東京シティ・フィル第369回定期演奏会

東京オペラシティでTCPOの第369回定期演奏会を聴いた。1曲目のR.シュトラウスのばらの騎士(第1幕及び第2幕より序奏とワルツ集)には、何故か音楽に対するあたたかい厳しさと愛情を感じて、唐突だけれどもこんな仕事をしたいという心持になったりして、記憶に残る経験になった。2曲目のシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番も、美しい針葉樹のように立ち上がる南紫音のヴァイオリンが森のホールでオケと響き合うといった趣の清冽な緊張感を湛えた素晴らしい演奏だったと思う。3曲目のベートーヴェンの交響曲第3番も、久しぶりに聴いたのだが、改めてベートーヴェンらしいある種の逸脱していく力が感じられるように思えて、面白かった。聴衆からも心地よい波動を受け、高関健のプレトークも興味深く、コンサートを通じて上質な時間を愉しむことができた。今シーズンからTCPOの定期会員になった。オケの定期会員になるのは初めてのことで、1年間を通じてTCPOがどんな音楽を聴かせてくれるのか、とても楽しみにしている。

Central Tokyo, North 一周完了

山手線の内側にあるJRと地下鉄の60駅の周辺を散歩しながら写真を撮るCentral Tokyo, Northの企画が、60番目の春日駅を終えて一周した。2022年の夏から2年近くかかったことになる。家族以外に写真を撮るテーマを見付けたい、まずは縁がある身近な地域を知りたい、自分がどんな写真を撮ったり撮りたかったりするのかを知りたい、取り敢えず撮り溜めてみたら見えてくることがあるかもしれない、どうせなら英語のトレーニングも同時にしてみようか、といった思いで始めた企画だったのだが、残念ながら、それなりに時間も使ったはずなのに、自分の写真や物の見方を深めることができたといった成長の実感はない。とはいえ、楽しむことはできたので、この企画はペースを緩めつつ、しつこく長く続けて行こうかと思っている。たまには過去に撮った写真を振り返りつつ、前に進めていきたい。

春日町交差点と文京区役所

Le Fils 息子

東京芸術劇場シアターウエストで「Le Fils 息子」(作:フロリアン・ゼレール、演出:ラディスラス・ショラー)を観た。生き難さが昂じて不登校や自傷行為を繰り返す息子を抱えた家族の物語は、その「課題=試練」自体がフランスでも日本でも他の国でも共有される同時代的な普遍性を持つことを改めて感じたし、それぞれに善い人でありながら限界を持つ人たちが悲劇を避けられないという構図にも時代を超えた普遍性を感じた。もっとも芝居自体には、自然に入り込んで楽しめたものの、正直なところ、期待したほどのパワーや魅力は感じられなかった。戯曲や演出への興味に加えて、こまつ座の「頭痛肩こり樋口一葉」の若村麻由美が素晴らしかったのでこのチケットを買ったところもあったのだが、満席の客席の90%?は岡本健一と岡本圭人の親子共演を楽しみに来たと思しき女性客で、一人でふらっと訪れた中年男性にはかなりアウェイ感があり、日本の演劇の状況についても考えさせられた。

辻本玲 チェロ・リサイタル

トッパンホールで辻本玲「チェロ・リサイタル」を聴いた。残念ながら休憩までの前半しか聴くことができず、コンディションも良くなかったのだが、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ2番とシューマンの民謡風の5つの小品を楽しんだ。辻本玲の演奏は去年以上に力強く朗々とした印象を受けたし、津田裕也のピアノも美しかった。来年もリサイタルが開催されるようであれば、万全の態勢で聴きに行きたい。

東博でバッハ Vol.67 津田裕也

東京・春・音楽祭の「東博でバッハ Vol.67 津田裕也」を聴いた。昨年4月の「辻本玲チェロ・リサイタル」で津田裕也のピアノを聴いて、ソロでの演奏を聴いてみたいと思っていたところ、この機会があったので迷わずチケットを購入した。バッハのパルティータは、イギリス組曲やフランス組曲よりも手が伸びないやや苦手意識のある作品なのだが、今回は特に第2番に惹かれて、何故だかハーヴェイ・カイテルを思い出しながら聴いていたりした。そう言うと抑制の効いた渋めの演奏に感じられるかもしれないが、滋味のある芯の通った演奏が最後の第6番に向かって熱く盛り上がっていく、といった素敵な演奏会だったように思う。会場の東博平成館の石張りのラウンジが教会のような響き方をすることもあってだろうか、演奏者が近くに感じられて、音の重なり合いにも魅力を感じた。津田裕也のベートーヴェンやシューベルトなども聴いてみたいと思った。