金沢・白川郷・鳥越城跡

シルバーウィークに奥さんと金沢を旅行し、その後ひとりで高山、白川郷、鳥越城跡、白山比咩神社、湯涌温泉を駆け足で回ってきた。金沢は街歩きも楽しかったが、銭屋での夕食がお料理も仲居さんとの会話も思い出深い時間となった。早朝に高山を発って出掛けた白川郷はフォトジェニックで、今回の旅行で撮った写真の半分は白川郷の写真だった。鳥越城跡と二曲城跡は、訪れる人もなく、百姓の持ちたる国の終焉を見届けた16世紀末の人たちの姿に、静かにゆっくりと思いを馳せることができた。時折震災の爪痕に触れることはあっても、全体としては、経済的にも文化的にも豊かで、一国として完結した独立国的な加賀を感じる旅行だったと思う。

金沢城公園の極楽橋(金沢御坊跡)
白川郷 荻町城跡展望台
鳥越城跡

東京シティ・フィル第372回定期演奏会

東京オペラシティでの高関健が指揮するTCPOの第372回定期演奏会でブルックナーの交響曲第8番を聴いた。第1稿・新全集版ホークショー校訂での演奏ということで、中学生の時にこの曲の総譜を初めて手に入れたという高関健のオタク的博識のプレトークを楽しんでから演奏を聴いたのだが、心に沁みる豊かな時間を過ごすことができた。指揮のことも演奏のことも良く分からないけれど、おそらく高度な技術を駆使しながらも基本的なことを大切に磨き上げて全身で音楽を伝えようとする渾身の指揮と、これを全て漏らさず感じ取って応えようする楽員の引き締まった演奏の一体感が、逞しい音でブルックナーの音楽の凄みを築き上げ掘り下げていく様に、聴覚からも視覚からも、そしておそらく会場に満ちた第六感からも心を動かされた。演奏の個性を追求するというよりも、基本に立ち返って音楽を追求することが結果として演奏の個性に繋がっていくような、そんな真っ当な力強さの中からヨーロッパの音楽が鳴り響いてくるような気もした。終演後の盛大な拍手からは、そんな演奏を心から悦び感謝する気持ちが感じられた。

東京都交響楽団第1008回定期演奏会

東京芸術劇場で大野和志が指揮する東京都交響楽団第1008回定期演奏会を聴いた。1曲目はポール・ルイスをソリストに迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番で、透明感のあるピアノが印象深かった。改めてベートーヴェンの若さを感じる曲だと思いながら、以前に聴いたチョ・ソンジンとサロネン/フィルハーモニアの演奏を思い出したりした。2曲目は生誕200年を迎えたブルックナーの交響曲第7番で、自分の中では巧みな包丁さばきで美しい料理を生み出す印象がある大野和志/都響が、ブルックナーのどんな響きを聴かせてくれるのか楽しみにしていたのだが、第1楽章からそんな御託は忘れて音楽に没入してしまった。第2楽章の繰り返すモチーフを聴きながら、東北や信州の風景、Landscape、地形、山や盆地とそこでささやかに暮らす樹々や生き物の遠景を思い描いたりもした。6月のインバル/都響のブルックナーとはまた違った趣があり、音楽を聴きながら深いところに下りていく魅力を感じる、素晴らしい熱演だったと思う。

2024年8月は30キロ

2024年8月の月間走行距離は30キロだった。先月31日から痛風が始まり、数日後には身動きが取れなくなってしまい、やっと回復した頃に痛みが再発して、結局20日過ぎまで全く運動ができなかった。月末に5キロを4回と10キロを1回走って30キロである。1か月間お酒を飲まなかったので、体重が少しは減るかと思ったのだが、家から出ずに動かなかったせいもあってか、変化なし。2017年からお世話になってきたEPSONのGPSウォッチが、ついに来年3月でEpson Viewのサービスを停止するということで、9月からGarminのお世話になることにした。GPSウォッチも新しくなるので、少しは気合を入れてきたいと思う。

インタビュー・木村俊介

木村俊介著「インタビュー」(ミシマ社)を読んだ。坂本龍一の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んだ後で久しぶりに谷中の「古書木菟」を訪れて購入した鶴見俊輔の「埴谷雄高」を今年の春になって読んでから、埴谷雄高の作品をいくつか読むと共に、木村俊介の「変人 埴谷雄高の肖像」を読んだことが切っ掛けとなって、その後の木村俊介の仕事が気になり、「善き書店員」と「仕事の小さな幸福」を読んだ。この3冊に掲載された木村俊介のインタビューは読みやすい。取材対象者の雰囲気や人柄を想像しつつ、その話す内容や語り口を味わうことができる。この3冊と比べると、インタビューをすること自体について書いたこの本は、文章に身を任せて分かったように読み進めることを許さない、何と言うか柔らかい拒絶のようなものを、特に後半について感じた。インタビューという仕事の内容について語る前半は、人の話を聞いて文章にまとめるという作業を伴う仕事もそれなりにある職業に就いていることもあり、頷きながら読み進める箇所も多かったように記憶している。前半と比べると、現在の社会におけるインタビューの困難さや、インタビューという仕事を長年続けることにより得られる可能性を巡る後半には、方向の分からない森の中をコンパスを持たずに歩き回るような、いつのまにか同じ場所に戻ってきたようで少し違う場所を歩いているような、読み終えても自分がどこに向かってどこをどう歩いてきたのか把握できず、森の匂いや雰囲気だけが記憶に残されているような印象を受けている。こうした語り口を選んだ書き手の企みを十分に味わうためには、再読、再々読が必要になるのかもしれないけれど、それはしばらく先になりそうな気がする。それまでの間に、表舞台には上がらない「へたな言葉」や「武骨な声」で語られたこと、そもそも語られなかった「無言の声」や「沈黙する人たち」の積み重なった記憶が、この本とはまた異なる形で表現された文章に出会える機会があったら、是非手に取って読んでみたいと思う。