会田綱雄詩集

母親から頼まれて実家から持ち帰った書籍の段ボールの中に、妹が中学校の先生から卒業祝いにもらった茨木のり子の「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)が紛れ込んでいて、何となく読み始めたまま最後まで読み終えてしまったのだが、その中で紹介されていた会田綱雄の「伝説」という詩に惹かれて、地元の図書館で現代詩文庫「会田綱雄詩集」(思潮社)を借りて読んだ。図書館が昭和55年に購入した本なので、表紙を捲った扉に返却日付表の小さな紙が貼られていて、一つも日付が押されていなかったのだけれど、「伝説」を含む最初の詩集「鹹湖」に漂う切迫感と緩さのある明度や彩度を抑えた空気感に魅力を感じた。会田綱雄が「伝説」について書いた「一つの体験として」という小文も掲載されていて、詩を読むだけでは知ることのない、この詩の透明な美しさを支えるその奥の深い闇に目を向けさせられた。ここ数年上海蟹の季節になるとくるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」を思い出していたけれど、これからは「蟹を食うひともあるのだ」と静かに語るこの詩のことも思い出すことになりそうだ。

星夜航行

飯嶋和一の「星夜航行」(新潮文庫)を読んだ。16世紀末の東アジアを巡る世界の動きから当時の技術や生活の細部にまで至る緻密な描写を積み重ねた舞台のスケールの大きさと奥行きの広がり、その中で生きる登場人物のそれぞれの思いと行い、過去の作品でも魅力的に描かれた移動する馬や船、作家が長年にわたり培ってきた思索と知識や技がこの大きな器に満々と流れ込んでいるようで、飯嶋和一の仕事に改めて深く敬服した。また、朝鮮出兵・壬辰倭乱についても認識を新たにし、その苛烈な被害に暗澹とし、現在の日本の状況についても考えさせられられた。「狗賓童子の島」を読み終えたのは1か月前のことで、「飯嶋和一ばかり読み続けてはならない」という禁を破って読み始めてしまったのだが、不自由な状況にある人間の生き様を描く飯嶋和一の作品にはいつも勇気づけられる。特にこの本の主人公である沢瀬甚五郎は、都田川の芦原で斬られていたか、呂宋島航路で溺死していたか、釜山近郊で撃たれていたかもしれず、実際に命を落とした無数の沢瀬甚五郎がいたように思えてくる。そんな時間や空間を超えて吹き渡る風のような沢瀬甚五郎がこの自分の中も束の間吹き過ぎていってくれたらと思ったりして、この時期にこの本を手に取ったのも何かの縁ではないかと感じている。とはいえ、下巻は、風すら厭う痛風で身動きもままならない中で、その痛みも忘れながら読み耽ることになったのだが。これで飯嶋和一の全ての既刊本を一度は読了したのだが、今後どれか1作品しか再読できないとしたら、やはりこの作品を選ぶようなな気がする。小説丸に連載中の「北斗の星紋」も気になっているのだが。

小石川植物園(春から夏)

今年の桜の時期に小石川植物園の年間パスを購入してから、24節季毎(半月毎)にカメラを提げて散歩に出かけている。FujifilmのX-T5に、16mm、33mm、90mmの3本の単焦点レンズの組み合わせは、その昔、(今も手放させずに手元にある)Nikon New FM-2とAI Nikkor24mm、50㎜、135mm(あとContax T-2)を持ってバックパッカー旅行を楽しんだ思い出からなのだけれど、結局使うレンズは33mmに落ち着いてきてしまっている。植物園には長いレンズを付けて花を撮っている人が多いのだけれど。変化に富んだ春の季節から梅雨を経て酷暑の夏へと季節が変わり、シャッターを切る回数が減ってきた印象もあるのだけれど、植物園の計画や管理からはみ出して生きるものにも目を向けつつ、1年をとおして小石川植物園の変化を楽しんでいきたいと思っている。写真はこちら



神護寺展

東京国立博物館で「創建1200年記念特別展 神護寺 空海と真言密教のはじまり」を観た。ご縁があって招待券をもらった妻に誘われて、何の予備知識もなく、むしろ谷中のSUGIURAでのランチや山内屋のお酒を楽しみに出掛けたのだが、9世紀の両界曼荼羅(会期の前半は胎蔵界、後半は金剛界のみ)や本尊の薬師如来像、そして空海の真筆など、大いに見応えのある展示だった。特に両界曼荼羅は圧巻で、最近のテレビ番組で修復作業の様子に触れていたこともあってか、この作品や仏教・密教が日本の思想や文化に与えてきた影響に思いを巡らせながら優に1時間は眺めていられるインパクトがあり、個人的には「神護寺展」というよりも「両界曼荼羅展」、あるいは「神護寺-両界曼荼羅と1200年の歩み」と言いたくなるような力があった。会期が始まって最初の週末ということもあってか、それなりに来場者は多かったのだが、中国語を頻繁に耳にした。中国語圏の方の関心を集めているのだろうか。展示品が里帰りしてから、できれば紅葉の季節にでも京都の神護寺に行ってみたいと思っている。