第九特別演奏会(高関健/東京シティ・フィル)

東京文化会館で高関健指揮/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のベートーヴェン交響曲第9番を聴いた。昨年1月にサロネン指揮/フィルハーモニア管弦楽団のマーラー交響曲第9番を聴いて以来のほぼ2年ぶりのコンサートで、久しぶりのオーケストラの音、それも練られて磨かれた音に第1楽章から感情がひどく昂ってしまった。第2楽章になってやっと落ち着きを取り戻し、対向配置のオーケストラの効果に思い至ったような具合で、第3楽章は上手と下手の掛け合いをじっくり愉しむことができた。第4楽章も、合唱団がマスク着用となってしまったことは残念だが、オーケストラもソリストも合唱も素晴らしい演奏だったと思う。交響曲の前に演奏されたフランセ作曲「ファゴットと11の弦楽器のための協奏曲」も、大内秀介のファゴットと小編成の弦楽器のアンサンブルの妙が素敵だった。高関健の第九が聴きたくて今年の第九はこのコンサートを選んだのだが、心から良い経験ができたと思う。次回のコンサートは、来年3月に同じく高関健指揮/東京シティ・フィルのマーラー交響曲第9番を聴きに行く予定で、以前からとても楽しみにしているのだが、第九を聴いてさらに期待が高まった。

那須

週末に那須に出かけたのだが、矢板インターを過ぎた頃から風花が舞い始め、那須インターを出るころにはすっかり雪模様で、小一時間で用件を済ませると、往来が少ない道路には数センチの雪が積もっていた。追突事故を起こしている地元の軽自動車を横目に、雪道の運転に慣れない自分は写真を撮ることも忘れて慌てて東北道に引き返し、不完全燃焼な気分を宇都宮餃子で紛らわせてから帰宅した。久しぶりに雪に触れて、その暮らしへのインパクトを今更ながらに感じさせられた。

あーぶくたった、にいたった(新国立劇場)

新国立劇場(小劇場)で「あーぶくたった、にいたった」(作:別役実、演出:西沢栄治)を観た。別役実の「小市民シリーズ」の一作と紹介されているように、「小市民」的な2組の夫婦が年月や立場、記憶をずらしながら10の場面を演じるのだが、「小市民」という言葉から自分が連想する慎ましい食卓を囲む温かさのようなものは希薄で、交じり合わない日常的な会話から非日常的な展開が生じて笑いが起きることもあるけれど、同時に「恨み」のような苦い基底音が鳴り続いているような気がする。第一場で運動会の後の夕方の風の匂いを感じながら自分たちの未来を語っていた夫婦は、その未来のいくつかを微妙にずらしながらなぞった後に、第十場で同じ匂いを感じながら、自分たちは生きていること自体を申し訳なく感じていて、いつの間にか不幸せに生きようと決心をしてしまっていたんだと振り返る。そして、雪に埋もれて自分たちの「いやな匂い」を消したいと願う。二人が雪に埋もれた後も、どこかで夕方の風が吹いている。

泥人魚(シアターコクーン)

シアターコクーンで「泥人魚」(作:唐十郎、演出:金守珍)を観た。唐十郎の芝居を観たこともなれば、戯曲を読んだこともないという真っ新な状態で劇場に足を運んだので、50分間の第一部が終わって10分間の休憩に入った時点では、正直なところこの芝居をどうやって楽しめば良いのか戸惑いも感じていたのだが、役者の体から高速で絶え間なく発せられるあれだけの量の脈絡もなく飛び跳ねる言葉を観客がその場で筋道立てて理解し咀嚼できる訳もなく、これは「Don’t think. Feel」で観るのが正解だろうと腹を括ってからの第二部の70分間は、舞台から立ち昇る猥雑で純粋で撓やかで力強い紅テントの匂いがやっと自分の鼻腔にも届いたのか、文字通り何度か鳥肌が立った。あの空間に足を運んで良い経験ができたと思う。それにしても、宮沢りえは驚くほど若々しかった。

トラ!トラ!トラ!

太平洋戦争の開戦から80年を迎えた12月8日前後に、NHKで開戦と関係する様々な番組が放送された。NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争 1941開戦(前編・後編)」、ETV特集「昭和天皇が語る 開戦への道(前編・後編)」、昭和の選択スペシャル「1941日本はなぜ開戦したのか」、BS1スペシャル「真珠湾80年 生きて愛して、そして」といった番組を観たが、こういった番組と共に、BSで放送されていたリチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二監督「トラ!トラ!トラ!」を数十年ぶりに観た。なるべく史実に忠実であろうとした姿勢が感じられたし、米国側と日本側の対照が興味深くもあったのだが、映画の規模の大きさに改めてアメリカの力を見せつけられた感もある。開戦関係の番組では、ETV特集で初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」から引用されていた台詞が記憶に残った。「勢いは芽生えの時に押さえないと、勢いが勢いを生んで人力ではどうにも参りません。・・・勢いというのは実に恐ろしいものです。」