2022年4月は80キロ

2022年4月の月間走行距離は80キロだった。4月前半は来京した妻の両親と旅行に行ったり野球を観戦したりとイベントが盛り沢山で、ランニングを疎かにしてしまった。が、先週、初めてのトレイルランニングシューズを調達し、来月中、早ければこのGW中に、トレイルランニングならぬトレイルウォーキング、つまりハイキング(できる範囲でスピードハイク)を楽しみに伊豆山稜線歩道に出かけることになりそうだ。ゆくゆくは、何度も出かけた野反湖から草津に抜けるスパトレイルにトライできたらと夢想してみたりもしているのだが、今の体力(と体重)ではとてもとても無理そうで、まずは久々に山道を経験してみることから始めてみたい。

マーラー交響曲第5番(大野和志/東京都交響楽団)

東京芸術劇場で大野和志指揮/東京都交響楽団のマーラー交響曲第5番を聴いた。大野和志と都響の演奏は、数年前に年末の第九を聴いたときに、何度も聴いてきた曲が改めて輪郭をくっきりとさせたような、見慣れた風景が特別な光でいつもとは違う存在感を現したような、そんな感動を覚えたのだが、今日のマーラーも、この曲の複雑さ、美しさ、怪異さ、滑稽さ、様々な要素が熱を帯びたオーケストラの音から立ち上がってきて、一流の素材を一流の料理人が捌いた切れ味抜群の料理が次々に運ばれてくるような豪華さがあり、これを満腹を気にすることなく堪能できるというのは、なかなか幸せな経験だった。
第9番も、是非、大野和志と都響の演奏を聴いてみたいと思う。
マーラーに先立って演奏されたR.シュトラウスのオーボエ協奏曲(オーボエ:広田智之)も、ナチスドイツの終戦直後に作曲されたとは思えないような明るく伸びやかな曲調で、暖かく華やかな気分にさせられた。

マタイ受難曲(BCJ)

東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲を聴いた。初めてマタイ受難曲に触れた記憶はタルコフスキーの映画「サクリファイス」で流れた第39曲で、もう35年も前のことになるが鮮明に憶えている。その後、結婚した頃に購入したサイトウ・キネン・オーケストラのCDを妻が折に触れてかけるのを聴くことはあっても、正面から向き合って聴く機会は久しくないままに時が過ぎ、今回、初めてコンサートで聴く機会を得た。特に主なソリストの歌唱が素晴らしく、音楽そのものを楽しんで聴き始めたのだが、如何せん知識が乏しいため、第1部の途中からパンフレットで歌詞を追いながら聴くこととなり、そのためかこの曲の宗教音楽としての成り立ちに意識が向けられ、第65曲のアリアが深く印象に刻まれることになった。これからもこの曲に触れる機会は多くあるだろうと思うけれど、今回、コンサートでこの曲を聴く機会を持てて良かったと思う。

草津・軽井沢

来京した妻の両親を案内して4人で草津温泉と軽井沢を回ってきた。好天に恵まれて、残雪が輝く国境の山々を遠くに眺めつつ、通り過ぎる田舎の風景に点在する満開の桜を楽しむという贅沢なドライブだった。川沿いや道沿いに植えられた桜並木や、家々の庭先を彩る桜、畑や山の中でひとり満開に咲いている桜、移動する車窓から幾つもの桜の姿を眺めていると、桜が人々に愛されてきたことがじんわりと感じられて、またいつかこの季節に来てみようかという気持ちにさせられた。

笠間と益子

娘が車の運転の練習をしたい言いだし、助手席に座って笠間と益子に出かけてきた。時折気になってワイパーを動かす程度の小雨が降る肌寒い週末だったが、車窓から通り過ぎる満開前の桜の様子を楽しみつつ、訪れた蕎麦屋で味わい深い蕎麦を啜り、茨城県陶芸美術館や益子参考館に立ち寄った。益子参考館は初めての訪問で、近隣の江戸期の庄屋の家を移築したという立派な材を用いた大きな建築から窺える素封家の豊かさと、これを支えた今となってはすべてが消え去って想像するしかない貧農の暮らしに思いを馳せ、また濱田庄司が移り住んで暮らした頃の益子と、現在の益子との東京との距離感の違い、創作する場と消費する都市との関係についても考えさせられた。
笠間でも益子でも何軒かのショップを回って気に入った陶器やガラス製品をいくつか買い求めた。この日の、そしてこれからの幸福な思い出の標しになってくれると嬉しいのだが。