親の顔が見たい

東京芸術劇場シアターウエストで劇団昴公演「親の顔が見たい」(作:畑澤聖悟、演出:黒岩亮)を観た。弘前劇場の公演を観られないまま長谷川孝治は亡くなってしまったけれど、畑澤聖悟の戯曲がかかると知って奥さんを誘って劇場に出掛けた。教室に集めれたそれぞれ多少戯画的に誇張されたキャラクターの親たちが、突然の訪問者や展開の変化に揺れ動きながら、いじめ自殺を巡って言葉を闘わせる一幕物の脚本には、偶々乗り合わせた親たちが想定外の激流をラフティングボートで下っていくようなタイトさがあって、緻密に作り込まれている印象を受けた。役者さんたちもそれぞれに魅力的なキャラクターで、楽しみながら息つく間もなく観終えた印象なのだが、それだけに、舞台上でこの舞台限りのどんなケミカルが生まれていたのか、できればもう一度観てみたいと思ったりもしている。いじめについては、5人の中学生が1人の同級生をいじめて自殺に追いやった事件が背景にあるのだが、いじめの原因がもっぱら親にあるとは思えなかった。親たちの誇張された性格は多かれ少なかれ誰の中にもあるもので、むしろいじめがエスカレートしていく前に気付けなかったのか、止められなかったのかという思いが残り、芝居の中で直接的には描かれていない各家庭の中での家族の様子やこれからが、芝居を観終えた後で大きな余白として浮かび上がってきているように感じている。

甲斐荘楠音の全貌

東京ステーションギャラリーで「甲斐荘楠音の全貌」を観た。20代後半に描かれた「あやしい」作品には強烈なインパクトがあるけれど、それよりも印象深かったのは、多くの作品から感じた線の表情の豊かさだった。絵画やデッサンに止まらず、映画の衣装、ポスター、映像などもあり、展示されていた沢山のスクラップブックに綴じられた多種多様な印刷物や写真の饒舌さから作家の人柄を想像することも楽しかった。大正から昭和初期の絵画作品にはパリのベル・エポックとの同時代性に思いを馳せてしまうのだが、この時期に多感な時期を過ごした作家が、40代を迎えた1930年代後半に絵画を離れて大衆のための映画に活動の場を移し、そして晩年に至って、20歳の頃に描いた二つの大作のうち、一つの大作を絵画と映画の技で練り上げた豪華でありながらも寂びのある色彩で彩られた「虹のかけ橋」として完成させ、もう一つのピエタを思わせる大作「畜生塚」には手を入れなかった、そんな作家の生き方にも想像を膨らませることになった。甲斐荘楠音の「全貌」に触れることは難しいけれど、その人生にいろいろな角度から思いを巡らせるきっかけに満ちた素敵な展覧会だった。余談だが、甲斐荘が衣装を手掛けた「雨月物語」のドイツ語のポスターが格好良かった。デザイナーのハンス・ヒルマンは「羅生門」や「七人の侍」のポスターも手掛けているようで、ポスターとか画集とか探してみようかなぁ。

肝高の阿麻和利

文京シビックホールで「肝高の阿麻和利」東京公演を観た。15世紀半ばの三山統一時代の勝連半島を舞台とする「沖縄版ミュージカル」なのだが、何よりの特色は、出演者全員が勝連半島のある沖縄県うるま市在住の中高生であること、そしてこのミュージカルが2000年の初演から世代交代を繰り返しつつ絶えることなく350回も再演を続けていることだ。奥さんに誘われて出掛けたのだが、若い人たちの磨き上げたダンスと歌と表情の輝きがシンプルに心を撃つ素晴らしい舞台だった。故郷の歴史と伝統芸能「組踊」を豊かに取り込んだ舞台を真直ぐに創り上げる中高生の姿から、故郷を持つということについて改めて考える切っ掛けをもらえたように思う。そろそろ親世代が出演していた二代目の世代にかかる頃かと思うけれど、三代目、四代目と続いていきそうな気がした。

蔡國強 宇宙遊-〈原初火球〉から始まる

国立新美術館で「蔡國強 宇宙遊-〈原初火球〉から始まる」を観た。入口のそばにある「Return to Darkness」の静謐な深さを感じさせる作品とその制作風景映像を観て、現代美術と東洋の鮮やかな交差に目も心も奪われたのだが、展覧会を通しての印象はそうした整った理解や共感の枠組みを超えるもので、むしろ自分とは異質で遠く隔たった感性や熱量を感じるものだった。その意味でも、貴重な経験だったように思える。蔡國強が北京オリンピックの花火の演出を手掛けたことすら知らず、国立新美術館のHPを観て「面白そう」と思っただけで出掛けたのだが、「面白い」の枠に収まらない面白さだった。

新宿三丁目から西早稲田

猛暑の中、日和下駄ならぬ日和”ベアフット”MERRELLを履いて、新宿三丁目東新宿若松河田牛込柳町を散歩してきた。20,000歩の長い散歩の締め括りは、50年ほど前に木造から今の鉄筋コンクリートの建物に建て替えられた戸山ハイツで、同時期に建てられた同じような造りの団地で育った自分には何処となく懐かしさが感じられ、また、人の気配が感じられないひっそりと静まりかえった佇まいに、老いの寂しさを感じつつも、ある種の安らぎを覚えたりもした。

Fujifilm X-T5 / Fujifilm XF10-24mmF4 R OIS WR

一週間後、また猛暑の中、早稲田西早稲田の散歩に出掛けた。早稲田大学とはあまり縁がなかったのだけれど、この街の雰囲気には惹かれるものがある。何と言うか、庶民の逞しさと学問の力がスクラムを組んでいるような、そんな気持ちのよさを感じる。東大を選ばずに早稲田に行った高校の同窓生や後輩の顔を思い出しながら、早稲田の魅力についてちょっと考えさせられた。

Fujifilm X-T5 / Fujifilm XF16-80mmF4 R OIS WR

余談だが、今回も写真を撮った環状4号線の延伸予定箇所を、3年前の夏にも写真に撮っていた。工事は今も目に見えて進んではいないのだが、延伸される場合、突き当たりの巨木の下にトンネルを通して不忍通りに接続するらしい。そのとき、あの木はどうなるのかなぁ。

August 2020
Fujifilm X-T4 / Fujifilm XF56mmF1.2 R