国立新美術館で「蔡國強 宇宙遊-〈原初火球〉から始まる」を観た。入口のそばにある「Return to Darkness」の静謐な深さを感じさせる作品とその制作風景映像を観て、現代美術と東洋の鮮やかな交差に目も心も奪われたのだが、展覧会を通しての印象はそうした整った理解や共感の枠組みを超えるもので、むしろ自分とは異質で遠く隔たった感性や熱量を感じるものだった。その意味でも、貴重な経験だったように思える。蔡國強が北京オリンピックの花火の演出を手掛けたことすら知らず、国立新美術館のHPを観て「面白そう」と思っただけで出掛けたのだが、「面白い」の枠に収まらない面白さだった。
新宿三丁目から西早稲田
猛暑の中、日和下駄ならぬ日和”ベアフット”MERRELLを履いて、新宿三丁目、東新宿、若松河田、牛込柳町を散歩してきた。20,000歩の長い散歩の締め括りは、50年ほど前に木造から今の鉄筋コンクリートの建物に建て替えられた戸山ハイツで、同時期に建てられた同じような造りの団地で育った自分には何処となく懐かしさが感じられ、また、人の気配が感じられないひっそりと静まりかえった佇まいに、老いの寂しさを感じつつも、ある種の安らぎを覚えたりもした。

一週間後、また猛暑の中、早稲田と西早稲田の散歩に出掛けた。早稲田大学とはあまり縁がなかったのだけれど、この街の雰囲気には惹かれるものがある。何と言うか、庶民の逞しさと学問の力がスクラムを組んでいるような、そんな気持ちのよさを感じる。東大を選ばずに早稲田に行った高校の同窓生や後輩の顔を思い出しながら、早稲田の魅力についてちょっと考えさせられた。

余談だが、今回も写真を撮った環状4号線の延伸予定箇所を、3年前の夏にも写真に撮っていた。工事は今も目に見えて進んではいないのだが、延伸される場合、突き当たりの巨木の下にトンネルを通して不忍通りに接続するらしい。そのとき、あの木はどうなるのかなぁ。

Fujifilm X-T4 / Fujifilm XF56mmF1.2 R
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開
アーティゾン美術館で「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」を観た。セザンヌ、マネ、ゴッホ、ゴーギャン、ルドン、モネの並びで始まる第一室から見応え溢れる作品が連なり、解説も充実していて、力の籠った展覧会だった。20世紀初頭のパリの熱気を感じさせる作品も、戦後アメリカの経済力を感じさせる作品も、初めて出会う作品も、再会できた作品も、それぞれに魅力を感じたが、今日は、クレーの「Vision of Garden」、菅井汲の「赤い鬼」、イサム・ノグチの「独り言」、それから津上みゆきの作品に足が止まった。こうした作品に身近に接することができるのはとても有難いことで、美術館に感謝したい。あと、知的障害があって声や足音をたてる若者と前後して鑑賞する場面があったのだが、スタッフの方は温かい姿勢で接していて好感が持てた。そんなこともあって、作品を観たり解説を読んだりしながら今回は図録を買って帰ろうと思っていたのだが、サンプルのページを捲っているうちに、やっぱりまたここに来て作品を観ることにしようと思いなおしてしまい、代わりに家族に千疋屋のケーキを買って帰った。
2023年7月は20キロ+Walk
2023年7月の月間走行距離は20キロだった。結局7月下旬まで左足ハムストリングの痛みが去らず、その後ゆっくり走り始めてからも5キロまでに止めている。5キロのジョギングでも左腿にやや違和感が残っているように感じるので、徐々に距離を伸ばしていこうかと思っているけれど、来月も50キロ程度止まりかもしれない。それにしても暑い。すっかりご無沙汰なので長くは泳げないけれど、プールに行ってみようかなぁ。
メトロノーム・デュエット(奏劇Vol.3)
よみうり大手町ホールで「奏劇Vol.3 メトロノーム・デュエット」を観た。音楽と朗読のアンサンブルというコンセプトに興味を持って出掛けたのだが、一流の俳優の朗読にはイメージを喚起する力があることに気付かされて、詩や散文のストレートな朗読の魅力を味わってみたいと感じている。音楽と言葉の美しい出会いといえば、自分にとっては、オペラやミュージカルというよりも、矢野顕子のピアノと歌声、小田朋美が歌う日本の現代詩、ロッド・スチュワートとジェフ・ベックとかが思い出されて、それとは異なる形のケミカルに大いに興味はあるのだけれど、鮮やかに全体を描き出しながら流れていく音楽と、それよりもスローで時として鈍重な言葉をどう響き合わせるのか、音楽を言葉に寄せるのか、その逆なのか、まるで異なるテンポを併存させるのか、なかなか一筋縄ではいかなさそうに思える。難しいことは抜きにして、久しぶりにスネークマンショーでも聴いてみようかなぁ。