中山美穂が亡くなったというニュースを見た後で、岩井俊二監督の「Love Letter」をDVDで観た。その後、夕食を食べながらだったけれど、居間のテレビでU-NEXTの配信を2回も観てしまった。もともと好きな映画で手元のDVDも何度か観ているのだけれど、今年は小樽に2回も旅行に出かけたこともあって、短い間に繰り返して観てしまったのかもしれない。以前は加賀まりこに魅力を感じたけれど、范文雀も素敵だよなぁと思って調べてみると、中山美穂と同じ歳で亡くなっていて、50代半ばで人生を終えることについて何度か繰り返して思いを巡らせることになった。
「Love Letter」を配信で観た際に、遅ればせながら岩井俊二監督が撮った「Last Letter」を知り、こちらも3回観てしまった。(「チィファの手紙」も1回観た。)50代半ばだった岩井俊二の仕事により巧みさや滋味深さを感じるのは、自分も歳を取ったからだろうか。
N響第9
NHKホールでファビオ・ルイ―ジが指揮するNHK交響楽団のベートーヴェン交響曲第九番を聴いた。年末の第九を初めて聴いたのは大学1年生か2年生の時で、家庭教師をしていたご家庭に招いて頂いてNHKホールでN響の第九を聴いた。指揮者も演奏ももう憶えていないけれど、佐藤しのぶがソリストだった。その後、子供たちがある程度育ってからはほぼ毎年いろいろな国内オーケストラの年末の第九を聴いてきた。同じ曲をコンサートで聴いた回数を数えたら、第九が間違いなく一番多いだろう。改めて考えてみると、この異形にも思える交響曲が最もよく聴かれているというのも面白い現象だと思う。作曲当時の革新性が持ち続ける勢いやパワーに加えて、耳を患ったベートーヴェンが最後に作曲したスケールの大きい交響曲で、昔から特別な機会に演奏されてきたといった物語の力もあるだろう。今回の第九は、そういったやや派手目でキャッチ―な高揚感よりも、もう少し内省的で、「楽聖」ではなく「人間」ベートーヴェンを感じさせるような、やや重心を低めに取った演奏に感じられた。そう思えたのは、時としてやや遅めに感じたテンポのせいか、アタックと比較して軽くなる演奏の語尾の優しさのせいだろうか。いずれにしてもそれぞれの奏者の確実な技量に支えられたオーケストラとしての一体感のある演奏で、やはりN響にはN響の魅力と存在感があるなぁと改めて感じた。マロ(篠崎史紀)と郷古廉の二人がコンマスとしてステージに現れた時、会場からひときわ大きな拍手が沸き上がった。マロは今年が最後のN響第九となるらしい。そんな演奏に立ち会うことができたことを嬉しく思っている。
ハニワと土偶の近代
東京国立近代美術館で「ハニワと土偶の近代」を観た。縄文時代から弥生時代を経て古墳時代に至る時期のハニワや土偶を始めとする遺物を、江戸末期から明治、戦中、戦後を経て現在に至る社会、芸術、サブカルがどのように受け止めて来たかをクロノロジカルに展示する企画で、同じ遺物がそれぞれの時代の光を当てられて異なる文脈に位置づけられる様子が興味深く、また、そうは言っても遺物そのものは同じ「もの」で、この「もの」の存在が発散する時代を通じて変わらない力、素焼きの土の素材感や丸みをおびた柔らかいデザインの持つ温かさや何処となく漂うユーモアやペーソスといったものがそれぞれの時代の人たちに語りかけてきた歴史にも思いを巡らせることになった。友達に薦めてもらい会期末に間に合って幸運だった。東博の特別展「はにわ」を見逃してしまったのは惜しまれるのだけれど。
余談だけれど、同時に開催されているMOMATコレクション展で展示されている芥川(間所)紗織の染色絵画と清野賀子の写真を観に立ち寄って、これらの作品も良かったのだけれど、近くに展示されていた石井茂雄の「戒厳状態」の前で充実した時間を過ごすことができた。
樫本大進&ラファウ・ブレハッチ
所沢ミューズのアークホールで樫本大進とラファウ・ブレハッチのヴァイオリンソナタを聴いた。モーツアルト(17番)、ベートーヴェン(7番)、ドビュッシー、武満(悲歌)、フランクというプログラムは、いずれの曲もそれぞれの個性があって楽しかったのだが、聴く機会が少なかったベートーヴェンの7番の魅力を改めて感じて、いくつか録音も聴いてみたいと思った。初めて聴いたブレハッチのピアノは、丁々発止というよりも、多彩な音でヴァイオリンに応じるやや落ち着いたトーンに感じられた。樫本大進の演奏は、数日前のドイツ・カンマーフィルとの演奏に劣らず素晴らしかったと思う。本来であれば聴き応えのある演奏だったのだが、隣の人が鼻を患っているのか常に寝息のような音を盛大に奏でていたり、同じ方向から一度ならずアメの包みを剥がして食べる音がしたり、チラシを落とす人とそれに怒る人がいたり、携帯のバイブレーションが鳴ったり、、、といった雑音に囲まれた席で、演奏に集中できず、残念なコンサートになってしまった。
ドイツ・カンマーフィル
文京シビックホールでパーヴォ・ヤルヴィが指揮するドイツ・カンマーフィルハーモニーの演奏を聴いた。一曲目のロッシーニを感じさせるシューベルトのイタリア風序曲から、しなやかに伸縮する緻密で柔軟なネットが絶えず変化しながら音楽を紡ぎ出していくようなオーケストラ全体の一体感と、それを形作る個々の演奏者のエネルギーを感じた。二曲目のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ヒラリー・ハーンに代わってソリストを務めた樫本大進の演奏が素晴らしく、特に第一楽章のカデンツァは気迫のこもった名演だったと思う。三曲目のシューベルトの未完成では、二曲目までとは少し変わって、熟成が進んだシルキーな赤ワインの雰囲気に酔わされ、四曲目のモーツァルトの交響曲第31番「パリ」からはモーツァルトの音楽の生命力をもらい、アンコールに演奏されたシベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォには北欧の光や空気を感じた。小規模な編成のオーケストラの魅力に改めて気付かされて(木管、特にクラリネットが素敵だった!)、オルフェウス室内管弦楽団の演奏も聴いてみたいなぁと思ったりした。文京区(文京アカデミー)の年に一度の目玉企画は、昨年のコンセルトヘボウの公演も素晴らしかったけれど、今年も記憶に残る素敵な音楽を楽しむ機会を(そこまで高くない価格で)提供してくれて、地元民としてはとても嬉しく、感謝している。