今井俊介 スカートと風景(東京オペラシティ アートギャラリー)

東京オペラシティ アートギャラリーで「今井俊介 スカートと風景」を見た。コンサートまで時間があったので、母と一緒に入り、大きな絵画の前でソファに腰かけてしばらくのあいだ色彩が躍る平面を眺めた。「きれいな色ね」「朗らかだね」「あの絵のあの色とこの絵のこの色は少し違う」などと絵を見ながら「分からないね」という母に、「自分も分からない」と答えつつ、それでも心地の良い時間が過ぎて、母と美術館に来るのは数十年ぶりで、もう一緒に来ることもないかもしれないと思ったりしていた。数日して、大手町の地下道で前を歩く女性のプリントスカートが歩くリズムにあわせて揺れ動く様子を見ながら、「何を描くべきか」という問いに向き合う中で、ふと目にした知人のスカートを見て瞬間的に「これを描けば良い」と腑に落ちた、という作家の言葉を思い出した。

再びヤン・リシエツキ

東京オペラシティで東京交響楽団・東京オペラシティシリーズ第132回を聴いた。お目当てのヤン・リシエツキが演奏するショパンのピアノ協奏曲第2番は、高い集中力を感じさせる熱演で、クシシュトフ・ウルバンスキが指揮する東京交響楽団もタッチやテンポを変化させるピアノの息づかいに寄り添った美しい演奏だったと思う。コンサートは10年ぶりという母親も一緒に聴いたのだが、久しぶりのオーケストラやピアノの響きを楽しんだようだった(耳に馴染んだ新世界の演奏が特に良かったらしい。)。余談だが、コンサートの前に伯父の納骨式に母親と出掛けた車の中でフランソワのピアノ協奏曲第2番の録音を流したのだが、この時も、第1番と比べて殆ど聴く機会がない第2番にも心に沁みる演奏があるんだなぁ、と改めて感じさせられた。

ルトスワフスキのチェロ協奏曲

東京文化会館で東京都交響楽団第973回定期演奏会を聴いた。ルトスワフスキのチェロ協奏曲を初めて聴いたのだが、明晰で解像度が高い大野和士・都響のカラーが出た金管を中心とするパートと、即興性が醸し出すズレやブレを含むチェロを中心とするパートとの対照がスリリングで、片山杜秀の愉しい紹介文の力もあってか、思わず身体が前のめりになるような気持ちの昂る演奏だった。現代曲は難解そうに思えて敬遠しがちだけれど、この演奏を聴いたことでこの曲との距離が一気に縮まったように思える。本邦初演のタネージのタイム・フライズは、第3曲(Tokyo)はやや硬い演奏といった印象を受けたけれど、第2曲(Hamburg)が素敵だった。エニグマ変奏曲も締め括りに相応しい味わい深い演奏だった。

半蔵門・麹町・市ヶ谷

カメラを提げて半蔵門麹町市ヶ谷を散歩した。番町エリアということで、何となくX-Pro2にXF23mmF2をつけて持っていくことにした。天気予報では晴れるはずだったのだが、途中で激しいスコールのような大雨が降りだし、30分ほどだろうか、麹町四丁目の交差点で雨宿りをすることとなった。昔の人もこういうときは近くの軒先を借りて、泡のような考えごとでもしながら雨宿りをしていたのだろうか、などと思いながら、ザワザワとした雨音を聴きながら地面で大げさに跳ね返る雨粒や空から次々と降りてくる雨脚をぼーっと眺めていたのだが、何とはなしに、こういう時間が大切なんだろうな、という気がしてきた。しばらくすると、空は嘘のように晴れ上がった。

Fujifilm X-Pro2 / XF23mmF2 R WR

ヤン・リシエツキ

東京文化会館(小ホール)でヤン・リシエツキのリサイタルを聴いた。4年ぶりに足を運べることになった東京・春・音楽祭の今年の公演の中で、ふとしたきっかけ(こちら)で知ったこのリサイタルを一番楽しみにしていた。Poems of the Nightと題されたショパンのエチュード(op.10)とノクターンを交互に弾く目新しいプログラムに、別れの曲あたりまでは異なる文体を織り交ぜた村上春樹の長編小説のような愉しみを感じていたのだが、エチュード第4番、ノクターン第7番と進むにつれて演奏は凄みを増していき、Intermission までの前半12曲をノクターン第13番で弾き終えた時には、ヤン・リシエツキが全身で鍵盤から削り出した生々しいショパンの存在が目の前に立ち上がる様に完全に圧倒されていた。声部を繊細に描き分けた個々の楽曲の演奏の力強さや鮮やかさと、一曲毎に異なる楽曲の風景のコントラストがもたらす陰影が、多面的で立体感のあるショパンの姿を説得力をもって描き出していたように思う。こんなにピアノが近くに感じられる演奏は、もしかしたら20年前にポリーニのドビュッシーを聴いたとき以来かもしれない、そんなことを思ったりもした。