上原彩子と日フィルのラヴェルPコン

東京芸術劇場でソリストに上原彩子を迎え永峰大輔が指揮した日本フィルハーモニーのラヴェル「ピアノ協奏曲」を聴いた。上原彩子のピアノは特に両端楽章のリズム感が気持ちよく、オーケストラもピアノに寄り添い、木管や金管のソロも美しく、年明けを飾るにふさわしい素敵な演奏だったと思う。個人的には、昨年夏に上原彩子と東京交響楽団のこの曲の演奏を聴いた時よりも、今回の演奏の方に様々な楽器を活躍させるラヴェルらしさを感じた。一昨年に井上道義が指揮したショスタコーヴィチの演奏を聴いたときよりも、この日の日フィルの音は新春らしく明るく柔らかく華やかな印象で、できれば今度はオーボエが活躍する曲を聴いてみたいなぁと思ったりしている。(今回の演奏は東北の夢プロジェクトin東京2026の第1部として演奏されたのだけれど、平日の日中に仕事を中断して聴きに行ったので、第1部の「こうもり序曲」とラヴェルPコンを聴いただけで、第2部以降の合唱や伝統芸能を楽しむことはできず、最後のボレロを聴くこともできなかったのは残念だった。)

想像上の妻と娘にケーキを買って帰る

東京都写真美術館で「遠い窓へ 日本の新進作家 vol. 22」、「作家の現在 これまでとこれから」、「プリピクテ Storm/嵐」の3つの展覧会を見た。久しぶりに観た石内都の<ひろしま>の写真に背筋が伸び、志賀理江子の写真のパワーに撃たれ、ベラル・ハーレドの手を失った少女の写真に胸を痛め、スクリプカリウ落合安奈の写真と言葉の響き合いにも刺激を受けたのだけれど、3つの展覧会を回って一番面白かったのは、寺田健人の作品「想像上の妻と娘にケーキを買って帰る」だったと思う。ゲイである寺田が画面に映らない想像上の妻子との日常のひとこまを演じる姿を撮影した一連の写真は、家族や性別のあり方が議論される今の日本の文脈で鑑賞され語られることも多いと思うのだけれど、自分が作品を観ながら感じたことは、何と言うか、自分が思い描くイメージに頼る人間の姿は普遍的なものではないのか、自分には妻も子供もいて、たまにはケーキを買って帰ったりもしていたけれど、その妻や子供は自分が思い描いていた妻や子供であって、自分の視線はリアルな妻や子供には届いていなかっただろうし、ある意味自分は想像上の世界の中にいるのではないかというマトリックス的な不安感で、おそらく作家の寺田はそんな目論見でこの写真を撮ったわけではなく、自分が勝手に不安を感じているだけなのだけれど、そんな副作用の現れ方が面白い。3つの展覧会で様々なアプローチの写真を観て、自分はどんな写真を撮りたいのか、ちょっと考えさせられた。

筑波山

正月3日に次女と筑波山に登ってきた。前の晩に思い立って早朝から出掛けたところ、路面に雪はないものの、首都高や常磐道から見渡す風景は一面の雪化粧で、筑波山神社にお詣りしてから向かった登山道にも雪が残っていた。ケーブルカーが動き始める前の山頂は、それほど人も多くなく、正月らしく晴れ上がった空の下、関東平野の向こうに遠く富士山や浅間山を望む絶景をゆっくりと楽しむことができた。


2025年の読書・映画・演劇

2025年に読んだ本は36冊、観た映画は39本、観た芝居は5本だった。芝居が少なかった理由は東京芸術劇場が改装中だったからかと思うけれど、読書量が少ないのは、思想系の本の読了までに時間がかかったことだけが理由ではなかったように思える。去年の正月にも「残された年月の長さを考えるといつまでも雑食を楽しんでいるだけでは悔いが残るのではないかと、毎年この時期になると反省させられる」と書いていたけれど、結局、昨年も興味の趣くままに雑食系の楽しみ方をしてしまった。今年は、正月にゆっくり時間を取って2026年の過ごし方について考えてみたし、読書にもある程度テーマを設定してみたので、来年の正月には、1年間で摂取・吸収できたものの質や量が向上したような気がする、といったコメントを書けるように頑張ってみようと思う。

2025年12月は101キロ+Walk

2025年12月の月間走行距離は101キロだった。100キロを超えたのは2024年10月以来のことで、もっともこの時は会津西街道を歩き走りした51.6キロが含まれているので、実質的にランニングで100キロを超えたのは何と2023年4月以来ということになる。来年2月と3月にハーフマラソンを走る予定で、ペースを上げることは望めなさそうだけれど、歩かずに完走するくらいのことはしたいので、来月もそれなりに距離を走りたいと思っている。