東京都現代美術館で「ユージーン・スタジオ 新しい海 After the rainbow」を観てきた。美術館のショップで購入したガイドブックに掲載されていた作者である寒川裕人のインタビューの最後にあった言葉、「つまり、目の前で、見た目ではないことを考える、想像する力がある。これは本来、多様性や共生への理解を大きく前進させる力だと考えています。他者や、自然あるいは自分に対してなど、少し想像することさえできれば、もう少しだけ前に進むかもしれない。そういう意味で、日本は世界に先駆けているところがあるはずなのです。」という言葉が、この展覧会の印象を良く語っていると思った。日本的な余白の優しさとでもいうか、清潔感やある種の潔癖さすら感じるのだけれど、懐が柔らかい。若い人たちが愉しんでいる様子が清々しかった。同時に開催されていた「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」と、「MOTコレクション Journals 日々、記す Vol2」も面白かった(後者は康夏奈(吉田夏奈)や小林正人の作品に足が止まった。)。
2021年11月は70キロ
2021年11月の月間走行キロ数は70キロだった。まずは今月100キロ走ることを目指したい。
出星前夜
飯嶋和一著「出星前夜」(小学館文庫)を読んだ。日経新聞の夕刊で「始祖鳥記」を紹介する記事を読み、未読だったこの作者の本を読んでみたいと思った。書店では「始祖鳥記」が売り切れていたので、「出星前夜」を購入し、二週間ほどで読み終えたのだが、多くの登場人物がそれぞれに深い印象を残す作品だった。こういう読書の愉しみには、やはり700頁という文章の厚みを共に過ごす時間が必要なのだろうと改めて感じさせられた。題材とされている島原の乱については、数年前に神田千里著「島原の乱」(講談社学術文庫)や、五野井隆史著「島原の乱とキリシタン」(吉川弘文館)を読んだが、書物によってこの事件の印象は異なる。島原の乱で命を落とした数万の人たちと、あの事件を心に抱えて生き延びた無数の人たちの想いも、それぞれに違っていただろうと思う。いつかゆっくりと島原半島を訪ねてみたいと思った。
イロアセル(新国立劇場)
新国立劇場(小劇場)で「イロアセル」(作・演出:倉持裕)を観た。言葉から固有の色が立ち昇る人たちが暮らす島の話しを、フルオーディションで選ばれた役者が演じるということで、役と役者のVoiceを楽しみに出かけたのだが、期待に違わずそれぞれの色が響き合って創られた舞台だったと思う。島の人たちの言葉は色に乗って多くの人たちに認識されるが、言葉に色を持たない本土から来た囚人がいる檻の前では、島の人たちの言葉も無色透明になり他人に認識される心配がない、という設定なのだが、この囚人の台詞に勢いと質量があって、芝居の中では一番色が強かったかもしれない。顔が見える肉声から匿名の文字情報に至るポジションの違いは、こうしてブログを書く身にとっても考えさせられる話題で、時として倫理的な問題ではあるけれど、ポジションをずらしながら使い分ける姿勢に人間味が感じられるようにも思える。
映画2本
昔、大学で北米移民の勉強をした奥さんのチョイスで、夕食を食べながら「ウエスト・サイド・ストーリー」(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ監督)と「ミナリ」(リー・アイザック・チョン監督)を観た。「ウエスト・サイド・ストーリー」は、やっぱり「アメリカ」のダンスシーンはゴージャスだね、とか、1年間のNYでの留学生活の折に公園で触れ合った中米からの歳若い出稼ぎベビーシッターの人たちのことなどを話しながら賑やかに楽しんだのだが、別の日に観た「ミナリ」は、この映画が多くの人の心を揺り動かして、韓国で100万人を超える人が映画館に足を運んだという事実をすんなりと理解できず、置き去りにされたような感触が残ってしまった。米国で職探しをしていた韓国人留学生と、帰国が大前提だった日本人留学生の間に温度差があったように、自分には、移民という体験の肌触りが分かっていないのだろうと思う。そんなことを思いながら、NHKのETV特集「消えた技能実習生」を観てみたり、本棚からセバスチャン・ザルガドの写真集「MIGRATION」を出してきて眺めてみたりしている。