東京芸術劇場シアターイーストで「たわごと」(作・演出:桑原裕子)を観た。芝居が観たいなぁと思って数日前に東京芸術劇場のサイトから選んでチケットを購入し、WEBのインタビュー記事や「荒れ野」の戯曲も読んで、どんな芝居だろうと楽しみにして出かけたのだが、期待に違わない練られた脚本・演出と味わい深い役者さんたち、心地よい美術や音楽といった芝居ならではの魅力を味わえて満ち足りた心持ちである。頼りにならないけれど頼らざるを得ない言葉の「たわごとさ」を巡る芝居は、姿を見せず言葉を話さず鈴を鳴らすだけの老作家の長大な遺言を動力として展開し、老作家が遺灰となり海に散骨される日に終わるのだが、その身体を見せない老作家が書いた遺言の言葉(と鈴の音)の質量や速度と、生身の役者が発する言葉の質量や速度の違いが、言葉だけのテクストとは異なる芝居の魅力を映し出しているようにも思えた。台詞と動きに満ちた役者たちの芝居の密度と老作家の存在感の余白の広さが対照的で、「荒れ野」の戯曲から受けたある種の緩いオフビートな空気感の面白さとはやや異なる、アンバランスな緊張感がもたらす動きや流れの魅力があるようにも感じた。老作家のテクストを愛したと言いつつその身体の死を痛切に悼む解子役の松金よね子が、老作家に久世光彦をイメージしていたとアフタートークで話していたが、自分にはまだ老作家の具体的なイメージが湧いていない。今日の観客は良い雰囲気だったと思うけれど(思ったよりも年齢層がやや高めだったかも)、皆さんどんなイメージを持たれたのだろうか。
小説の技法
ミラン・クンデラ著、西永良成訳「小説の技法」(岩波文庫)を読んだ。小説論を読むことはあまりなく(思いつくのは保坂和志の小説論くらいだろうか)、クンデラの作品も、随分以前に「存在の耐えられない軽さ」と「冗談」を読んだだけなのだが、この2冊はいずれも印象深く、特に前者は映画を何度か繰り返し観ていたり、西永良成と千野栄一の日本語訳の違いを強く感じた記憶もあって、書店の書棚で偶々見かけた本書を手に取って購入した。クンデラの独特の小説のスタイルがどこから来るものなのか、翻訳をどう考えているのか、そもそも小説というものをどう捉えているのかなどなど、いろいろと考える切っ掛けをもらえる楽しい読書だった。自分は本に線を引いたりしない人なのだが、本書は読み進めながら気になった箇所の上に✓印を書き込んでいったところ、やはり第1部に印が多く付けられていた。クンデラの小説、あるいは本書で論じられているブロッホやカフカを読みたい気持ちもありつつ、本書と同時に購入した「巨匠とマルガリータ」を読み始めようか、ちょっと悩んでいる。
2023年11月は20キロ+Walk
2023年11月の月間走行距離は20キロだった。言い訳ができない感じで、12月に気合を入れるしかない、そのためにはやはりレースの予定を入れようかなぁ。
雑司ヶ谷、東池袋、護国寺
寒い日だったが、午前中からお昼過ぎにかけて護国寺、雑司ヶ谷、東池袋を散歩した。長いこと歩いたり走ったりしてきたエリアで、新鮮味はないかもしれないが、愛着はある。VoiglanderのNokton 23mm F1.2をX-T5に付けて出かけたのだが、お粗末なことにピントが甘い写真が多かった。。また改めて写真を撮る機会があると思うけれど、今回の写真はこちらから。曇り空だったこともあってか、今回は珍しく多くの写真をPRO Neg. stdのフィルムシミュレーションで現像した。

ねじまき鳥クロニクル(小説)
「ねじまき鳥クロニクル」の舞台を観てから1週間ほどで村上春樹の原作(新潮文庫)を読了した。出版直後に単行本を購入して読んだ後で一度は再読しているはずだが、最後に通読してから15年以上は経っていると思う(そういえば、三女から学校の国語の先生が作った推薦本リストに入っている村上春樹作品はこの作品だけだと聞いたことがある。そのときは再読してみようと思ったのだが、結局手に取らなかった。)。複雑な小説を前に簡単なコメントをすることは憚られるのだが、読了して最初に思いを巡らせたのは、第1部から第2部と第3部では肌触りが違うという点だった。出版の時期も1年以上ずれており、メインストーリーとして描かれた時間の長さも異なるのだが、状況に流れが生じて主人公が「能動的」になったことと、文章の視点の切り替わりが増えたことは関係しているのだろうか。次に頭に浮かんだのは、「善い暴力」はあるのだろうかという疑問かもしれない。それは「悪い暴力」があるのかという疑問でもあり、「善さと悪さが混じり合った暴力」があるのかという疑問でもある。作品の中では、暴力の不可避性や(権力の)強さや弱さに関する言及はあっても、善悪への言及はなかったのではないか。20代で読んだ時よりは落ち着いて読めているように思えるのだが、それでもこの作品に正面から素直に向き合えているのか自信がない。もう少し時間をかけてゆっくりと読んで考えてみようと思って、そんな気持ちを忘れないように、今日は使い捨てではない長く使えるライターを買ってみた。いつか使うかもしれないバットを買ってみても良かったのだけれど。