大澤壽人

NHKのクラシック音楽館「日本のピアノ」(2021年10月10日初回放送)で大澤壽人のピアノ協奏曲第3番を聴いて興味を持ち、2017年9月3日のサントリーホールでのライブを録音した「大澤壽人の芸術」(DENON)とNAXOSレーベルの大澤壽人作品のCD2枚を購入して聴いた。1930年から1936年までボストンとパリで学んだ大澤壽人が1934年から1938年までの間に作曲した交響曲3曲と協奏曲3曲を聴くと、当時の若い日本の音楽家が欧米の最前線の音楽家の感受性と響き合っていたことが感じられて、戦争と戦後の長い時間を経てもその色褪せない音楽の輝きに何を想えば良いのか、音楽そのものを楽しみつつも、芸術の力と無力について考えさせられた。

ヴィヨンの妻

「ヴィヨンの妻」(根岸吉太郎監督)を観た。原作を読んで、そういえば映画があったはずだと思い出し、DVDをレンタルして観たのだが、何と言うか、愛情をもって丁寧に作られた映画という印象が残った。小料理「椿屋」の美術とお客の役者さんたち、そして店主の伊武雅刀と室井滋の夫婦が土台となって、その上で松たか子と広末涼子の役柄と演技の魅力を存分に引き出して撮る。男たちは、浅野忠信、堤真一、妻夫木聡の3人が難しい役柄を抑えた演技で女たちを支える。吉松隆の音楽も寄り添いつつも控えめで、こうして振り返ると女性俳優の魅力を撮る映画だったように思えてくる。1947年出版の原作には、戦争を生き残った男と女が磁場や重力の乱れた世間を生きるある種の時代の雰囲気を色濃く感じるのだが、2009年公開の映画は、原作とは少し違った人間ドラマ的な趣の光でこの作品を照らしてくれているように思う。

須賀敦子が選んだ日本の名作

須賀敦子編「須賀敦子が選んだ日本の名作」(河出文庫)を読んだ。未読の作品も多く、その中でも林芙美子「下町」の体温と湿り気、太宰治「ヴィヨンの妻」の蹈鞴笑いと死生感、深沢七郎「東北の神武たち」の俗臭の奇態さ、庄野潤三「道」の穏やかさなどが印象深かったが、石川淳の「紫苑物語」は白眉と感じた。須賀敦子の本は何冊か再読しているが、30代半ばでこれだけの作品のイタリア語訳という仕事を成し遂げられたことに頭が下がる。

2021年10月は40キロ

2021年10月の月間走行距離は40キロ。10年前は週に正味7-8時間のトレーニングで宮古島や佐渡のロングディスタンスのトライアスロンを完走するくらいの運動をしていたのが、ここ4-5年は運動に振り向ける時間が少なくなってしまっている。SwimやBikeからはさらに遠ざかっているので、毎月の月間走行距離を徐々に増やしていこうと思う。

「乱」(黒澤明監督)を観た。改めて映像も、美術も、衣装も、役者も贅沢な映画だと思ったが、今回は特に音楽の魅力を強く感じた。武満徹の玄妙な音楽も、札幌交響楽団の精緻な演奏も素晴らしいと思った。これだけの作品を創り上げる力量には敬服するしかない。この夏、「リア王」の現代英語訳を横目に日本語訳を何冊か読み比べた際に、久しぶりに「乱」を観てみようと思ってDVDを購入したのだが、「リア王」と「乱」の、演劇と映画の、言葉との距離感の違い、映像の時代に言葉がどう位置づけられるのかについても考えさせられた。機会があったら、「リア王」の舞台も観てみたい。