東京シティ・フィル第350回定期演奏会(マーラー交響曲第9番)

東京オペラシティで高関健指揮/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のマーラー交響曲第9番を聴いた。この作品をコンサートで聴いた回数はこれで5回目かと思うが、我が家にあるCDを数えてみると23の録音が手元にあった。1つの作品としては断トツで多い。その中でも、高関健指揮/群馬交響楽団の録音は折に触れて何度も聴いたCDで、今回のコンサートも以前からとても楽しみにしていた。コンサートの前のプレトークで、マーラーはこの曲を作曲した頃は心身ともに壮健だったように思えると高関健が話していたことが心に残っていたのか、今回の演奏は、回顧や惜別といったイメージよりも、分厚い筋肉を身に付けた逞しい存在が、年月を経る中で生とそして死と対峙するような、何か人間の尊厳を思わせるような演奏に感じられた。コロナ禍やウクライナの情勢がそういった感想をもたらしたのかもしれない。演奏後の長く、大きく、温かい拍手は、この演奏への聴衆の心からの共感と賛辞だったと思う。CD化が検討されているようであり、この作品の大切な録音がまたひとつ増えることになりそうで嬉しい。

コンサートから2年余り経ってから、この演奏のCDを聴いた。CDの音はホールで聴く音よりも解像度が高く、それも大きな響きや物語を高解像度で描き出すというよりも、大きな響きや物語に回収されないそれぞれの楽器の演奏、音が高解像度で立ち上がってくるように聴こえた。改めてコンサートと録音は別のものという印象を深くしたのだが、録音を聴くことでコンサートのアプローチが改めて感じられるというか、新たに気づかされることもあるように思えた。

美の標準(日本民藝館)

日本民藝館で「美の標準-柳宗悦の眼による創作」を観た。一昨年の秋から去年の春まで行われた改修工事で日本民藝館の建物がどう変わったのかを観ることも楽しみにしていたのだが、大展示室を除くと大きな印象の変化はなく、オリジナルの建築を保存するための改修だったのかもしれない。展示は、河井寛次郎、濱田庄司、バーナードリーチ、棟方志功といった常設的な展示も、室町-桃山期の工芸や絵画などの特別展的な展示も、いずれもこの建物で観るとしっくりと収まるような気がして、特に陶芸は、ひとつひとつの作品の質感、形、色、模様、佇まいが身近に感じられるように思えた。しかし、駒場の高級住宅街にある贅沢な空間で、現代となっては高額商品のオンパレードともいえる作品を眺めることが、民藝の「生活と美との交渉」から遠く離れているような感覚も拭い去れない。時間を掛けた手仕事の美がますます庶民には手が届き難い贅沢品となっていく趨勢の中で、「生活と美との交渉」はどう在ることができるのか、そんなことを考えさせられた。

新書3冊

宇野重規著「民主主義とは何か」(講談社現代新書)を読んだ。「東大で読まれた本1位」「2021新書大賞2位」といった帯に惹かれて買ってあったのだが、読み易く、かつ読み応えのある本だった。半月ほど前に読了していたのだが、2月24日にロシアがウクライナへの武力侵攻を開始してから、再びこの本を手に取って、「民主主義」と戦争について、また起こってしまった戦争に対してロシアの、ウクライナの、あるいは日本の「民主主義」ができることについて、考えさせられている。

正月からの読書の流れで、宇沢弘文著「社会的共通資本」(岩波新書)を再読し、また異なる立場の本として柿埜真吾著「ミルトン・フリードマンの日本経済論」(PHP新書)を読んでみたが、両者の議論は平行線になりそうな印象を受けた。

2022年2月は100キロ

2022年2月の月間走行キロは100キロだった。今月は25キロ走やスピード練習も入れてみようと思っていたのだが、いろいろとバタバタしてしまい、結局20キロ走を2回、あとは10キロのジョグといった1か月だった。今の走力では20キロでも翌日に疲れが残ってしまうので、気温も上がってくるだろうし、距離を伸ばすことよりも、スピードを少しずつ上げる方向で走っていきたいと思う。

民藝の100年(東京国立近代美術館)

東京国立近代美術館で「民藝の100年」展を観た。母から若い頃に柳宗理のオフィスに椅子を届けた時の話を聞いたり、実家に柳宗理デザインの物がいくつかあったりして、民藝という言葉には幼い頃に初めて触れた記憶がある。学生時代から駒場の日本民藝館に何度か足を運び、柳宗悦の「民藝とは何か」などの書籍を読み、数年前には松本民芸館を訪れる機会もあった。今回の展覧会も楽しみしていたところ、コロナ禍もあり会期末の訪問となってしまったが、1910年代から約半世紀の民藝運動の全体像を伝えようとする力の込められた展示で、学ぶところが多く、また時代との関わり方についても考えさせられた。もっとも、自分は一点一点の工芸品が語りかけてくる小さな聲に耳を傾けるような体験を好むこともあり、そういった視点からは、今回の展覧会は、個々の作品以上に、社会的な潮流としての民藝運動を描くことに力点が置かれているような印象も受けた。近いうちに改修された日本民藝館にも足を運んでみたいと思う。