トレヴァー・ピノック/紀尾井ホール室内管弦楽団

東京文化会館小ホールで、東京・春・音楽祭の「トレヴァー・ピノック指揮 紀尾井ホール室内管弦楽団」を聴いた。トレヴァー・ピノックの名前を知ったのは高校2年生の夏に村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだときだった。主人公がレンタカーの中でトレヴァー・ピノックのブランデンブルクを聴いていた。その後でピノックのブランデンブルクを図書館かどこかで探して聴いてみたのか、今となっては記憶がないけれど、おそらくリヒターやカザルスの録音も探してみたんだろうと思う。ブランデンブルクは何故か年末年始に聴くことが多い。我が家のCD棚にはレオンハルトの録音しか見当たらないので、毎年レオンハルトを聴いてきたのだろう。前置きが長くなったけれど、今日の演奏はブランデンブルクの第3番とゴルドベルク変奏曲で、後者がメインのプログラムだった。ゴルドベルクは繰り返しを省略しない演奏で、第15変奏と第16変奏の間に休憩が入った。活き活きとした弦楽も素晴らしかったけれど、木管(特にクラリネット)の演奏が印象深かった。そもそも小規模なオーケストラのために書かれた曲であるかのように、それぞれの旋律がそれぞれの楽器の響きに馴染んでいるように感じられたのだけれど、やはりピアノの演奏も聴いてみたくなって、帰宅してからロザリン・テューレックの演奏を聴いた。

響きの森クラシック・シリーズVol.83

文京シビックホールでケンショウ・ワタナベが指揮する東フィルの「響きの森クラシック・シリーズ Vol.83」を聴いた。1曲目はベルリオーズの序曲「海賊」で、いつもよりもやや重心が高く、光沢のある繊細な音色で、息の長いフレーズを丁寧に歌いながら紡いでゆく音楽、といった印象を受けた。このオーケストラのロッシーニとかも聴いてみたいなぁと思ったりした。2曲目はソリストに辻彩奈を迎えたグラズノフのヴァイオリン協奏曲で、辻のやや重心が低めの落ち着いて伸びやかな音色のヴァイオリンが素敵だった。3曲目はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」で、どことなく演奏に若々しさを感じた。元気が良いとか威勢が良いというわけではなく、颯爽とした立ち姿の指揮者の影響だろうか、何割かの奏者が10歳くらい若返って演奏しているような、そんな気持ちの若々しさと嬉しさが感じられる演奏に思えた。昨年聴いたチョン・ミュンフン/東フィルや井上道義/都響の田園も素晴らしかったけれど、今日の演奏もまた違った魅力に溢れた素晴らしい演奏だったと思う。

小石川植物園(冬から春)

24節季毎に小石川植物園を散歩して写真を撮る遊びも、ついに啓蟄で一周を完了した。1年を通して訪れてみると、季節の移り変わりを感じるし、あの樹やこの草花が親しく感じられるようになってくる。冬は、乾いた空気と澄んだ光、葉を落とした木々の樹影が印象的だった。春は、梅に始まる印象もあるけれど、あの深く豊沃な土の中で始まっているような気もする。カメラ遊びは、再びCentral Tokyo, Northに戻ろうかと思っていて、小石川植物園に通う回数は減るかもしれないけれど、これからも年間パスを購入して定期的に訪れてみようと思っている。小石川植物園の写真はこちら





東京シティフィル第377回定期演奏会

東京オペラシティで高関健/TCPO/TCPO CHORが演奏するヴェルディのレクイエムを聴いた。フォーレやモーツアルトのレクイエムと比べても、この曲はあまり聴いておらず、手元にある録音もトスカニーニ/NBC(1943年)だけで、このCDも最後に聴いてからおそらく10年以上も経っている。けれども、チェロの下降する短い旋律で演奏が始まって、ヴァイオリンが入って来ると、その時点でもう鳥肌が立った。タルコフスキー。ノスタルジア。熱い水を渡り終えたアンドレイに捧げられる音楽。あの旋律は映画の記憶と分かちがたくて、映画館の暗闇の重力が流れ込んでくるような感覚に包まれる。そんな曖昧な意識は「怒りの日」の圧倒的な迫力に吹き飛ばされて、その後は音楽を造り上げようとする意志が形になったような高関健の指揮と、それに全力で応えるTCPOとTCPO CHORの演奏と、素晴らしいソリストの歌に運ばれていくことになるのだけれど、第9曲でも出会うあの旋律にやはりどうしようもなく心を動かされてしまう。ソプラノの中江早希の歌は素敵だったなぁ。帰宅後、余韻の覚めやらぬ中でノスタルジアを観てしまった。