東京シティ・フィル第372回定期演奏会

東京オペラシティで高関健が指揮するTCPOの第372回定期演奏会でブルックナーの交響曲第8番を聴いた。第1稿・新全集版ホークショー校訂での演奏ということで、中学生の時にこの曲の総譜を初めて手に入れたという高関健のオタク的博識のプレトークを楽しんでから演奏を聴いたのだが、心に沁みる豊かな時間を過ごすことができた。指揮のことも演奏のことも良く分からないけれど、おそらく高度な技術を駆使しながらも基本的なことを大切に磨き上げて全身で音楽を伝えようとする渾身の指揮と、これを全て漏らさず感じ取って応えようする楽員の引き締まった演奏の一体感が、逞しい音でブルックナーの音楽の凄みを築き上げ掘り下げていく様に、聴覚からも視覚からも、そしておそらく会場に満ちた第六感からも心を動かされた。演奏の個性を追求するというよりも、基本に立ち返って音楽を追求することが結果として演奏の個性に繋がっていくような、そんな真っ当な力強さの中からヨーロッパの音楽が鳴り響いてくるような気もした。終演後の盛大な拍手にも、そんな演奏を心から悦び感謝する気持ちのこもった輝きが感じられた。

東京都交響楽団第1008回定期演奏会

東京芸術劇場で大野和志が指揮する東京都交響楽団第1008回定期演奏会を聴いた。1曲目はポール・ルイスをソリストに迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番で、透明感のあるピアノが印象深かった。改めてベートーヴェンの若さを感じる曲だと思いながら、以前に聴いたチョ・ソンジンとサロネン/フィルハーモニアの演奏を思い出したりした。2曲目は生誕200年を迎えたブルックナーの交響曲第7番で、自分の中では巧みな包丁さばきで美しい料理を生み出す印象がある大野和志/都響が、ブルックナーのどんな響きを聴かせてくれるのか楽しみにしていたのだが、第1楽章からそんな御託は忘れて音楽に没入してしまった。第2楽章の繰り返すモチーフを聴きながら、東北や信州の風景、Landscape、地形、山や盆地とそこでささやかに暮らす樹々や生き物の遠景を思い描いたりもした。6月のインバル/都響のブルックナーとはまた違った趣があり、音楽を聴きながら深いところに下りていく魅力を感じる、素晴らしい熱演だったと思う。

2024年8月は30キロ

2024年8月の月間走行距離は30キロだった。先月31日から痛風が始まり、数日後には身動きが取れなくなってしまい、やっと回復した頃に痛みが再発して、結局20日過ぎまで全く運動ができなかった。月末に5キロを4回と10キロを1回走って30キロである。1か月間お酒を飲まなかったので、体重が少しは減るかと思ったのだが、家から出ずに動かなかったせいもあってか、変化なし。2017年からお世話になってきたEPSONのGPSウォッチが、ついに来年3月でEpson Viewのサービスを停止するということで、9月からGarminのお世話になることにした。GPSウォッチも新しくなるので、少しは気合を入れてきたいと思う。

インタビュー・木村俊介

木村俊介著「インタビュー」(ミシマ社)を読んだ。坂本龍一の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んだ後で久しぶりに谷中の「古書木菟」を訪れて購入した鶴見俊輔の「埴谷雄高」を今年の春になって読んでから、埴谷雄高の作品をいくつか読むと共に、木村俊介の「変人 埴谷雄高の肖像」を読んだことが切っ掛けとなって、その後の木村俊介の仕事が気になり、「善き書店員」と「仕事の小さな幸福」を読んだ。この3冊に掲載された木村俊介のインタビューは読みやすい。取材対象者の雰囲気や人柄を想像しつつ、その話す内容や語り口を味わうことができる。この3冊と比べると、インタビューをすること自体について書いたこの本は、文章に身を任せて分かったように読み進めることを許さない、何と言うか柔らかい拒絶のようなものを、特に後半について感じた。インタビューという仕事の内容について語る前半は、人の話を聞いて文章にまとめるという作業を伴う仕事もそれなりにある職業に就いていることもあり、頷きながら読み進める箇所も多かったように記憶している。前半と比べると、現在の社会におけるインタビューの困難さや、インタビューという仕事を長年続けることにより得られる可能性を巡る後半には、方向の分からない森の中をコンパスを持たずに歩き回るような、いつのまにか同じ場所に戻ってきたようで少し違う場所を歩いているような、読み終えても自分がどこに向かってどこをどう歩いてきたのか把握できず、森の匂いや雰囲気だけが記憶に残されているような印象を受けている。こうした語り口を選んだ書き手の企みを十分に味わうためには、再読、再々読が必要になるのかもしれないけれど、それはしばらく先になりそうな気がする。それまでの間に、表舞台には上がらない「へたな言葉」や「武骨な声」で語られたこと、そもそも語られなかった「無言の声」や「沈黙する人たち」の積み重なった記憶が、この本とはまた異なる形で表現された文章に出会える機会があったら、是非手に取って読んでみたいと思う。

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

東京国立近代美術館で「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」を観た。34のテーマ・コンセプトについて3つの美術館から異なる作家の共通点のある作品を持ち寄って展示するというキュレーションが面白かった。出品作家は110名ということで、多くの作家の作品に接することができたし、TRIOを組んだ作品同士の響き合いや、作家同士の(過去の歴史を通じた)繋がり、作品を購入し、また今回の展覧会のために選定した美術館(学芸員)の思いにも想像が及んだりして、様々な楽しみ方を用意してくれた展覧会だったと思う。個々の作品を取り上げてみても、藤田嗣治の「五人の裸婦」や萬鉄五郎の「裸体美人」といった有名な作品だけでなく、先日の国立西洋美術館の展覧会でも印象深かった辰野登恵子の作品や、アーティゾン美術館の「赤い鬼」を思い出させる菅井汲の「風の神」などなど、個人的には見応えのある作品が多かった。先週回顧展に出掛けたキリコの絵も、ブランクーシの頭部像の隣にあると、魅力が増すような気もした。会期末ということもあってか男女問わず幅広い世代の多くの人たちが来場していたけれど、落ち着いた雰囲気が保たれていて、ゆっくりと観て回ることができた。