難波田龍起

東京オペラシティ アートギャラリーで「難波田龍起」を観た。難波田龍起について何の知識もなく、東京オペラシティでのコンサートの前にアートギャラリーに立ち寄ろうかと思って展覧会の公式サイトを観たところ、期待が高まる内容だったので、どんな作品に出会えるのかを楽しみにしながら出掛けたのだけれど、期待を大きく上回る出会いをもらえた展覧会だった。難波田龍起が晩年に至るまで試行錯誤と変遷を重ねながらその時々のスタイルを磨き上げていく、その挑戦する姿に励まされるのだけれど、それだけでなく、それぞれの時代の様々なスタイルに共通して感じられる静かな雄弁さ、それを生み出すある種の誠実な力強さに強く惹かれているような気がする。コンサートがなければもう少し長く絵の前にいたいと思ったくらいで、会期末までにもう一度足を運ぶことになりそうな気がする。

原初的風景A(1987年)
発生(1959年)

2025年8月は26.8キロ+Walk

2025年8月の月間走行距離は26.8キロだった。今月の目標は60キロだったので、半分以下である。お盆を挟んだ2週間が空白になってしまったことが主な原因で、ということは、週末に会津に出掛けたり八ヶ岳に出掛けたりしていたことが原因ということになるだろうか。体力が落ちていることや、外気温が高いこともあり、長い距離を走ることは躊躇われるので、平日の早朝か夜に短時間でも走るようにしないと。

伊那・大鹿村・木曽

木曽音楽祭に出掛けることとなり、日帰りだと車の運転が強行軍なので、伊那に前泊し、「大鹿村騒動記」を観て以来気になっていた大鹿村を訪ねてから木曽に向かった。伊那は、大学1年生の時に車とバイクの合宿免許を取得するために滞在して以来で、早朝に東京を出て岡谷の民宿で一泊して伊那まで自転車を漕いだことや、教官が「停まったらローずら」と繰り返し言っていたこと、一緒に合宿に来ていた学生と出張に来た父親とで飲みに出掛けたことなどを懐かしく思い出した。夜は馬肉料理を堪能し、とくに郷土料理の馬のもつ煮込み「おたぐり」が美味だった。翌日は、早朝に伊那を出て大鹿村に入り、「大鹿村騒動記」のロケ地を散歩した。原田芳雄が好きで、最初にその魅力に接したのは多分「ビリイ★ザ★キッドの新しい夜明け」だったかもしれない。その後、鈴木清順や坂本順治の映画などを観て、いつの間にか好きな俳優を聞かれると原田芳雄と答えるようになっていた。遺作となった「大鹿村騒動記」の舞台は一度訪れたいと思っていた場所で、今回やっとその機会を作り4時間ほど滞在することができて嬉しかった。できれば次回は大鹿歌舞伎を観に行ってみたいと思っている。昼食は大鹿村の道の駅で鹿肉ステーキとジビエカレーを食べて、馬鹿コンプリートしてから、木曽に向かった。木曽音楽祭の感想は別の投稿で。

伊那市駅近くのいたやで馬刺し、馬ステーキ、桜鍋、おたぐりなどを頂戴した。美味しかった。
大鹿村騒動記のラストシーンの撮影地
原田芳雄(風祭善)の店「ディア・イーター」
木曽音楽祭の会場は、写真の旧中山道の中間地点から1.5キロほどのところだった。

木曽音楽祭

木曽文化公園文化ホールで木曽音楽祭の最終日「フェスティヴァルコンサートⅢ」を聴いた。1975年に始まり今年で51回目を迎えたこの歴史ある室内楽の音楽祭のことは、数年前に確か津田裕也のコンサートの折に初めて知って、気になっていたのだけれど、今回初めて足を運ぶことができた。演奏者の顔ぶれから素晴らしい演奏は期待していたのだけれど、期待以上の充実感で、弦楽も素晴らしかったけれど(2曲目のフォーレのピアノ五重奏曲第2番と4曲目のブルッフの弦楽八重奏曲、特に大島亮のヴィオラの音色と伝田正則のチェロの演奏が印象的だった)、聴く機会が少なかった個性が異なる管楽器のアンサンブルの魅力に触れられたことが新鮮な悦びだった(1曲目のヤナーチェクの六重奏曲「青春」と3曲目のジョリヴェのオーボエとファゴットのためのソナティナ)。聴衆も、この音楽祭を毎年楽しみにして通い続けることで音楽を楽しむ耳を育ててこられた地元の方たちが多く集まっているような、都内の(高額な)コンサートの雰囲気とはまた少し異なる柔らかい集中力(テンション)がホールに感じられて、それがコンサートの味わいを深めていたように思える。(駐車場には首都圏、名古屋圏、関西圏、あるいはそれよりも遠方のナンバーを付けた車も少なくなかったけれど、地元松本ナンバーの車が多かった。)音楽祭の運営は、演奏者の方々にとっても裏方の皆様にとってもなかなか大変なことだろうと拝察しているけれど、この音楽祭がこれからも末永く続くことを心から願っている。来年もまた訪れたいと思っているし、この音楽祭の醍醐味は3日間の日程を通して聴くことにあるような気もしていて、いつか実現させたいと思っている。

私たちが光と想うすべて

新宿シネマカリテで「私たちが光と想うすべて / All We Imagine as Light」を観た。昨年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞したこの作品の映画評を新聞で読んで気になっていたこともあり、久しぶりに映画館に足を運んだのだが、やはり世代や性別も異なる様々な人たちと同じ場所で映画を観るという映画館体験はいいものだな、と思えた。ひとりで画面と向き合う鑑賞と、見ず知らずの他人に囲まれた環境での鑑賞では、映画から受け取るものが異なり得るような気がする。そんな思いを抱いたのは、上映開始の1時間近く前に着いてしまった映画館のロビーで、昨年のサントリー学芸賞を受賞した中村達著「私が諸島である」(書肆侃侃房)を読み終えて、意識はしなくてもその余韻の中で映画を観たからかもしれない。この本が描くカリブ海諸島における苛烈な植民地支配における人種差別、格差、言語、そしてその残滓を乗り越えようとする思想からも、また欧米におけるフェミニズムの思想からも、顧慮されることなく置き去りにされたカリブ海諸島の女性や性的マイノリティの差別、そしてそれを乗り越えようとする現在進行形の思想といった、世界の中のそれぞれの場所での地理や歴史により異なる差別や格差の問題に思いを巡らせていたことや、そういった現在的な問題意識と、カンヌで賞を得たこの映画が響き合うことを何となく感じていたからこそ、自分の内側に目を向ける映画体験というよりも、自分の外側に目を向ける映画体験になったのかもしれない。映画のラストシーンで海辺のカフェのロングショットにじんわりと心を揺さぶられつつ、隣の若者が頬を拭う気配を感じていると、同じ感動を受け取っているわけではないと思いながらも、名前も顔も知らない、二度と近くに座ることもない他人との間にも、何かしらの限られた繋がりや連帯があり得るような気持ちになったりもするのである。(ちなみに、映画館のロビーで本を読んでいた間に、隣で「マルティネス」を撮ったメキシコのロレーナ・パディージャ監督のサイン会をやっていた。映画を観終えた方々が日本語だけでなく英語やスペイン語で監督にいろいろと話しかけているのが聞こえてきて、いろんな人が映画を観に来ているんだなぁと改めて感じたりして、ちょっと嬉しかった。)