飯嶋和一著「汝ふたたび故郷へ帰れず」(小学館文庫)を読んだ。先月「雷電本紀」を読み終えた時に、飯嶋和一は今年はあと一冊だけを選んでゆっくり読もうと決めていたのだが、つい手が伸びてしまい、言い訳がましく表題作だけを読んで、所収の他の2作は読まずにいたのだが、野反湖で風雨に降り篭められた車の中で「スピリチュアル・ペイン」と「プロミスト・ランド」も読んでしまった。デビュー作の後者は熊を撃つマタギの話しだが、自分が小学校2年生の思い出ぶかいひと夏を過ごした山形県の西川町が舞台となっていた。西川町には母の実家や伯父伯母の家があり、妹の出産のために自分と弟を預かってくれたので、夏休みをまるまる従兄姉たちと遊び暮らすことになったのだが、自分にとっては今も忘れられない大切な思い出がぎっしりと詰まった夏になった。あの夏の数年後には祖父母が他界し、何を話しかけられているのか方言が全く分からずショックを受けた大叔父や大叔母も他界し、お世話になった伯父伯母もここ数年で他界したが、自分にとっての心の「故郷」の一つである場所と飯嶋和一のデビュー作にちょっとした縁が感じられて、嬉しかった。読み終えた後で野反湖を一周し、東京に戻る前に野反湖休憩舎でコーヒーを飲んだところ、熊の牙と爪をぶら下げたストラップが売られていたので、思わず購入してしまった。
野反湖
紅葉の野反湖に日帰りで出かけてきた。良く当たる天気予報が晴れの予報だったので、朝4時30分に東京を出て8時前には野反湖に着いたのだが、昨年の10月に来た時と同様に雨交じりの強風が吹き荒んでいて、激しく動く雲の下で波立つ湖面がソラリスの海を思わせるような光景だった。
車の中で朝食を取り、いずれ晴れるだろうと車の中で本を読み始めたら惹き込まれてしまい、結局12時30分頃に雨が止むまで読み続けてしまった。その後、2時間ほどで野反湖を回る約10キロの散策路を一周しながら何枚か写真を撮った。時折小雨がパラつき、青空は殆ど見られなかったが、静かな湖畔の紅葉を楽しむことができた。
中動態の世界 意志と責任の考古学
國分功一郎著「中動態の世界 意志と責任の考古学」(医学書院)を読んだ。購入してから1年以上も積読の状態だったのだが、著者の「100分de名著 エチカ」(NHK出版)を読んで、やはり世評高いこの本を読んでみたいと改めて思い、重い腰を上げることになった。しかし、読み始めてみると、自分のような門外漢にも分かり易く書かれた文章で、章立てを短く区切り、前章のまとめを各章の冒頭に配するなど、読者への親切な配慮が行き届いていて、骨のある内容であるにもかかわらず、短時間で読み進めてしまった。自分なりに受け取ったこの本の問題意識は、これからいろいろなものと繋がっていくように感じているのだが、まずは、昨年読んだ小松美彦著「『自己決定権』という罠」(現代書館)で論じられた自己決定権というコンセプトの問題、あるいは、「僕がほしいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです」(村上春樹著「海辺のカフカ」(新潮文庫))といった個人の「自由」を守る生き方との関係で、折に触れてゆっくりと考えていきたいと思う。
ゲルハルト・リヒター展
東京国立近代美術館で「ゲルハルト・リヒター展」を観た。月に一度くらいは美術館に足を運んでいるのだが、ひとりの作家を特集した企画展を観たのは久しぶりで、作家の個人史や時代の移り変わり思い起こしつつ、取り組みの変化や広がりを考えながら作品を観て回る楽しさを味わうことができた。1960年代から1980年代の初期の作品は少なかったと思うのだが、そこから1990年代以降の、特に2010年代の力強いアブストラクト・ペインティングに至る静かなパワーにやはり魅力を感じた。自分はカメラを肩から提げつつ写真は撮らなかったのだが、撮影自由ということもあって、写真を撮る人が非常に多く驚いた。絵葉書でも買って帰ろうかと思ったのだが、ショップの混雑具合も尋常ではなく、記憶だけを持ち帰ることにした。
2022年9月は30キロ+Bike+Walk
2022年9月の月間走行距離は30キロだった。Bikeは20km/500mUPを1回乗っただけで、Walkは4時間程度の散歩が3回。写真を撮りながら散歩をする愉しみ(Central Tokyo, North)に時間を取られてランニングが疎かになったということだろうか。。涼しくなってきたのでランニングを増やしたいし、寒くなる前にBikeも楽しみたい。秋にはハーフマラソンを走れる身体にしたいと思っていたのに、来年までお預けになりそうだ。