東京芸術劇場でエリアフ・インバル指揮/東京都交響楽団のベートーヴェン交響曲第9番を聴いた。インバル/都響の演奏はマーラーのCDは聴いてきたもののホールで演奏を聴くのは初めてで、第九ということもあり、どちらかというとシッカリと構築しながら前進していく迫力のある音楽をイメージしていたのだが、前半、特に第三楽章は、フレーズの柔らかな語尾に音楽を慈しみつつ育んでいる余韻が感じ取れるような、五月のように若々しく香しい演奏に思えた。ソリストと合唱団がステージに上がった後の四楽章は、厚みのある力強い低弦の上にオーケストラとソリスト、合唱の響きが伸びやかに立ち上がって、今年もまた年の瀬に第九を聴くことができたことへの感謝や充実を感じさせてもらった。過去数年の間に聴いた年末の第九の演奏の中では、音楽の幸福感を一番感じられた第九だったかもしれない。
文楽鑑賞教室・絵本太功記(国立劇場)
国立劇場の文楽鑑賞教室で「絵本太功記 夕顔の段・尼崎の段」を観た。ここ一年ほど演劇を何度か観て来た中で、俳優よりも抽象度が高い人形の演技はどんな感じなのだろうと興味が湧いて、文楽初心者にも楽しめそうな公演のチケットを購入したのだが、人形も然ることながら、太夫の語りや三味線のリズムと音色に魅了された。大衆的なストーリーは突っ込みどころや余白が多く、江戸の庶民も茶々を入れながら観ていたようにも思えるのだが、語りと音楽に煽られながら動き回る人形の姿には迫力があって、小さな小屋で想像力に優る観客を前に演じたら大いに盛り上がりそうな気がした。そういえば四半世紀ほど前にアジアのいくつかの国で人形劇を観た折に、技術の継承の大事さを感じた記憶があるが、日本の文楽は若い世代の方々に脈々と技が継承されているようで、どこかのライブハウスか小劇場で太夫の熱い語りと三味線のビートが絡み合う新作文楽を楽しめるような機会があるかもしれない、と期待してしまったりした。
梅干カレー、もやしサラダ、牡蠣ラーメン
このブログを始めた時に「食事/meal」というカテゴリーを作ったのだけれど、今までひとつも投稿がなかった。料理やお酒は大きな楽しみで関心事とはいえ、こんな料理を食べたとか、このお酒が美味しかったとか、素敵な食事をしたといったことを書き始めると限りがないような気もする。なので、このカテゴリーにどんな投稿をするのかは考えものなのだけれど、10分程度で作れる3つの料理(梅干カレー、もやしサラダ、牡蠣ラーメン)を取り上げた3つの短編を集めた「料理本」を紹介することから始めたいと思う。梅干カレーや牡蠣ラーメンは、このコロナ禍で始まった在宅勤務のお家で簡単ランチに最適かもしれない。ご興味があれば、こちらをどうぞ。
歌わせたい男たち(二兎社公演46)
東京芸術劇場シアターイーストで「歌わせたい男たち」(作・演出:永井愛)を観た。数日前にチラシを見た時には、いわゆる「君が代不起立問題」を取り上げた芝居であることすら知らず、題名や二兎社(永井愛)とキャストの名前だけを見て残り僅かだったチケットを手に入れたのだが、期待に違わずパワフルに味わい深い芝居だった。2005年の初演や2008年の再演のときは、国旗や国歌に関する議論が喧しく、芝居も少しヒリヒリした感じだったのではないかと想像するけれど、時を経た再演では、難しい状況におかれた人間の悲劇と喜劇をより純粋に芝居として楽しめたような気がする。もちろん難しい状況がなくなったわけではなく、日本でも、あるいは香港やミャンマーでも、多くの人たちがそれぞれに難しい状況に立たされているのだけれど。芝居の途中から、ミチルはどんな「君が代」を演奏するのだろう、清志郎や「存在の耐えられない軽さ」のロックバンドの向こうを張るようなシャンソン版を演奏するのか、ちょっと気になっていたのだけれど、そうではない余韻のある幕のおろし方が素晴らしく素敵に感じられた。
2022年11月は20キロ+Hike+Walk
2022年11月の月間走行距離は20キロだった。先月末に今月はせめて50キロは走りたいと書いていたのだが、この為体である。お散歩写真も新大久保、高田馬場、目白、池袋、大塚、新大塚とそれなりに歩いてはいるのだけれど、ランニングに気持ちが向いていないのか。仕事がまあまあの忙しさで週末が何度か潰れる中で、高尾山と棒の嶺に登り、お散歩写真で新大久保、高田馬場、目白、池袋、大塚、新大塚と歩き回り、さいたまクリテリウムに行ったり、写真を見にギャラリーに行ったり、舞台も2本見て、コンサートにも出かけてと、それなりに遊んでいるので、やはりランニングの優先順位が低いということなのだろう。ちょっとお散歩写真のペースを緩めようと思っているので、来月は多少は走行距離が伸びるだろうか?