吉里吉里人

井上ひさし著「吉里吉里人(上・中・下)」(新潮文庫)を読んだ。長年気になりつつも、500頁を超える文庫が3冊という分量に多少二の足を踏み、5、6年前に購入した上巻だけが本棚に積まれていたのだが、読み始めてみると10日ほどで読み終えてしまった。東北弁含有臨場感横溢的ビートに乗せられて、読むスピードが上がったのだろうか。昨年から井上ひさしの戯曲、エッセイ、小説をいくつか読んだが、その文体や視点の振れ幅の広さに励まされた気がする。そういえば、こまつ座には何が掛かっているのだろうかと思ってウェブページを見てみると、8月に「頭痛肩こり樋口一葉」を演るようで、これは観に行こうかなぁ。

2022年5月は30キロ+35キロ

2022年5月の月間走行距離は30キロ、伊豆山稜線歩道で20キロ、奥多摩で15キロの「スピードハイク」を楽しんだことを言い訳にしても、大幅なペースダウンになってしまった。奥多摩の下り坂で足首を捻挫してしまい(翌日はかなり腫れて痛みも強かった。)、その後全く走れていないことが原因で、改めて怪我や故障を避けることの大切さを思い知らされている。そろそろ5キロ程度は走れそうな状況まで回復してきたので、来月から挽回していきたいと思う。

奥多摩

朝8時前に青梅線古里駅を出発して、大塚山、御嶽神社、日の出山、三室山、愛宕神社と歩き、温泉に入り、吉川英治記念館を見学して、14時半過ぎの電車で二俣尾駅から東京に戻った。好天に恵まれ、気持ちの良い一日だった。前回の伊豆山稜線歩道にはSONYのRX100Ⅲを持参したのだが、今回はFUJIFILMのX-T4にXF16㎜ f1.4を付けて持って行った。「規則性と規則性の破れ」を探して、植林された東斜面と自然林の西斜面を分ける尾根道や、異なる規則性を横切る道路など、いくつか写真を撮ってみたのだが、巧拙は措くとして、自分は規則性の微妙なズレよりも、分かり易い「破れ」に惹かれる傾向があるようだ。次回はXF10-24mm f4を付けて出かけてみようかと思っていたが、下山時に足首を捻挫してしまい、梅雨が明ける頃までお預けになりそうだ。

柴田敏雄と鈴木理策(アーティゾン美術館)

アーティゾン美術館で「写真と絵画-セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」を観た。柴田敏雄のセクションでは、不揃いな規則性と規則性の破れに目が留まった。厳密に正確ではない繰り返しのパターンと、そのパターンが終わるところ、そのバランスにリズムや美しさを感じたのかもしれない。考えてみると、世の中には不揃いな規則性と規則性の破れが至るところにあって、気を付けて見ればそこにリズムや美しさが見つけられそうな、そんな気がした。鈴木理策のセクションでは、カメラの視覚とヒトの視覚の違いを感じたことで、ヒトの視覚が相対化され、自分の視覚への信頼を問い直す機会になった。最後の雪舟の四季山水図とのセクションでは、雪舟と柴田敏雄のある種の厳格さの相似性が印象的だった。柴田敏雄の写真は、ここ数年のフラットで乾いた印象を受けたプリントよりも、それ以前の滑らかに潤ったプリントにとても魅力を感じた。

焼肉ドラゴン(映画)

今年初めにNHKのプレミアムシアターで焼肉ドラゴンの芝居を観て心を動かされたので、中古のDVDを入手して映画を観てみた。映画の監督は、原作者で芝居の共同演出も手掛けた鄭義信で、芝居と映画の違いを感じてみたいという気持ちもあったのだが、改めて二つのメディアの違いを感じさせられたような気がする。例えば、余白の広さというか、芝居は様々な制約から観客の想像力を働かせるスペースが広いのに対して、映画は情報量が多く、想像力よりも理解力が働きやすいように思える。それから役者の出力も、芝居では会場の観客に働きかけるパワー、動きと声が求められるのに対して、映画では、リアリティを求めるのであれば、寄った映像も多いので抑えた演技が求められるだろう。映画のキャスティングは豪華で、特に父親役のキム・サンホと母親役のイ・ジョンウン(パラサイトで家政婦役を怪演した)は独特の存在感があったと思うが、個人的には、この作品では芝居に軍配を上げたいと思った。