群馬交響楽団第592回定期演奏会

すみだトリフォニーホールで群馬交響楽団の第592回定期演奏会を聴いた。モーツアルトのピアノ協奏曲第23番は、井上道義の指揮で小編成のオーケストラが奏でる生き生きとした室内楽のようなチャーミングな音で始まったのだが、仲道郁代のピアノのテンポが遅い。2楽章の始まりもとても遅い。失礼ながら昔日のトウが立ったプリンセスのマイペースな演奏のように聴こえていたのだが、ふと、井上道義との今日の演奏を1秒でも長く続けたいという惜別の情ではないかと思い至ってから、聴こえ方ががらりと変わった。3楽章はピアノのテンポも上がり、美しい音楽だった。アンコールのブラームスの間奏曲(117₋1)も心に沁みた。メインディッシュはショスタコーヴィチの交響曲第4番で、初めてきちんと聴いたと思うのだが、音楽が流れるというよりもその場に積み重なって世界を立ち上げていくような第1楽章に魅力を感じた。それと比べると、第2楽章はやや単調に感じてしまい、その気分が第3楽章にも影響してしまったかもしれないが、しなやかな線で描き込んでいくような群馬交響楽団の音は素晴らしく、最後まで緊張感をもって演奏を楽しむことができた。演奏後、会場が明るくなっても鳴り止まない拍手に井上道義が何時ものようにユーモラスに応えていた。こんなに元気そうな「天才」井上道義が来年末で引退するのはホントウに惜しまれる。来月の読響とのマーラーの復活、来年2月のN響とのショスタコーヴィチの交響曲第13番のチケットは購入してあるが、その後もできる限り聴きに行きたいと思う。マーラーの9番をやってくれないかなぁ。

野反湖

野反湖が紅葉の時期に週末が晴れて予定が空けられる年は四年に一度くらいしかないと思うのだが、今年は日帰りとはいえ最高の一日を過ごすことできて幸せな気分である。朝5時に自宅を出て、野反湖に着いてから湖畔を一周し、栗生楽泉園に立ち寄ってから草津を訪れ、西の河原露天風呂に入り、お土産を買ってから東京に戻った。ここ数年はこうした日帰りが多いが、来年は久しぶりにキャンプ場に泊りたいと思っている。

奥武蔵自然歩道(鎌北湖・巾着田)

奥武蔵自然歩道を鎌北湖から巾着田まで往復するルートを歩いた。片道約7キロ、往復で約4時間の道のりだったが、道は整備されていて、天気にも恵まれ、丁度よいハイキングだった。巾着田の曼殊沙華祭りは終わったばかりだったが、まだ咲き残っている花もあり、楽しむことができた。

鎌北湖
巾着田にて

長島愛生園

備前焼の里で一日を過ごすことも考えたのだが、車で30分ほどの距離にあることを知り、長島愛生園を訪ねることにした(往路は八反峠の旧道を通ったが、かなり狭隘な難路だった。)。事前に予約をした歴史館でハンセン病や長島愛生園に関する展示や資料を見学し、島で亡くなった患者や職員の方々の遺骨が納められている万霊山を訪れ、島内をしばらく散策すると半日が過ぎていた。訪問に前後して神谷美恵子のエッセイ集「島の診療記録から」(平凡社)を読み進めていたこともあり、病や生き死にについて思いを巡らせることも多かったのだが、島を訪れた際に頭を占めていたのは多数者と少数者の軋轢に関わる諸々の考えごとだったかもしれない。かつて自宅の近くにハンセン病患者を療養した東京市立養育院があったことや、毎年のように足を運ぶ野反湖の近くに栗生楽泉園があることもあって、ハンセン病は学びが足りていない気がかりな事柄のひとつなのだが、東京に戻ってから、ハンセン病患者療養施設の職員には鹿児島の田舎や島の人たちが多かったらしいと妻に話したところ、奄美大島の親戚が離婚した後で瀬戸内か四国あたりの施設で職員として働いて一生を終えたらしいという話を聞いた。

長島愛生園歴史館(旧事務本館)の前から海を眺めて

備前

広島県府中市を出て福山城に立ち寄ってから備前焼の中心地である伊部で一泊した。美味しいお料理を頂きながら女将に街の見どころや備前焼のお店のことを聞いて、翌日は半日ほどかけて街歩きを楽しんだ。町中に登り窯の煙突が立ち並ぶいかにも焼き物の街で、備前焼のお店も多いのだが、静かで落ち着いている。次は奥さんも一緒に訪れたいと思ったので、今回の買物はぐい呑み1つと角皿1枚、それから地元の地酒1本に止めることにした。

伊部の街
南大窯跡の陶片の山の上から眺める備前焼の里