雷電本紀

飯嶋和一著「雷電本紀」(小学館文庫)を読んだ。「出星前夜」と「始祖鳥記」を読んでから遡って「雷電本紀」を読むと、作者が作品を重ねるにつれて充実していった様子が感じられるようで、ますます作者に頭が下がる思いがした。かといって「雷電本紀」が魅力に薄いかというと、そんなことは一切なく、特に東京で暮らしてきた自分にとっては馴染のある地名が多いこともあり、この本を思い返しながら雷電為右衛門や鍵屋助五郎の足跡を辿ってみたいと思った。飯嶋和一の著作はすべて購入してあるので、次は何を読もうか、こればかり読んでしまわないよう今年はあと一冊にしようと思っているが、どういう順番で読もうか考えることも楽しみだ。

伝通院(鍵屋助五郎の菩提寺)
大門通り・旧高砂町(鍵屋助五郎が暮らした場所)

PHOTOS – Central Tokyo, North

山手線の北半分のエリアにある駅から徒歩10分以内の範囲で写真を撮り歩く散歩を始めた。
(写真はこちらです。Central Tokyo, North
このブログを始めた約1年前から考えてはいたものの、なかなか始められず、先月下旬になって重たい腰を上げたのだが、いろいろ拘らずに取り敢えずいい加減なところで始めてみると、これはこれで楽しめている。ここ数年、家族の写真を撮る機会も減ってきて、何を撮ろうかと思ってきたのだが、しばらく楽しみながら続けられそうな気がする。

2022年8月は20キロ+Bike+Walk

2022年8月の月間走行距離は20キロだった。Bike(35キロ1,000アップ)やWalk(4時間)を考慮しても運動量が少ない。月半ばに体調を崩して3日程ほぼ絶食(2日は完全に絶食)することになり、その後も手足に発疹が出てしまったりで、8月の後半は運動ができなかった。まだ発疹は治まっていないが、気候は大分涼しくなってきたので、9月はランニングを増やしたいと思う。

ランニング王国を生きる

マイケル・クローリー著、児島修訳「ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと」(青土社)を読んだ。地方出張時に立ち寄った書店でノンフィクションを特集していた棚から数冊購入したうちの一冊で、寝床で少しずつ読み進めて読了した。アフリカを描いた本を読んだ経験は少なく、東アフリカといえばディネーセンの「アフリカの日々」しか思い出せないのだが、あの本で描かれた1920年代前後のナイロビ郊外の高地の自然や人々と、この本で描かれた2015-16年のアディスアベバ周辺の高地を走る人々は大きく印象を異にしていて、一口で言えば、著者である欧州人と描かれるアフリカ人の同質性が高い。ランナー同士という関係性もあるとは思うが、この間の100年の歴史の表れだろうと思う。日本でもバードやハーンあるいはモラエスの時代とその100年後とでは欧米との同質性が格段に高まっている。とはいえ、フルマラソンを2時間20分で走る著者が2時間8分切りを目標とするランナーたちを描いた「Running is Life」の世界は、特に目標もなくキロ6分程度ジョギングを楽しんでいる自分の暮らしとは全く違っていて、そうした同時代の異なる世界を記憶の引き出しに入れておいて、たまに思い出してみられるようになったことは嬉しい。青土社から出版されているのが意外に感じられたが、同社に勤める福島舞が担当したそうで了解がいった。

自然と人のダイアローグ(国立西洋美術館)

国立西洋美術館の企画展「自然と人のダイアローグ」を観て、駆け足になってしまったが常設展も観て歩くことができた。企画展は19世紀後半を中心とする年代の作品が、それぞれにテーマを設けた4章に分けて構成されていたが、幅広い作風にわたる様々な作品が展示されていて、テーマを横断するような作品も多く、自分の知識や経験の不足もあるとは思うけれど、テーマを意識して展示を観るというよりも、常設展を楽しむような印象だったような気がする。ハイライトの1点だったフリードリヒの作品が心に残っていたのか、常設展では、ハンマースホイの作品に足を止めた。都美術館の特別展は足を運ばないうちにコロナで閉幕となってしまい残念だった。美術館の建物はリニューアルされた印象はあまりなく、以前からの西洋美術館の佇まいがそのまま保たれているようだった。