大竹伸朗展(東京国立近代美術館)

東京国立近代美術館で「大竹伸朗展」を観た。そこまで気になってはいなかったのだが、会期末間近になってNHKの「21世紀のBUG男 画家 大竹伸朗」の再放送を観たことで俄然観に行きたくなり、即座にチケットを購入して最終日に出掛けてきた。何というか、大量の物たちが大竹伸朗を通過して作品になっていくその流量、時間、情熱のボリューム感に打たれると共に、その作品や物たちの多弁かつ雄弁でどこか静謐な存在感に眩惑される場所だった。また、特に冒頭に展示されていた初期の作品たちから印象を受けた悩みや試行錯誤の跡にも勇気づけられた。足を運んで良かったと思うし、若い世代を中心に多くの人たちが来ていたことも嬉しかった。今日で会期末を迎えてしまい、子供たちに足を向けるよう薦められなかったことが少し残念だ。

2023年1月は65キロ+Walk

2023年1月の月間走行距離は65キロだった。月半ばに再度アキレス腱を痛めて10日間ほど走れなくなってしまったことを考えると、まずまずのペースだろう。正月に実家で両親と観た箱根駅伝で、父親や妹の母校である中央大学(今年、近所に法学部が引っ越してくる。)が活躍していた姿に刺激を受けたのかもしれない。ランニングとは関係ないけれど、箱根駅伝の番組で放映されたサッポロビールのCMで反田恭平が最愛の箇所と言って弾いたショパンのピアノコンチェルト第1番第1楽章終盤の再現部の数小節が、妻が好きな箇所と一緒だったという話を妻にしたことから、この箇所が好きになったのはN響アワーで聴いた若いピアニストの演奏だった、あの曲の最高に素敵な演奏だったという話になり、ネットで調べてみたところ、このピアニストがヤン・リシエツキで、今年の春祭で来日することを知って、チケットを購入することができた。4月7日のコンサートが楽しみである。

三枝伸太郎 Orquesta de la Esperanza

としま区民センター多目的ホールで「三枝伸太郎 Orquesta de la Esperanza x Akiko Nakayama」の公演を聴いた。新聞の折り込み広告で開催を知り、2019年夏の三枝伸太郎&小田朋美の公演を三女と聴きに行ったり、ちょっと大変だった2021年に一番聴いた音楽はおそらくCRCK/LCKSのTemporaryだったり、あるいは会場が建替え前に子供達のピティナで何度か訪れた場所だったりと、いろいろご縁を感じたこともあって出かけてきたのだが、期待していた楽曲やアンサンブルの魅力に止まらず、其々が抜群の技量と個性を備えた演奏者たちのソリスティックな魅力にも溢れた素敵なコンサートだった。(演奏と響き合う中山晃子のAlive Paintingもって魅力的だった。)会場で購入したCDも聴いてみたが、やはりライブでの生音の魅力には代え難いものがある。できれば今度はブルーノートとかで聴いてみたいなぁ、と思ったりもした。

祈り・藤原新也(世田谷美術館)

世田谷美術館で「祈り・藤原新也」を観た。藤原新也に四半世紀遅れてカメラと共にアジアを1年間旅したことがあるのだが、当時もその後も藤原新也とはあまり接点がなかった。我が家にも「印度放浪」や「メメント・モリ」はあって、子供たちは手に取っているようだが。NHK日曜美術館の「死を想え、生を想え。写真家・藤原新也の旅」を観たからか、あるいは生者と死者が行き交う「わが町」の芝居を観て戯曲を読んだからか、世田谷美術館に足を運んでみたのだが、意外にも藤原新也の絵画に心を惹かれた。藤原新也の写真には、異質なものと格闘して掴み取ろうとするようなある種の気迫や緊張を感じるのだが、絵画には自分の身体が発する微かな声を自由に描いた優しさがあるように思えた。写真の中では、東アジアの田舎の風景や引退直後の三浦百恵の写真に同じ通路から吹き上げてくる空気が感じられるような気がする。生と死が鬩ぎ合い交じり合う様を写真に焼き付けた藤原新也の中で、人知れず鬩ぎ合い交じり合ってきた異質なものの存在に触れたようで興味深かった。

わが町(東京演劇道場)

東京芸術劇場シアターイーストで「わが町」(作:ソーントン・ワイルダー、演出・翻訳:柴幸男)を観た。上演機会が多い有名な作品らしいので戯曲を読んでから行こうかと思いつつも、チケットを購入したのが直前だったので間に合わず、ネットで見つけた英文の第一幕を斜めに読んだだけで観ることになったのだが、斬新な演出であることはすぐに分かった。生者は役者が人形を受け渡しつつ入れ替わりながら演じ、死者も役者が入れ替わりながら演じられる。第二幕のジョージとエミリーの場面は人形が登場する映像に役者がアテレコを入れ、第三幕の後半のエミリーの台詞は複数の役者がタイミングを微妙にずらしながら発声するため言葉があまり良く聞き取れない。キャラクターが特定の役者の身体と結びつかず、戯曲の言葉が劇場に浮遊しているような印象を受けた。改めて戯曲(鳴海四郎訳)を読んでみると、台詞はほぼ同様でも、随分と違った芝居が感じられる。1938年2月4日のヘンリー・ミラー劇場での「わが町」の初演は、当時としては革新的な芝居だったらしい。その歴史を受け継ぐ斬新で独創的な「わが町」を観られたことを嬉しく思う一方で、鳴海四郎の訳者あとがきや水谷八也の訳注を読みながら、今回の芝居とはまた違った「わが町」を観てみたいとも思っている。100年前よりも生者と死者のコントラストがかなり薄められ、また「わが町」と呼べる空間も失われつつある時代と向き合おうとすると、もはや「わが町」の芝居にはならないのかもしれないけれど、そんな芝居も観てみたいと思う。