東京オペラシティのTCPO第383回定期演奏会で、高関健が指揮し、ソリストにオンド・マルトノの原田節、ピアノの児玉桃を迎えたメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」を聴いた。都内のオーケストラも、最近では新日本フィルや東フィルが演奏し、数年前にはN響や都響も演奏していたようなのだけれど、自分はこの交響曲の録音も聴いたことがなく、初めて聴くことになったのだが、オンド・マルトノとピアノだけでなく、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル、ヴィブラフォン、8人の奏者が奏でる各種打楽器を加えた大編成のオケがバランスと統率の取れた音楽を繰り出す様子は大変な迫力で、85分間の演奏を聴き終えた時には軽く肉体的な疲労を感じるくらいだった。ピアノのカデンツァは印象的だったけれども、個々の楽器が歌う演奏というよりも、複雑なリズムと音色のフラクタルが繰り広げられる音楽といった印象で、馴染みの薄い現代的な性格の曲を聴き取ろうとしたことが疲れを招いたのかもしれない。やはり一度聴いただけで味わうことは難しく、録音を聴いてみようと思うのだけれど、このコンサートのライブ録音はCD化されないだろうか。録音されていたようなので、近いうちに発売されないか期待している。
天国の門
東京芸術劇場でイザベル・ユペールのひとり芝居を観た流れで、久しぶりにマイケル・チミノ監督「天国の門」を観た。大学生の頃に名画座で観て打ちのめされた記憶があって、自宅の本棚にはどうやら20年以上前に購入したらしいDVDがあるのだけれど、219分の長さやブラウン管サイズでレターボックス化された映像の小ささが災いしてか、おそらく10年以上は観ていなかった。そんな具合なので、前回観た時に何を感じたり思ったりしたのかはまったく憶えていないのだけれど、今回は、ハーバード大学の卒業生たちが女性たちと数十組のペアを組んで中庭を円舞するシーン、エラがプレゼントの馬車にジムを乗せて街の中心部をグルグルと疾走するシーン、移民たちがロマ風の音楽に乗ってローラースケート場を周回するダンスシーン、その移民たちが銃を持って傭兵たちを包囲し馬車や馬で旋回する戦闘シーン、そして傭兵の救援に現れた州の軍隊が移民と傭兵の間に割り込んで騎乗で巡回するシーンなど、人や馬が輪を描いて回る様子を撮影したシーンが印象的だった。全編を通じて、映像の美しさ、役者とキャラクターの存在感、ストーリーの語り口といったどの点を取り上げても味わい深く、219分がとても短く感じられる。やはり、この映画は映画館の大きなスクリーンで観たい!どこかで上映してくれないだろうか、と思ってネットを見ても上映館があるはずもなく、思わず中古のBlue-rayを購入して(相場は1.5万円から4万円のようだけれど、幸い1万円以下で購入できた。)、映画館には及ばないけれど、大きくなったデジタルリマスター版の映像を80インチのスクリーンにプロジェクタで投影して、再度じっくりと楽しんでしまった。
2025年10月は20.1キロ+Walk
2025年10月の月間走行距離は20.1キロだった。月間150キロ走れる身体を作ることと、体重を落とすことが今年の目標のはずだったのに、退化した1年となることはほぼ確実で、残り2か月でやれることをやらないと。とはいえ、こうしてやる気を出そうとはしてみても、数々のDNSを振り返るとレースにエントリーする気力も起きず、末期症状とは言いたくないけれど、なかなか重症です。
野反湖
11月頭の三連休に日帰りで野反湖に行ってきた。六合村から野反湖への道は素晴らしい紅葉だったけれど、野反湖の紅葉は終わっていて、岳樺の樹影が美しかった。10月の紅葉の時期に訪れる機会は多かったけれど、紅葉が終わった後の野反湖に来たのは2、3回くらいだろうか。あらためてこの季節の野反湖も素敵だなぁと思いながら湖畔を一周した。帰路は温泉をスキップして、前橋のラーメン屋で遅めのランチを食べた。もう30年以上も前になるけれど、前橋に1年と数か月のあいだ住んでいた頃、裁判所の近くにあったこの店に足繁く通った。移転後は数年に一度くらいしか食べに来られていないけれど、お元気そうなご主人と奥さんの姿を見ることができて嬉しかった。



[関田育子]『under take』
東京芸術劇場シアターイーストで演劇団体[関田育子]の『under take』を観た。ステージの床を1.5枚分取り除いて客席から奈落を見せて、両脇と正面の階段から役者が舞台と奈落を行き来し、舞台奥の2つの扉からはその奥のバックステージの廊下が覗き、舞台の床と壁面は黒く、一切物は置かれず、役者は普段着で演技するというシンプルな舞台設計だった。Family Affair的なエピソードがぽつんぽつんを置かれたような脚本で、芝居は、さほど面白くもないのだけれど、つまらなくはない。何でつまらなくないのかなぁと思いながら観ていたのだけれど、やはり「間」かなぁ、役者と役者の物理的な「間」や、動きと動きの時間的な「間」の味わいが、開放的な舞台設計を相俟って、劇場の重力が軽くなったような、ステージが3センチほど浮いているような、そんな印象を受けた。上演後のアフタートークでは、「物語」との付かず離れずの「距離」を測りつつ芝居を組み立てたという話しがあったり、芝居にしかできない「映像的」あるいは「マンガ的」な表現といったコメントがあったりして、自分の印象もそんなところからきているのかもしれないと感じたりもした。