東京都交響楽団第999回定期演奏会

東京文化会館で井上道義と都響の最後の演奏となる第999回定期演奏会を聴いた。1曲目のベートーヴェンの交響曲第6番「田園」は、フルオケの約半分の小振りな編成で、練り上げられた精妙なアンサンブルを演奏者の思いや息づかいが感じられほど生き生きと聴かせる室内楽的な演奏だった。第一楽章の自然の描写からその繊細で表情豊かな筆致に惹き込まれ、第三楽章以降はベートーヴェンの音楽を巡って積み重ねられてきたものと共に在る気迫が胸に迫って来て、心を深く動かされた。これからも長く記憶に残る「田園」だった。2曲目のショスタコーヴィチの交響曲第6番は、大編成のフルオケでの演奏で、自分にとっては耳馴染のない曲なのだが、1楽章の心理描写的な音楽と2楽章以降の華やかさが対照的で、後半にはコミカルな響きも感じられ、井上道義が都響との最後の演奏に選んだこの曲を、別れを惜しみつつ楽しむことができた。

N’s YARD

那須にあるエノテカのレンタルセラーまでワインの出し入れに出掛けたついでに、隣にあるN’s YARDを訪れた。那須の自然を取り込んだ広々とした庭に囲まれて、奈良美智の私設現代アートスペースがあり、5部屋の展示室に奈良美智の作品やコレクションを中心とした作品が展示されている。3年前に来た時から入れ替えられた作品も多かったが、再び会えた作品もあって、ゆっくりとした時間を楽しむことができた。晴れた日に恰好良い車で来たら、素敵なデートになりそうな場所である。

日本フィル第143回さいたま定期演奏会

ソニックシティで日本フィルハーモニーの第143回さいたま定期演奏会を聴いた。井上道義が指揮する日本フィルのショスタコーヴィチを聴いてみたいと思い、初めてソニックシティに出掛けたのだが、大宮の土地柄だろうか、都内のコンサートとくらべて聴衆層が細分化されておらず、幅広い人たちが楽しみに来られている印象を受けた。さいたまとの県境にある東京に遅れて来た地方出身者が多い団地で小学生時代を過ごした自分には、何となく懐かしさを感じた。チェロ協奏曲第2番は、生き生きとした佐藤晴真のチェロと比較して、小振りな編成のオーケストラが大人しく感じられたのだが、ほぼ2倍の編成のオケで演奏された交響曲第10番は、聴き応えのある演奏だったと思う。一昨年のN響との交響曲第9番で感じた黒漆の輝きとは微妙に異なる、打ちっぱなしのコンクリートの鏡面のような力強さのある音が、5ミリほど重心が低めのオケから放たれてくるといったところだろうか。開演前に井上道義の簡単なトークがあったり、ステージの左右に飾られた素敵な盆栽の解説があったりと、盛り沢山で楽しいコンサートだった。

東京シティ・フィル第370回定期演奏会

東京オペラシティでTCPOの第370回定期演奏会を聴いた。藤岡幸夫が指揮するオーケストラを聴くのは久しぶりで、高関健の演奏と違いが感じられるのか少し楽しみにしていたのだけれど、料理で言えば塩の効かせ方が少し違うような気がしなくもないけれど、同じ曲を聴き比べるのとは違い、正直なところはっきりとは分からなかった。今回の演奏では、特に3曲目のヴォーン・ウィリアムズ交響曲第2番でオーケストラが伸び伸びと大らかに鳴っていたように感じた。ソリストの福間洸太朗は、妻からピアノの先生の友人として名前を耳にする機会は多かったものの、演奏を聴くのは初めてで、やや硬質な透明度が高い音に感じられた。リストの曲にはやや苦手意識があって、今回のピアノ協奏曲第2番にも馴染みがないのだが、約20分の単一楽章の音楽がとても短く感じられた。アンコールのフォーレの無言歌第3番も味わい深い演奏で、ソロのコンサートにも足を運んでみたいと思った。

Last Days 坂本龍一 最期の日々

NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を観た。録画した番組を3回も繰り返して観たのは、人の死に思いを馳せる貴重な機会だったこともあるけれど、この番組から広がって舞い戻る行ったり来たりの動きを繰り返したこともある。坂本龍一の病室のテーブルに重ねられていた本の一冊がタルコフスキーの「映像のポエジア」だったので、本棚から取りだして「序章」や「音楽と騒音」などところどころを読み返し、タルコフスキーの映画を3本を観た。「ほくはあと何回、満月を見るだろう」の中でタルコフスキーの映画音楽を意識したと書かれていた「async」を何度か聴いて、どの映画だろうと思いを巡らせたり、「12」を聴いて同じことを考えたりもした。この本に登場する谷中の古本屋に出掛けた折に購入してあった鶴見俊輔の「埴谷雄高」を読み、埴谷雄高の文章もいくつか読み、埴谷雄高について坂本龍一を含むいろいろな人にインタビューをした本を読んだりもした。そんなことをしながら、また番組を観たりしていたので、3回も観ることになった。久しぶりに手に取った「映像のポエジア(Sculpting in Time)」に改めて興味を覚えたので再読してみたいし、残りのタルコフスキーの映画も観たい(「ローラーとヴァイオリン」のDVDが発売されていたことを知って、買ってしまった。)。「映像のポエジア」と一緒に重ねられていた本も読んでみたいし、坂本龍一の本棚にあったグレーバーの「負債論」も積読になってしまっている。そんなこんなで、これからも時間をかけて坂本龍一を思い出しながらの行ったり来たりを繰り返すことになるような気がする。結局のところ、自分にとって坂本龍一はまだ死んでいないのだろうと思う。