2023年5月は40キロ

2023年5月の月間走行距離は40キロだった。2回目の週末にキロ6分程度で走り始めたところ、5キロ過ぎから左のハムストリングに違和感が生じ、7キロ地点で痛みが激しくなってしまった。その日はそのまま歩いて帰宅し、2週間ほど休んでから3キロ、5キロとゆっくり走ってみたのだが、左のハムストリングスが固くなり違和感が生じてしまう。原因に心当たりがないのだが、もしかすると在宅ワークで使っている椅子のカバー状の座面を月初めに付け替えた際に(きれいな緑色になった)、張りが少し弱くなり、座ったときに枠が腿裏に当たっているからかもしれないと思い、久しぶりにバランスチェアを引っ張り出してきた。快復すると良いのだが、来月のハーフマラソンはDNSになるかもしれない。

四万温泉・渋峠・小布施

来京した義父母と共に夫婦で四万温泉の積善館に泊ってきた。四万温泉は久しく気になりつつも初めての訪問で、「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルのひとつと言われている歴史ある温泉宿の雰囲気を楽しむことができた。

四万温泉積善館本館

翌日は草津温泉の西の河原露天風呂に立ち寄ってから、渋峠を経て小布施に向かった。葛飾北斎の肉筆画がお目当てで、岩松院の天井画「八方睨み鳳凰図」や北斎館の祭屋台天井絵「男浪図」「女浪図」「龍図」「鳳凰図」「富士越龍」などをゆっくりと観ることができた。もうひとつのお目当ては「せきざわ」の蕎麦で、30年前に感動した味を懐かしく思い出すことができた。

渋峠からの眺め

街とその不確かな壁

村上春樹著「街とその不確かな壁」(新潮社)を読んだ。自分は村上春樹の良い読者なのか、分からない。初めて読んだ作品は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で、高校二年生の夏だった。それまではいわゆる名作を文庫本で読むか図書館で借りるかしていた自分が、初めて小遣いで購入した単行本だったと記憶している。確か朝日新聞の文芸時評でこの本を知ったはずだと思い、図書館に行って探してみたところ、1985年7月25日の夕刊に山崎正和の書評が掲載されていた。この書評を読み返してみても、どうして当時の自分がこの本に関心を抱いたのか分からないのだが、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は多感な時期の自分にとってのナンバーワンの小説となり、大学受験を挟んで村上春樹の著作をあらかた読み尽くし、心待ちにしていた新刊(「ノルウェーの森」)を真っ先に大学生協で購入して読んだ。その後も村上春樹の小説、翻訳、エッセーを読む機会は多かったのだが、仕事に就いてからは読書量そのものが減り、いつの頃からか村上春樹の新刊も読まなくなっていた。「1Q84」は英語でしか読んでおらず、「騎士団長殺し」は読んでいない。しかし、「街とその不確かな壁」は、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や「海辺のカフカ」がそうだったように、自分にとって特別な小説になるような気がして、発売後まもなく書店で初版本を購入した。読み進めながら、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を初めて読んだ頃の自分を感じられるような気がして少し懐かしい気持ちになりつつ、読み終えてみて、私の勇気ある落下に説得力を感じている自分にあの頃からの年月の経過を感じてもいる。

悼、灯、斉藤(劇団温泉ドラゴン)

NHKのプレミアムステージで劇団温泉ドラゴン公演「悼、灯、斉藤」を観た。チラシで公演を知って観に行こうと思っていたのだが、公演最終日になってしまい、開演1時間前に当日券を求めて会場に行ったものの、満席で順番待ちと言われて諦めたところ、NHKのプレミアムシアターで放送された録画を観ることができた。芝居を観に行くようになって、劇場で芝居を観ることとテレビで録画を観ることの違いを改めて感じるものの、録画には録画の良さがあるとも思う。役者さんの細かな表情や所作が見えたり、衣装や小道具の細部、あるいは編集のリズムを楽しんだり。(何なら巻き戻しや早送りもできてしまったりする。)「悼、灯、斉藤」の魅力は、放送された(芝居ではテレビに映らない演出家と脚本家の)インタビューを聞いてしまったからかもしれないけれど、やはりチームワークなのかなぁと思う。お互いを良く知る腕っ扱きの脚本家、役者さん、演出家が芝居を作ると、相乗効果で輝きが増し、そのうえ何処となく温かさを感じる。劇団温泉ドラゴンのメンバーだけでなく、女優さんたちもそれぞれに個性があり素敵だった。やっぱり劇場で観たかったなぁ。劇団温泉ドラゴン、一度聞いたら忘れられない名前なので、次回は是非劇場で観てみたいと思う。

群像短篇名作選(2000-2014)

群像短篇名作選(2000-2014)(講談社文芸文庫)を読んだ。1946年から1969年、1970年から1999年の短篇を読んできた後で2000年から2014年の短篇を読んで感じるのは、磨かれた心地よい軽さの感触だろうか。(そういえば前の2冊と比較するとページ数がちょっと少なくて軽かった。2300円という値段は一緒だけれど。)想像力の飛翔、爆発、暴走、というよりも少しばかり地面を離れて浮遊する感じ。巧みな笑いもある。併行して読んだいわゆる震災後文学と言われる川上弘美の「神様2011」や高橋源一郎の「恋する原発」にも共通する手触りを感じた。辺見庸の「瓦礫の中から言葉を」は、原民喜の「夏の花」を引いていたけれど。2015年以降の日本の短篇がどんな雰囲気を身に纏っているのか、文芸誌を買ったこともない自分には良く分からないのだが、それは書き手や出版社が作るものでありつつも、読み手が作るものでもあるはずで、一読者としては、時代がひと回りして1945年以前の状況が形を変えて近づいてきたら気付けるように、1937年から1945年あたりの短篇も読んでみようかと思ったりしている。