでみた。二度目の訪問で、最後の作品の写真を撮っておきたかったこともあって、朝一番に入って最後から戻るように気になる作品を観ていったのだが、そのおかげで途中までは貸し切りのような環境で楽しむことができた。企画展の後で常設展にも足を向けたのだが、最後の展示でルオーやルノワールの絵が子供・車椅子目線で掛けられていて、これも楽しめる展示方法だなぁと小さな変化を心強く感じた。子供たちは結局観に行かなかったようだが、三女が送ってきた山本浩貴のTokyo Art Beatへの寄稿記事(2024年3月11日に国立西洋美術館で起きたこと、2023年10月7日から-あるいは、もっと以前より、そして、この瞬間も-ガザで起きていること)は読み応えがあった。