Fujifilm X-T5

予約開始日に予約してあった富士フィルムのカメラX-T5を発売開始日の翌日に購入して、大塚駅の周辺を小一時間ほど散歩しながら写真を撮ってきた。X-H1やX-T4は2年程度使って下取りに出してしまったけれど、このカメラはこの先10年くらい使いたいと思っている。自分が一番よく使うカメラは2016年から変わらずX-Pro2で、来年あたりX-Pro4が発売されたら購入するかもしれないけれど、その後もX-Pro2を愛用し続けるような気がする。お散歩写真をあげているCentral Tokyo, Northも、大塚駅まできて山手線の北側を半周し、これからは地下鉄の駅を回ることになるので、ちょっとペースを落としてゆっくり愉しんでいきたい。

大塚三業通りのたばこ屋 2022年11月

しびれ雲(KERA・MAP #010)

本多劇場で「しびれ雲」(作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)を観た。瀬戸内あたりにあるらしい梟島の集落に暮らす人たちの日常のスケッチを積み重ねてひとつの世界を創り上げた芝居で、役者の話す独特の方言がその世界の背骨を作り、また人情味の薫る空気を生み出していたように感じた。記憶を失った客人、記憶を失いつつある老人、手紙と誤解、逃走と帰郷、結婚と家族、様々な要素とキャラクターが自然な笑いと「ごめんちゃい」を交わしあう柔らかなトーンに包まれていて、芝居を観ていた間よりも、芝居を振り返っている今のような時間の方が、何故かその世界を身近に感じてしまうような、そんな手触りがある。芝居初心者の自分は、KERAの芝居を観るのも初めてで、場面転換や舞台を割るリズム感も新鮮に感じられた。
全くの余談だが、10年以上ぶりで訪れた下北沢の駅周辺を少し散歩して、珉亭のラーチャンを食べてから芝居を観たのだが、90年代に2年ほどこの街で暮らしていた頃から随分と街の雰囲気が変わったように感じた。自分も歳をとって変わったのだろうと思いつつ、つい変わらないものも探してしまいたくなるような散歩だった。

伊福部昭とショスタコーヴィチ(井上道義/NHK交響楽団)

NHKホールで井上道義指揮/NHK交響楽団の演奏で伊福部昭のシンフォニア・タプカーラとショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴いた。滑らかなモノクロームの美しくグロテスクで不条理な夢の中に誘い込まれて彷徨うようなショスタコーヴィチの第1楽章に魅了され、その後の楽章も時折その余韻を感じながら、75歳とはとても思えない井上道義のエネルギッシュな指揮から紡がれるN響の演奏を楽しむことができた。ショスタコーヴィチの複雑さに少し触れられたように思えた悦ばしい経験だった。ショスタコーヴィチの前に演奏された伊福部昭の交響曲も素晴らしかったが、音楽を聴きながら、日本・アイヌの音楽がオーケストラという表現の手段を得たのか、オーケストラが日本・アイヌの音楽という表現の素材を得たのか、「非西洋音楽」の立ち位置について考えさせられてしまった。コンサートの後で渋谷駅に向かう坂を下りながら、自分自身が、伊福部昭よりもショスタコーヴィチの演奏により繋がりを感じイメージを喚起されていたように思えて、音楽に止まらず、日本人としての在り方について考えさせられることになった。

高尾山と棒の嶺

ワンゲル部に入った三女の影響を受けてか、山登りとは縁遠い妻が?0年ぶりに高尾山に登ってみたいと言い出したので、休日にふたりで高尾山に登ってきた。ところが妻は少し物足りなかったようで、もう一回山登りに行きたいということで、随分以前に購入してあったハイキング本を紐解いていくつか候補を挙げたところ、棒の嶺が良いということになり、2週続けて山登りに出かけることになった。飯能から20キロほど秩父方面に入った棒の嶺は、沢沿いの岩登りもあり、紅葉も美しく、妻も充実感を得られたようだった。麓のさわらびの湯から2時間で山頂まで登り、周回ルートを1.5時間で下り、温泉を楽しんでから帰宅した。

さわらびの湯近辺から

さいたまクリテリウム

ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムに行ってきた。10日程前に開催を知って、天気も良いし奥さんも行ってみたいというので昼食を取ってから出かけたのだが、13時30分頃にさいたま新都心の駅に着いた頃にはかなりの人出だった。とはいえ、無料観戦エリア(ゴール手前50メートルあたりのコクーンシティ側)でも一流選手を間近に見られて、迫力を十分に楽しめた。今期限りで引退するバルベルデとニバリが先頭で逃げている姿や、残り一周を切って後続に追いつかれたときに手を取り合ったというアナウンスが印象的だった。