出星前夜

飯嶋和一著「出星前夜」(小学館文庫)を読んだ。日経新聞の夕刊で「始祖鳥記」を紹介する記事を読み、未読だったこの作者の本を読んでみたいと思った。書店では「始祖鳥記」が売り切れていたので、「出星前夜」を購入し、二週間ほどで読み終えたのだが、多くの登場人物がそれぞれに深い印象を残す作品だった。こういう読書の愉しみには、やはり700頁という文章の厚みを共に過ごす時間が必要なのだろうと改めて感じさせられた。題材とされている島原の乱については、数年前に神田千里著「島原の乱」(講談社学術文庫)や、五野井隆史著「島原の乱とキリシタン」(吉川弘文館)を読んだが、書物によってこの事件の印象は異なる。島原の乱で命を落とした数万の人たちと、あの事件を心に抱えて生き延びた無数の人たちの想いも、それぞれに違っていただろうと思う。いつかゆっくりと島原半島を訪ねてみたいと思った。

イロアセル(新国立劇場)

新国立劇場(小劇場)で「イロアセル」(作・演出:倉持裕)を観た。言葉から固有の色が立ち昇る人たちが暮らす島の話しを、フルオーディションで選ばれた役者が演じるということで、役と役者のVoiceを楽しみに出かけたのだが、期待に違わずそれぞれの色が響き合って創られた舞台だったと思う。島の人たちの言葉は色に乗って多くの人たちに認識されるが、言葉に色を持たない本土から来た囚人がいる檻の前では、島の人たちの言葉も無色透明になり他人に認識される心配がない、という設定なのだが、この囚人の台詞に勢いと質量があって、芝居の中では一番色が強かったかもしれない。顔が見える肉声から匿名の文字情報に至るポジションの違いは、こうしてブログを書く身にとっても考えさせられる話題で、時として倫理的な問題ではあるけれど、ポジションをずらしながら使い分ける姿勢に人間味が感じられるようにも思える。

映画2本

昔、大学で北米移民の勉強をした奥さんのチョイスで、夕食を食べながら「ウエスト・サイド・ストーリー」(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ監督)と「ミナリ」(リー・アイザック・チョン監督)を観た。「ウエスト・サイド・ストーリー」は、やっぱり「アメリカ」のダンスシーンはゴージャスだね、とか、1年間のNYでの留学生活の折に公園で触れ合った中米からの歳若い出稼ぎベビーシッターの人たちのことなどを話しながら賑やかに楽しんだのだが、別の日に観た「ミナリ」は、この映画が多くの人の心を揺り動かして、韓国で100万人を超える人が映画館に足を運んだという事実をすんなりと理解できず、置き去りにされたような感触が残ってしまった。米国で職探しをしていた韓国人留学生と、帰国が大前提だった日本人留学生の間に温度差があったように、自分には、移民という体験の肌触りが分かっていないのだろうと思う。そんなことを思いながら、NHKのETV特集「消えた技能実習生」を観てみたり、本棚からセバスチャン・ザルガドの写真集「MIGRATION」を出してきて眺めてみたりしている。

財務次官、モノ申す

10月31日の衆議院議員選挙を前にして現役財務事務次官の文藝春秋への寄稿「このままでは国家財政は破綻する」が話題になっていたので読んでみた。このつながりで、ネット検索で目を引いた参議院のサイトにあるいくつかの財政リスク関係のレポートを斜め読みし、参考文献にあったカーメン・M・ラインハート、ケネス・S・ロゴス著、村井章子訳「This Time Is Different(国家は破綻する)」(日経BP社)と天達泰章著「日本財政が破綻するとき」(日本経済新聞社)、それから伊藤隆敏著「日本財政『最後の選択』」(日本経済新聞社)をざっと読み、その後、併行して読んでいた下山達著「2050年のジャーナリスト」(毎日新聞出版)で紹介されていたステファニー・ケルトン著、土方奈美訳「財政赤字の神話 MMTと国民のための経済の誕生」(早川書房)を興味深く読んだ。自分は政治や経済とは縁が遠い一市民だが、日本の財政のあり方は、多くの人達にとって大きな問題だと思う。選挙関係の報道は、主に日経や朝日の記事を読み(朝日新聞と東大谷口研究室の共同調査など)、テレビのニュース番組を偶に眺めていた程度だが、政治家もメディアも、この問題について世間に理解や議論を求める姿勢が希薄すぎるように思う。