群像短篇名作選(2000-2014)

群像短篇名作選(2000-2014)(講談社文芸文庫)を読んだ。1946年から1969年、1970年から1999年の短篇を読んできた後で2000年から2014年の短篇を読んで感じるのは、磨かれた心地よい軽さの感触だろうか。(そういえば前の2冊と比較するとページ数がちょっと少なくて軽かった。2300円という値段は一緒だけれど。)想像力の飛翔、爆発、暴走、というよりも少しばかり地面を離れて浮遊する感じ。巧みな笑いもある。併行して読んだいわゆる震災後文学と言われる川上弘美の「神様2011」や高橋源一郎の「恋する原発」にも共通する手触りを感じた。辺見庸の「瓦礫の中から言葉を」は、原民喜の「夏の花」を引いていたけれど。2015年以降の日本の短篇がどんな雰囲気を身に纏っているのか、文芸誌を買ったこともない自分には良く分からないのだが、それは書き手や出版社が作るものでありつつも、読み手が作るものでもあるはずで、一読者としては、時代がひと回りして1945年以前の状況が形を変えて近づいてきたら気付けるように、1937年から1945年あたりの短篇も読んでみようかと思ったりしている。

2023年4月は100キロ+Walk

2023年4月の月間走行距離は100キロだった。ゆっくりペースとはいえ、20キロ走や25キロ走もこなし、数か月前よりは走れるようになってきた。何度か皇居駅伝を一緒に走ったランナー繋がりのメールを久しぶりに受け取ったことから、思い立って数年ぶりにレースにエントリーしてしまった。6月のハーフマラソンで、そもそも記録は期待できず、暑さによっては大撃沈しそうな気もするのだが、何とか準備を重ねて頑張ってみたいと思う。

辻本玲チェロ・リサイタル

トッパンホールで辻本玲チェロ・リサイタルを聴いた。久しぶりのトッパンホールで、1曲目のバッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第3番が始まったときは、音の拡がりを感じる大ホールよりもダイレクトに音が耳に届くような感覚にある種の固さを感じたのだが、第二楽章のピアノの揺れる旋律に惹き込まれてからは、2曲目のメンデルスゾーンのチェロ・ソナタ第1番が終わって休憩に入るまで、あっという間の時間だった。後半はヒンデミットの無伴奏チェロ・ソナタを経て、ブラームスのチェロ・ソナタ第2番で再びロマン派の響きを堪能した。朗々とチェロを歌わせる辻本玲は、曲間のトークも楽しく、その佇まいは何となくムードメーカーでチームを引っ張る巧打の捕手といった感じ。対するピアノの津田裕也は様々な球種を使い分けるクールで熱い技巧派の投手といったところだろうか。辻本玲のチェロも素晴らしかったが、初めて聴く津田裕也のピアノにも耳を奪われた。満席の会場には適度な緊張や集中と音楽を愉しむ温かさがあって、素敵なコンサートだった。

さばかれえぬ私へ 被膜虚実/Breasing めぐる呼吸(東京都現代美術館)

東京都現代美術館で「さばかれえぬ私へ」と「MOTコレクション 被膜虚実/Breasing めぐる呼吸」を観た。宮城と福島で活動する二人の作家の作品を展示した「さばかれえぬ私へ」は、震災、復興、フクシマ、風船爆弾、原爆といった過去の事実から構成されるコンテクストを踏まえた作品で、そのためか多くの「言葉」が含まれる作品だったと思う。片や「被膜虚実」、さらに「Breasing めぐる呼吸」からは、ことばによらないコミュニケーションを感じた。サム・フランシスのリズムに身を委ねながら、モンティエン・ブンマーの箱の真中でマスクを取って深呼吸をしながら、あるいは松本陽子のアクリルのテクスチャーに惹き込まれながら、ことばに回収されないものについて思いを巡らすことになった。「さばかれぬ私へ」の竹内公太の作品には、フクシマから空に放たれ、長崎に投下された原爆のプルトニウムを製造していた工場の近くに落下した風船爆弾の落下地点を撮影した1945年当時の米軍の記録用モノクロ写真が含まれていて、乾燥した荒れ地に生えた低木に幾筋もロープが掛かった状況の背景に数名の人影が遠くを歩いてゆく様子がアウトフォーカスで写り込んでいるその写真は、計算された構図で撮影された環境アート写真のようにも見えて、そこにある撮影者や被写体の「ことばに回収されないもの」に今も想像を投げかけている。

今井俊介 スカートと風景(東京オペラシティ アートギャラリー)

東京オペラシティ アートギャラリーで「今井俊介 スカートと風景」を見た。コンサートまで時間があったので、母と一緒に入り、大きな絵画の前でソファに腰かけてしばらくのあいだ色彩が躍る平面を眺めた。「きれいな色ね」「朗らかだね」「あの絵のあの色とこの絵のこの色は少し違う」などと絵を見ながら「分からないね」という母に、「自分も分からない」と答えつつ、それでも心地の良い時間が過ぎて、母と美術館に来るのは数十年ぶりで、もう一緒に来ることもないかもしれないと思ったりしていた。数日して、大手町の地下道で前を歩く女性のプリントスカートが歩くリズムにあわせて揺れ動く様子を見ながら、「何を描くべきか」という問いに向き合う中で、ふと目にした知人のスカートを見て瞬間的に「これを描けば良い」と腑に落ちた、という作家の言葉を思い出した。