盛岡・遠野・花巻・平泉

奥さんと二人で盛岡、遠野、花巻、平泉を周る3泊4日の旅行を楽しんだ。盛岡市と地元の文京区が友好都市ということもあって出掛けたのだが、東京とは異なるスケールの広がりや、中央との距離を保った文化の在り方など、岩手県の魅力を感じられた旅行だったと思う。それから温泉も、自分は特に藤三旅館の「白猿の湯」を味わい深く感じた。毎年購入している盛岡市黒川のリンゴ園を訪ねたり、ホームスパンのニットやジャケットを購入したり、岩手の方とのちょっとした触れ合いも嬉しかった。好天にも恵まれたが、今年の東北は9月に入っても日中は30度を超える暑さで、真昼の散策は多少身体に堪えた。

遠野、カッパ淵の近くで
花巻、羅須地人協会の跡地から宮沢賢治の「下ノ畑」を望む

2023年8月は60キロ+Walk

2023年8月の月間走行距離は60キロだった。軽い肉離れ?の故障からの回復中で、1日5キロしか走らなかったので距離は伸びなかったし、負荷をかけないスローペースだったけれど、大分回復が感じられてきたので、来月は少し距離を伸ばしてみようと思う。故障防止を考えて購入したGEL-KAYANOを来月から使ってみようと思っている。

親の顔が見たい

東京芸術劇場シアターウエストで劇団昴公演「親の顔が見たい」(作:畑澤聖悟、演出:黒岩亮)を観た。弘前劇場の公演を観られないまま長谷川孝治は亡くなってしまったけれど、畑澤聖悟の戯曲がかかると知って奥さんを誘って劇場に出掛けた。教室に集めれたそれぞれ多少戯画的に誇張されたキャラクターの親たちが、突然の訪問者や展開の変化に揺れ動きながら、いじめ自殺を巡って言葉を闘わせる一幕物の脚本には、偶々乗り合わせた親たちが想定外の激流をラフティングボートで下っていくようなタイトさがあって、緻密に作り込まれている印象を受けた。役者さんたちもそれぞれに魅力的なキャラクターで、楽しみながら息つく間もなく観終えた印象なのだが、それだけに、舞台上でこの舞台限りのどんなケミカルが生まれていたのか、できればもう一度観てみたいと思ったりもしている。いじめについては、5人の中学生が1人の同級生をいじめて自殺に追いやった事件が背景にあるのだが、いじめの原因がもっぱら親にあるとは思えなかった。親たちの誇張された性格は多かれ少なかれ誰の中にもあるもので、むしろいじめがエスカレートしていく前に気付けなかったのか、止められなかったのかという思いが残り、芝居の中で直接的には描かれていない各家庭の中での家族の様子やこれからが、芝居を観終えた後で大きな余白として浮かび上がってきているように感じている。

甲斐荘楠音の全貌

東京ステーションギャラリーで「甲斐荘楠音の全貌」を観た。20代後半に描かれた「あやしい」作品には強烈なインパクトがあるけれど、それよりも印象深かったのは、多くの作品から感じた線の表情の豊かさだった。絵画やデッサンに止まらず、映画の衣装、ポスター、映像などもあり、展示されていた沢山のスクラップブックに綴じられた多種多様な印刷物や写真の饒舌さから作家の人柄を想像することも楽しかった。大正から昭和初期の絵画作品にはパリのベル・エポックとの同時代性に思いを馳せてしまうのだが、この時期に多感な時期を過ごした作家が、40代を迎えた1930年代後半に絵画を離れて大衆のための映画に活動の場を移し、そして晩年に至って、20歳の頃に描いた二つの大作のうち、一つの大作を絵画と映画の技で練り上げた豪華でありながらも寂びのある色彩で彩られた「虹のかけ橋」として完成させ、もう一つのピエタを思わせる大作「畜生塚」には手を入れなかった、そんな作家の生き方にも想像を膨らませることになった。甲斐荘楠音の「全貌」に触れることは難しいけれど、その人生にいろいろな角度から思いを巡らせるきっかけに満ちた素敵な展覧会だった。余談だが、甲斐荘が衣装を手掛けた「雨月物語」のドイツ語のポスターが格好良かった。デザイナーのハンス・ヒルマンは「羅生門」や「七人の侍」のポスターも手掛けているようで、ポスターとか画集とか探してみようかなぁ。

肝高の阿麻和利

文京シビックホールで「肝高の阿麻和利」東京公演を観た。15世紀半ばの三山統一時代の勝連半島を舞台とする「沖縄版ミュージカル」なのだが、何よりの特色は、出演者全員が勝連半島のある沖縄県うるま市在住の中高生であること、そしてこのミュージカルが2000年の初演から世代交代を繰り返しつつ絶えることなく350回も再演を続けていることだ。奥さんに誘われて出掛けたのだが、若い人たちの磨き上げたダンスと歌と表情の輝きがシンプルに心を撃つ素晴らしい舞台だった。故郷の歴史と伝統芸能「組踊」を豊かに取り込んだ舞台を真直ぐに創り上げる中高生の姿から、故郷を持つということについて改めて考える切っ掛けをもらえたように思う。そろそろ親世代が出演していた二代目の世代にかかる頃かと思うけれど、三代目、四代目と続いていきそうな気がした。