ドイツ・カンマーフィル

文京シビックホールでパーヴォ・ヤルヴィが指揮するドイツ・カンマーフィルハーモニーの演奏を聴いた。一曲目のロッシーニを感じさせるシューベルトのイタリア風序曲から、しなやかに伸縮する緻密で柔軟なネットが絶えず変化しながら音楽を紡ぎ出していくようなオーケストラ全体の一体感と、それを形作る個々の演奏者のエネルギーを感じた。二曲目のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ヒラリー・ハーンに代わってソリストを務めた樫本大進の演奏が素晴らしく、特に第一楽章のカデンツァは気迫のこもった名演だったと思う。三曲目のシューベルトの未完成では、二曲目までとは少し変わって、熟成が進んだシルキーな赤ワインの雰囲気に酔わされ、四曲目のモーツァルトの交響曲第31番「パリ」からはモーツァルトの音楽の生命力をもらい、アンコールに演奏されたシベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォには北欧の光や空気を感じた。小規模な編成のオーケストラの魅力に改めて気付かされて(木管、特にクラリネットが素敵だった!)、オルフェウス室内管弦楽団の演奏も聴いてみたいなぁと思ったりした。文京区(文京アカデミー)の年に一度の目玉企画は、昨年のコンセルトヘボウの公演も素晴らしかったけれど、今年も記憶に残る素敵な音楽を楽しむ機会を(そこまで高くない価格で)提供してくれて、地元民としてはとても嬉しく、感謝している。

小石川植物園(秋)

1年を通して24節季毎(半月毎)に小石川植物園を散歩して写真を撮ってみようと思い立ってから早いもので9か月が経とうとしている。この間、様々な植物が花期を迎えて終える様子、木の葉が芽吹き色づき散っていく様子、蜘蛛がだんだん大きくなりやがていなくなる様子など、様々な変化に触れて植物園が身近に感じられるようになった。秋は、自分にとっては春以上にフォトジェニックで、シャッターを切る回数が増えたように感じる。紅葉が進むにつれてレンズは16mm(35mm換算の24㎜)の出番が多くなった。冬の植物園はどんな様子だろう。雪が降る日もあるかもしれない。今から楽しみである。(写真はこちら



写真の山

東京都写真美術館で「巨匠が撮った高峰秀子」、「アレックス・ソス 部屋についての部屋」、「日本の新進作家 vol.21 現在地のまなざし」を観た。「巨匠が撮った高峰秀子」は、写真作品を観るというよりも高峰秀子の仕事を振り返る機会になり、何本かの映画は観てみたいと思っている。「アレックス・ソス 部屋についての部屋」からは、人を撮ることとその人の身の回りの物を撮ることの関係について考える機会をもらった。「日本の新進作家 vol.21 現在地のまなざし」は、5人の作家のいずれの展示も面白かったのだけれど、出口を出たところに展示されていた原田裕規の「写真の山」が心に残った。一般家庭からゴミとして集められた大量の「行き場のない写真」の中から数百枚程度をテーブルの上に無造作に置いて「展示」した「写真の山」は、一枚一枚手に取って眺めてみると、その大半は数十年前の見知らぬ日本人の結婚式だったり、家族旅行だったり、同窓会だったり、日常生活だったり、9割以上は人を写した写真だった。フィルムを現像してプリントしていた時代の写真の在り方や、そうした写真が「行き場をなくす」までの役割や時間の長さ、そしてデジタル化がもたらした変化の大きさについても改めて考える機会をもらった。

鶴人

座・高円寺でカムカムミニキーナの第74回公演「鶴人」を観た。TBSドラマ「不適切にもほどがある!」の中で八嶋智人が告知していたカムカムミニキーナの公演が実際の公演だったことを知った奥さんが、観客の間口が広く敷居が低そうな劇団名に惹かれていたところ、杉並区の情報誌でこの公演を知ったようで、チケットを購入した。平安京の女性を描いた今年の大河ドラマの向こうを張ってか平城京の女性を描いた芝居は、20人を超える役者が100年の歴史にわたる複数の役を演じ分け、10分の休憩を挟んで150分を超えるという大作で、歌あり、踊りあり、バカバカしいドタバタありの賑やかな芝居だった。奥さんは、こういった味わいの芝居が好きで気に入ったらしい。自分は、荒谷清水の芝居が良かったなぁ。久しぶりに高円寺に出掛けることになったのだが、商店街が元気で楽しそうなお店が多く、暮らしてみたい街だなぁと思った。

2024年11月は30キロ+Walk

2024年11月の月間走行距離は30キロくらいだった。奥久慈で走った距離が20キロあまり、あとは10.4キロしか走っていないので、トータル30キロくらい。痛風が疑われて休んだり、週末に山形に出掛けたり、冷え込んできたりでサボってしまった。12月はハーフにエントリーしているのだが、またもやDNSか。練習がてらに走ってみようとは思っているのだけれど。