始祖鳥記

飯嶋和一著「始祖鳥記」(小学館文庫)を読んだ。去年の秋に日経新聞の文化欄の紹介記事でこの小説を知り、数日後に書店を回った時はどこも売り切れだったので、代わりに「出星前夜」を求めて読み、この作家に敬意と好意を抱いた。飯嶋和一の小説では、該博な知識に裏付けられた昔の人たちの暮らしを囲む様々な物たちの細部の描写に魅せられ、気骨ある登場人物のキャラクターに泣かされる。「始祖鳥記」では、エンジンのないメーヴェに乗った幸吉が天明の日本に風を巻き起こす。その風の余韻が、飯嶋和一の想像力と語り口に乗って、この令和の世の中でも多くの人たちの心の中で確かに吹いている。そう思って、また泣かされた。

東海道見附宿

八割方読み進んだ「始祖鳥記」のメインキャラクターである浮田幸吉のお墓や旧居跡が近くにあると知り、出張の仕事を終えた後、JR東海道線磐田駅から3キロほど離れた東海道見附宿を訪れた。駅前でタクシーに乗り、自身も磐田の出身で「卓球の水谷くんや伊藤美誠ちゃんも見附の同じ小学校の出身だし、長澤まさみやEXILEのAKIRAもこのあたりの出身」だと話す運転手さんに、「鳥人」浮田幸吉を知っているか聞いてみたところ、知らないとのことだった。気が早い梅雨明け直後の炎暑の中、広くはない大見寺の墓所で幸吉の墓が分からず歩き回っていると、車で待っていた運転手さんがスマホで検索した写真を見ながら出てきて、一緒にお墓を探してくれた。やっと探し当てた幸吉の墓は、小さな墓だった。近くにあるはずの旧居跡も場所が分からず、和菓子屋で名物の粟餅を買い求めながら尋ねると、郵便局を挟んで隣の家の辺りだったらしい。以前は看板があったのだが、壊れてしまい撤去されたと聞いた。帰りの新幹線の車中で仕事を忘れて「始祖鳥記」の続きを読み進め、帰宅してその日のうちに読了した。どうやら幸吉のお墓が何処にあるのか、確実なところは分からないらしい。「永遠の中に消えた」幸吉を想えば、生前の足跡を辿ることは無用かもしれないが、いつか幸吉や源太郎が生まれ育った八浜にも行ってみたいと思っている。

琉球展(東京国立博物館)

東京国立博物館で特別展「琉球」を観た。義父が奄美大島出身で、義母も両親が奄美大島出身なので、妻は大島との縁が深く、我が家の子供たちも半分は奄美の血を受け継いでいる。そんな縁もあって琉球展を観に行ったのだが、やや物足りなさを感じてしまった。琉球の歴史や文化に関する自分の知識が不足しているからなのだが、ひとつひとつの展示物に魅力を感じるものの、その展示物を関係性の中に位置付けられない、想像力や物語を立ち上げたいのに立ち上げられない、そんなもどかしさを感じていたのかもしれない。かつて日本と中国の間でバランスを取りながら存在した琉球王国という国に、どんな文化があり、それがどんな運命を辿ったのか、2022年の問題意識の中で琉球に向き合うことができない自分の力量不足が歯痒い。そんな感想を抱いた展覧会だった。会場には若い人たちも多く訪れていて、琉球への関心の高まりを感じた。

先生とわたし

四方田犬彦著「先生とわたし」(新潮文庫)を読んだ。由良君美が書いた「吉里吉里人」の文庫版あとがきを読んでこの本のことを思い出し、数日で読み上げた。自分が駒場に通った時期は由良君美が退官する直前の時期だったのだが、当時は「ニューアカ」が持て囃され、由良君美の存在感は希薄だったように思える。自分も十人並みに浅田彰や中沢新一、あるいは蓮見重彦や見田宗介の本は何冊か読んだが、残念ながら由良君美の文章を読んだはっきりとした記憶がない。さらに残念なことに、自分はこの本にあるような師弟関係が駒場に存在することすら知らなかったように思う。授業に出ず、均せば2、3日に1本のペースで映画館に通い、興味の趣くままに濫読する気儘な2年間に得たものは大きかったと思うが、触れられず、学べなかったものの大きさを改めて省みさせられた。自分は四方田犬彦の良い読者ではないのだが、この本は駒場に通う子供たちに薦めておこうと思う。

吉里吉里人

井上ひさし著「吉里吉里人(上・中・下)」(新潮文庫)を読んだ。長年気になりつつも、500頁を超える文庫が3冊という分量に多少二の足を踏み、5、6年前に購入した上巻だけが本棚に積まれていたのだが、読み始めてみると10日ほどで読み終えてしまった。東北弁含有臨場感横溢的ビートに乗せられて、読むスピードが上がったのだろうか。昨年から井上ひさしの戯曲、エッセイ、小説をいくつか読んだが、その文体や視点の振れ幅の広さに励まされた気がする。そういえば、こまつ座には何が掛かっているのだろうかと思ってウェブページを見てみると、8月に「頭痛肩こり樋口一葉」を演るようで、これは観に行こうかなぁ。