2024年9月の月間走行距離は63.8キロだった。今月からGarminのGPSウォッチを使用するようになったので、これからはGarminの計測距離を記録していこうと思う。20キロ弱のLSDを走った日もあったけれど、5キロや10キロを何度か走った1か月だった。白川郷や鳥越城跡・二曲城跡でそれなりに歩いた日もあった。来月は、お天気次第かもしれないけれど、紅葉の野反湖や会津西街道にも行ってみたいと思っていて、走行距離は100キロに届くか分からないけれど、気温も涼しくなってきたし、年末年始のハーフにエントリーしていたりもするので、頑張っていきたいと思う。
高橋龍太郎コレクション
東京都現代美術館で「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」を観た。国立西洋美術館で坂本夏子&梅津庸一の「絵作り」を観たときに、遅ればせながら高橋龍太郎コレクションの存在を知り、この展覧会を楽しみにしていた。東京都現代美術館の公式サイトにアップされているインタビューで、高橋龍太郎が「作品の同伴者として、いろんな領域で自分の想像を超えた作品を収集してきた」、「人間の力業の凄みに惹かれて、優れた才能ある作家の作品を集めて来たけれど、東日本大震災以降、それだけを追いかけてリアリティがあるかな、という気持ちが芽生えて、自分を消していくことで何か新しい表現を生み出している人たちの作品にリアリティを感じるようになった」、「主義主張や大きな物語がなくなった時代に表現と向き合う若い世代の辛さ、切なさに勇気づけられる」、「今、日本に生きていて、この時代に生きているリアリティを作品から感じたい」、「僕から生まれたコレクションが、僕から離れた実体のある怪物になっていて、今となっては僕を引きずっている」といった話をしていて、改めて展示を振り返ってみると、こういった言葉に説得力が感じられる。様々な方向に向けてパワフルであったり、切なかったり、静かだったり、温かかったり、ひとりの人間が数十年をかけて時代と共に育てたコレクションの多面性が印象深い展覧会だったと思う。
ラ・ボエーム
井上道義が最後に指揮するオペラということで、東京芸術劇場コンサートホールにラ・ボエーム(演出:森山開次)を聴きに行った。特に第二幕の祝祭感が圧巻で、これで井上道義を聴き納めにしてもいいな、と思える演奏だった。ソリストも、読響も、ダンスも、美術も、演出も、すべてが素晴らしく、オーケストラピットで指揮棒を振る井上道義の姿とともに、記憶に残るコンサートになった。
第71回日本伝統工芸展
日本橋三越本店で第71回日本伝統工芸展を観た。ここ数年、毎年のように日本伝統工芸展に足を運んで、多くの作家さんが日本全国で美しい工芸品をコツコツと作られている様子を想像して励まされている(東北と北海道の作品が少ないように感じて、少し残念なのだが)。今年は、一週間前に金沢に旅行したこともあってか、特に漆芸の作品に魅力を感じた。螺鈿、沈金、蒔絵といった細工を施した作品にも、木目の美しい拭漆の作品にも、受賞作品に限らず心を惹かれる作品が多かった。もっとも、今回の展示の中で一番心を惹かれたのは吉田周平の青瓷鉦鉢で、なだらかに歪んだ縁が立ち上がる複雑で力強い貫入を纏った青磁の大鉢に地球をイメージさせる深みを感じた。どんな作家だろうと思ってネットで検索してみたところ、東北大学理学部地球物理学科を経て東京藝大で陶芸を専攻された方のようで、作品のイメージと経歴がシンクロして、ちょっと驚きだった。
リビングルームのメタモルフォーシス
東京芸術劇場シアターイーストでチェルフィッチュ×藤倉大 with アンサンブル・ノマドの「リビングルームのメタモルフォーシス」(作・演出:岡田利規)を観た。音楽と演劇が対等な関係を結ぶ作品というコンセプトや、改修後の東京芸術劇場の芸術監督となる岡田利規の作品といった点に惹かれて出掛けたのだが、睡眠不足の体調もあってか、残念ながらそこまで没入することができなかった。アフタートークで岡田利規が「演劇は考えながら観るけれど、音楽はなるべく考えないようにして聴く」と言っていたように、重ねられる言葉を追いかけながら味わう散文と、言葉よりもダイレクトに全体を一瞬で示しながら進む音楽は、必ずしも相性が良くはないようにも思える。音楽と言葉を対等に合わせようとするならば、やはり詩であり、歌であり、矢野顕子や小田朋美のことを思い出したりするのだけれど、今回の舞台は歌を排して演劇と音楽に対等な関係を持たせる試みで、チャレンジングだと思うのだけれど、その関係を十分に味わった手応えは得られていない。岡田利規の舞台や藤倉大の音楽に接してきていないので、もう少し経験値を上げてから観てみたい気もする。その時は別の作品かもしれないし、俳優と楽員の配置が対向関係になったり、ノマディックになったり、あるいは即興の要素をクローズアップしてみたり、いろいろなチャレンジがあり得たりするのかもしれない。