ラ・ボエーム(文京区民参加オペラ CITTADINO歌劇団)

改修を終えた文京シビックホールで文京区民参加オペラ CITTADINO歌劇団第21期公演「ラ・ボエーム」を観た。縁があってチケットを購入して出掛けたのだが、期待していた以上に素晴らしい演奏だったと思う。キャストをオーディションで選び練習を重ねて年に一度の公演を行う企画が、昨年は新型コロナで公演中止になってしまったようであり、二年越しで温めてきた公演ということになるのだろう。ソリストもオーケストラも区民参加の合唱も息の合った演奏で久しぶりのオペラを楽しむことができた。個人的には二幕のムゼッタのアリアや四幕のコルリーネのアリアが印象深かった。この公演をS席4000円の価格で提供して頂けるのは大変有難いことで、会場には家族と一緒に小学生や中学生が来場している姿も多く見受けられた。2001年から続いているこの企画を来年以降も是非続けて頂きたいし、来年の「椿姫」にも足を運びたいと思う。

神舞の庭(宮崎県立芸術劇場)

東京芸術劇場シアターウエストで「神舞の庭」(作:長田育恵、演出:立山ひろみ)を観た。先週の北九州芸術劇場の芝居に続く地方発信の芝居で、宮崎県立芸術劇場が2016年度から行っている約1か月間の宮崎滞在で作品創作を行う「新 かぼちゃといもがら物語」の第7回公演にして初の東京公演である。2時間余りの芝居を観終えて、背筋が伸びるような印象を受けた。10人の登場人物それぞれに作り手が時間をかけて丁寧に向き合った誠実さが感じられるからだろうか、あるいは書き込み語り込むことを恐れずに観客に向かうパワーに打たれたからだろうか。神塚山の祖先や神様が神舞の庭に下りて来るように、芝居の祖先や神様が舞台に下りて来るような、そんな清々しく悦ばしい空気を感じられたように思う。
余談だが、劇場で頂いた公演パンフレットの記事で、弘前劇場の長谷川孝治が今年1月に亡くなったことを知った。演劇に疎い自分は、6年前にNHKのハイビジョン特集「上京~故郷に背を向けて~」の再放送で弘前劇場を知り、すぐに長谷川孝治の「地域と演劇 弘前劇場の三十年」を買って読んだ記憶がある。三女の本棚にあったこの本を手に取ってパラパラと読みながら、弘前劇場の芝居を観られなかったことを残念に思っている。映像でも良いので、観られないだろうか。

君といつまでも(北九州芸術劇場+市民共同創作劇)

東京芸術劇場シアターイーストで「君といつまでも」(作・演出:内藤裕敬)を観た。北九州芸術劇場が2012年から行っている「Re:北九州の記憶」プロジェクトで高齢者の方々の話しをもとに若手劇作家が創ってきた89作の戯曲をモチーフとして、新たに街の記憶の物語として執筆上演される新作戯曲ということで、北九州にも親戚が暮らしていたという九州出身の妻と一緒に出掛けてきた。約100分の上演時間で北九州を語り尽くせるはずもないとはいえ、手際よく北九州の街の成り立ちを紹介しつつ、選ばれたいくつかのエピソードを織り交ぜながら舞台は進むのだが、そこにはプロジェクトが10年間にわたって重ねてきた厚みがあって、演じる役者さんたちも皆さん魅力的で、100分がとても短く感じられた。このプロジェクトや北九州芸術劇場を応援したい気持ちになるし、そういえば妻は松本清張の「或る『小倉日記』伝」が好きだったなどと思い出しながら、北九州を訪ねてみようかという気持ちになったりもした。個人の記憶と家族の記憶、それよりも大きな共同体の記憶といったものの関係性についても少し考えてみたいと思ったりもしている。

2023年2月は70キロ+Walk

2023年2月の月間走行距離は70キロだった。これに加えて週末に10歳、8歳、5歳の3人の甥っ子と1時間ほどミニサッカーをして遊んだのだが、これが一番心拍が上がったかもしれない。体の大きさや多少のボール捌きで面目は保ったものの、Stop &Goの繰り返しはなかなかキツくて、遠くに転がっていったボールは走ることを苦にしない甥っ子たちに取ってきてもらっていた。ランニングは、妻が来シーズンのマラソンを完走(5時間切り?)を目標に走ってみようかと言いだしているので、自分も対応できるようにもう少し月間走行距離を伸ばしておこうかと思ったりしている。

群像短篇名作選(1946-1969)

群像短篇名作選(1946-1969)(講談社文芸文庫)を読んだ。1年程前に神保町の書店にふらりと入って水村美苗の「日本語で読むということ」などの文庫本数冊と一緒に「群像短篇名作選」3冊をレジに持って行ったところ、1冊2300円(3冊で6900円)という文庫本らしくない価格に「おっ」と思ったのだが、引っ込みもつかずに購入し、本棚に積んであった最初の1冊を引っ張り出してきて読んでみたのだが、作家18人の18篇を年代順に並べたアンソロジーを読むのは初めてかもしれず、一人の作家の短篇集を読むのとはまた違った興味深さを感じられたように思う。1946年から1969年の18篇を読んで感じたのは戦争の存在感かもしれない。それは戦争を直接扱った作品だけでなく、戦争が登場しない1969年の「骨の肉」(河野多恵子)や「蘭を焼く」(瀬戸内晴美)にもある種の「不在」あるいは「軽さ」や「寄る辺なさ」の感覚として影を落としているように感じる。1970-1999年と2000-2014年の2冊からはどんな印象を受けるのか、また、時代が下るほど読んだことがない作家の短篇が増えるので、初めて出会う作家の文章に触れられることも楽しみだ(今回初めて読んだ原民喜の文章は刺激的だった。)。