伊福部昭とショスタコーヴィチ(井上道義/NHK交響楽団)

NHKホールで井上道義指揮/NHK交響楽団の演奏で伊福部昭のシンフォニア・タプカーラとショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴いた。滑らかなモノクロームの美しくグロテスクで不条理な夢の中に誘い込まれて彷徨うようなショスタコーヴィチの第1楽章に魅了され、その後の楽章も時折その余韻を感じながら、75歳とはとても思えない井上道義のエネルギッシュな指揮から紡がれるN響の演奏を楽しむことができた。ショスタコーヴィチの複雑さに少し触れられたように思えた悦ばしい経験だった。ショスタコーヴィチの前に演奏された伊福部昭の交響曲も素晴らしかったが、音楽を聴きながら、日本・アイヌの音楽がオーケストラという表現の手段を得たのか、オーケストラが日本・アイヌの音楽という表現の素材を得たのか、「非西洋音楽」の立ち位置について考えさせられてしまった。コンサートの後で渋谷駅に向かう坂を下りながら、自分自身が、伊福部昭よりもショスタコーヴィチの演奏により繋がりを感じイメージを喚起されていたように思えて、音楽に止まらず、日本人としての在り方について考えさせられることになった。

高尾山と棒の嶺

ワンゲル部に入った三女の影響を受けてか、山登りとは縁遠い妻が?0年ぶりに高尾山に登ってみたいと言い出したので、休日にふたりで高尾山に登ってきた。ところが妻は少し物足りなかったようで、もう一回山登りに行きたいということで、随分以前に購入してあったハイキング本を紐解いていくつか候補を挙げたところ、棒の嶺が良いということになり、2週続けて山登りに出かけることになった。飯能から20キロほど秩父方面に入った棒の嶺は、沢沿いの岩登りもあり、紅葉も美しく、妻も充実感を得られたようだった。麓のさわらびの湯から2時間で山頂まで登り、周回ルートを1.5時間で下り、温泉を楽しんでから帰宅した。

さわらびの湯近辺から

さいたまクリテリウム

ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムに行ってきた。10日程前に開催を知って、天気も良いし奥さんも行ってみたいというので昼食を取ってから出かけたのだが、13時30分頃にさいたま新都心の駅に着いた頃にはかなりの人出だった。とはいえ、無料観戦エリア(ゴール手前50メートルあたりのコクーンシティ側)でも一流選手を間近に見られて、迫力を十分に楽しめた。今期限りで引退するバルベルデとニバリが先頭で逃げている姿や、残り一周を切って後続に追いつかれたときに手を取り合ったというアナウンスが印象的だった。

はじめての、牛腸茂雄(渋谷PARCOほぼ日曜日)

渋谷PARCOのほぼ日曜日で「はじめての、牛腸茂雄」を観た。牛腸茂雄の写真を観るのは「はじめて」ではない。何度か数枚の写真を観たことはあり、その一度見たら忘れられない名前の字面が記憶に刻まれていたのだが、肝心の写真は思い出せなかった。NHKの日曜美術館「友よ 写真よ 写真家 牛腸茂雄との日々」を観て、渋谷まで写真を観に出かけることにしたのだが、期待に違わず、今回は牛腸茂雄の写真が深く記憶に刻まれることになった。特に写真集「SELF AND OTHERS」を構成する写真の展示は、写真集のページを捲るように一枚一枚を眺める時間を重ねていくと、牛腸茂雄が被写体を見た時間と、被写体が牛腸茂雄を見返した時間が、自分が写真を見る時間とまじり合って、じわじわと牛腸茂雄が愛しんだ写真と人生の切実さが伝わってくる。モーツァルトのクラリネット五重奏を感じた。最後の写真は、狙って撮った写真というよりも、たまたま授かった写真のようにも思えるけれど、友人として今回の展示のために丁寧なプリントを作った三浦和人のコメントを聞いてから観ると、この写真が撮れたこと、そしてこの写真集の最後に配されたことに心を寄せたくなる。複雑なところや、奇を衒ったところもない、ストレートな写真に見えるのだが、身体的な病疾や障碍と共にあった牛腸茂雄が情熱や愛情やユーモアを持って立ち向かった姿が記録されていて励まされた。

2022年10月は20キロ+Hike+Walk

2022年10月の月間走行距離は20キロだった。野反湖の湖畔を周回したり、都内を散歩したりしながら写真を撮り歩くなど、多少は体を動かすことがあったとはいえ、また、再度足首を捻挫して大事を取っていたとはいえ、月間20キロはちょっと反省している。気温が涼しくなって走り易いのだが、これから寒くなると足が外に向き難くなってくる。いきなり100キロに戻す気持ちにはならないかもしれないけれど、来月は50キロは超えていきたいと思う。