義父母と夫婦で余市と小樽に出掛けてきた。余市では、ホテルLoopでワインと料理を楽しみ、ニッカウヰスキー余市工場を見学し、小樽では、運河や境町通りを散策し、似鳥美術館を訪れ、銀鱗荘の眺望と食事を楽しんだ。初めて北海道を訪れた義母や妻は雪景色を楽しんだようだった。2泊3日の短い旅行だったけれど、思い出深い良い旅になった。



ところで、小樽は義父にとっては石原裕次郎の街で、子供たちにとっては山口一郎の街かもしれないけれど、自分にとってはやはり岩井俊二の「Love Letter」の街である。
義父母と夫婦で余市と小樽に出掛けてきた。余市では、ホテルLoopでワインと料理を楽しみ、ニッカウヰスキー余市工場を見学し、小樽では、運河や境町通りを散策し、似鳥美術館を訪れ、銀鱗荘の眺望と食事を楽しんだ。初めて北海道を訪れた義母や妻は雪景色を楽しんだようだった。2泊3日の短い旅行だったけれど、思い出深い良い旅になった。
ところで、小樽は義父にとっては石原裕次郎の街で、子供たちにとっては山口一郎の街かもしれないけれど、自分にとってはやはり岩井俊二の「Love Letter」の街である。
トリフォニーホールで井上道義が指揮する新日本フィルのマーラー交響曲第3番を聴いた。マーラーの3番を生オケで聴くのは初めてなのだが、力のこもった作品で、平和祈念という音楽祭のテーマにも沿う曲に感じられた。新日本フィルを聴くのも久しぶりだったのだが、前日のTCPOよりも洗練されたオケという印象を受けた。井上道義の指揮も活力に満ちていて、やはり引退が惜しまれる。5月の日フィルとのショスタコーヴィチや都響との公演を楽しみにしている。
東京オペラシティでTCPOの第368回定期演奏会を聴いた。シベリウスの「タピオラ」は、オケの音の鮮やかさというか生々しさに強い印象を受けた。墨痕淋漓たる演奏とでも言うのだろうか、撓やかな筋肉が生み出す丁寧に磨かれたフレーズの始まりと終わりそして重なり合いに音の美しさを感じた。マーラーの5番は、2年前に聴いた大野和志と都響の演奏とはある意味で対照的な印象を受けた。煌びやかな料理が次々と展開する都響の演奏と比較すると、TCPOの演奏は、それぞれの具材に丁寧な仕事と下味を付けてまとめ上げた一皿の料理を5楽章かけて味わっていくような、丁寧な鈍さのようなものを感じる。今回の演奏も素晴らしかったのだが、むしろ、今は丁寧な鈍さを磨き上げる下地を鍛え蓄えた段階で、この道筋の先にさらなる高みがあることを指揮者も楽員も(聴衆も)信じてアタックしている熱量が感じられて、数年後のさらに進化したTCPOのマーラー5番を聴いてみたいと思わせられた。これで3年連続でTCPOのシーズン最後の定期演奏会を聴いたことになる。来シーズンは、2022年のサントリー音楽賞受賞コンサートで聴いたマーラー7番を再び聴く機会がありそうで、TCPOの定期演奏会に何度か足を運んでみたいと思っている(プレトークも楽しみにしている。)。会場で購入した2022年3月のマーラー9番のCDも、じっくりと聴いてあの演奏会を思い起こしてみたい。
Intercommunication Centerで「Tribute to RYUICHI SAKAMOTO」を観た。コンサートの前に立ち寄って、比較的小規模な展示を観たのだが、冒頭の「センシング・ストリームズ 2023-不可視・不可聴」の展示を20分ほど眺めてしまった。細かい線やパターンやスパイクが渦巻き、流れ、変化する大画面の画像と、中音から低音の成分が多い周期の異なる複雑なノイズが流れる作品で、作品解説では電磁波を可視化・可聴化するプロジェクトと説明されているのだが、その初めて触れる視覚や聴覚のイメージを、10分から20分の時間をかけて自分の中の語彙と結びつけようとすると、電磁波という自分にとっては抽象度が高く遠い世界ではなく、むしろ自分の身体の中の細胞や神経のコミュニケーションを可視化・可聴化するとこういった画像や音響になるのではないかという気がしてきた。思っていたよりも若い世代の来場者が多く、シアターのプログラムはチケットが完売で、坂本龍一の人気の高さが窺えた。