東京芸術劇場シアターイーストでチェルフィッチュ×藤倉大 with アンサンブル・ノマドの「リビングルームのメタモルフォーシス」(作・演出:岡田利規)を観た。音楽と演劇が対等な関係を結ぶ作品というコンセプトや、改修後の東京芸術劇場の芸術監督となる岡田利規の作品といった点に惹かれて出掛けたのだが、睡眠不足の体調もあってか、残念ながらそこまで没入することができなかった。アフタートークで岡田利規が「演劇は考えながら観るけれど、音楽はなるべく考えないようにして聴く」と言っていたように、重ねられる言葉を追いかけながら味わう散文と、言葉よりもダイレクトに全体を一瞬で示しながら進む音楽は、必ずしも相性が良くはないようにも思える。音楽と言葉を対等に合わせようとするならば、やはり詩であり、歌であり、矢野顕子や小田朋美のことを思い出したりするのだけれど、今回の舞台は歌を排して演劇と音楽に対等な関係を持たせる試みで、チャレンジングだと思うのだけれど、その関係を十分に味わった手応えは得られていない。岡田利規の舞台や藤倉大の音楽に接してきていないので、もう少し経験値を上げてから観てみたい気もする。その時は別の作品かもしれないし、俳優と楽員の配置が対向関係になったり、ノマディックになったり、あるいは即興の要素をクローズアップしてみたり、いろいろなチャレンジがあり得たりするのかもしれない。
仮想的な失調
東京芸術劇場シアターウエストで円盤に乗る派の「仮想的な失調」(演出:カゲヤマ気象台、蜂巣もも、作:カゲヤマ気象台)を観た。狂言の「名取川」と能の「船弁慶」に基づいて、未来から振り返る現代(?)を舞台として、独特のテンポと抑揚で異化された台詞と動作で舞台が進行していく様子には、(能とは違った方法で)異なる時空を接続するユニークな味わいがあったと思う。名前(この舞台ではどうやら一つ)を失くすことと取り戻すこと、静御前が犬であること、能と比較した余白のバランス(ムサシ丸がかなり話すこと)、タイトルの理由など、まだ捉えきれないことも多いけれど、パーティーのシーンの美しさや、なとり/ムサシ丸を演じた日和下駄の独特の存在感などなど、魅力的な舞台だったと思う。今年6月に観たモダンスイマーズの「雨とベンツと国道と私」に続く3000円の舞台で、お値段を大きく上回る満足感だった。
金沢・白川郷・鳥越城跡
シルバーウィークに奥さんと金沢を旅行し、その後ひとりで高山、白川郷、鳥越城跡、白山比咩神社、湯涌温泉を駆け足で回ってきた。金沢は街歩きも楽しかったが、銭屋での夕食がお料理も仲居さんとの会話も思い出深い時間となった。早朝に高山を発って出掛けた白川郷はフォトジェニックで、今回の旅行で撮った写真の半分は白川郷の写真だった。鳥越城跡と二曲城跡は、訪れる人もなく、百姓の持ちたる国の終焉を見届けた16世紀末の人たちの姿に、静かにゆっくりと思いを馳せることができた。時折震災の爪痕に触れることはあっても、全体としては、経済的にも文化的にも豊かで、一国として完結した独立国的な加賀を感じる旅行だったと思う。



東京シティ・フィル第372回定期演奏会
東京オペラシティでの高関健が指揮するTCPOの第372回定期演奏会でブルックナーの交響曲第8番を聴いた。第1稿・新全集版ホークショー校訂での演奏ということで、中学生の時にこの曲の総譜を初めて手に入れたという高関健のオタク的博識のプレトークを楽しんでから演奏を聴いたのだが、心に沁みる豊かな時間を過ごすことができた。指揮のことも演奏のことも良く分からないけれど、おそらく高度な技術を駆使しながらも基本的なことを大切に磨き上げて全身で音楽を伝えようとする渾身の指揮と、これを全て漏らさず感じ取って応えようする楽員の引き締まった演奏の一体感が、逞しい音でブルックナーの音楽の凄みを築き上げ掘り下げていく様に、聴覚からも視覚からも、そしておそらく会場に満ちた第六感からも心を動かされた。演奏の個性を追求するというよりも、基本に立ち返って音楽を追求することが結果として演奏の個性に繋がっていくような、そんな真っ当な力強さの中からヨーロッパの音楽が鳴り響いてくるような気もした。終演後の盛大な拍手からは、そんな演奏を心から悦び感謝する気持ちが感じられた。
東京都交響楽団第1008回定期演奏会
東京芸術劇場で大野和志が指揮する東京都交響楽団第1008回定期演奏会を聴いた。1曲目はポール・ルイスをソリストに迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番で、透明感のあるピアノが印象深かった。改めてベートーヴェンの若さを感じる曲だと思いながら、以前に聴いたチョ・ソンジンとサロネン/フィルハーモニアの演奏を思い出したりした。2曲目は生誕200年を迎えたブルックナーの交響曲第7番で、自分の中では巧みな包丁さばきで美しい料理を生み出す印象がある大野和志/都響が、ブルックナーのどんな響きを聴かせてくれるのか楽しみにしていたのだが、第1楽章からそんな御託は忘れて音楽に没入してしまった。第2楽章の繰り返すモチーフを聴きながら、東北や信州の風景、Landscape、地形、山や盆地とそこでささやかに暮らす樹々や生き物の遠景を思い描いたりもした。6月のインバル/都響のブルックナーとはまた違った趣があり、音楽を聴きながら深いところに下りていく魅力を感じる、素晴らしい熱演だったと思う。