東大前・後楽園・本郷三丁目

良く晴れた連休の中日に東大前後楽園本郷三丁目の散歩を楽しんだ。今回はX-T5にXF33mmを付けて出かけたのだが、自分には50mm相当の画角は街歩きの散歩にはやや画角が狭く感じてしまう。42㎜相当の画角では狭さを感じることは少ないので、微妙な違いなのだけれど、今回の散歩の写真はすべてほぼノートリミングで掲載することになったので、やはり50mm相当の画角は画面を切り取る感覚なのだろう。Fujifilmから35mm相当の画角のレンズを付けたX100VIの発売が発表されて、お散歩に丁度良さそうで気になっているのだけれど(SDカードが2枚入ると嬉しいのですが。。)、X-Pro4の発売を待って比べてみたい気もするけれど、そうしているうちに品薄で買えなくなりそうで、悩ましい。

東京大学総合図書館の前で

マクベス

東京芸術劇場シアターイーストで、はえぎわ×彩の国さいたま芸術劇場 ワークショップから生まれた演劇「マクベス」(演出:ノゾエ征爾)を観た。「響きと怒り(The sound and the fury)」の題名がマクベスの台詞に由来することを知って「マクベス」(福田恒存訳、新潮文庫)を読み、その流れで公演中だったこの芝居と出会うことができた。戯曲を読んだ印象と芝居を観ての印象はやはり異なり、今回の芝居からは「無常感」、日本人の感覚とは一味違うけれどもやはり無常感という言葉が似あいそうな感覚が心に残った。テキストに固定された戯曲と、一回限りで過ぎ去っていく芝居の違いもあるのだろうか。それから、魔女の存在感がよりクローズアップされていたと思う。芝居の冒頭から魔女の声に魅せられ、その身体の動きにも視線を奪われた。特に気になった魔女俳優は茂手木桜子で、この俳優の出演作品をまた観てみたいと思った。三池崇監督の「十三人の刺客」に出ているようなので、近いうちに観てみようと思う。椅子を使ったシンプルな舞台美術も、様々な組み合わせが視覚的に楽しく、床を打ち鳴らす音も迫力があり、ストイックになり過ぎない周囲の小物たちの存在と相俟って舞台を大いに惹き立てていたと思う。

東フィル第996回定期公演

サントリーホールでチョン・ミュンフンが指揮する東フィルの第996回定期公演を聴いた。「田園」を聴くのは久しぶりだったのだが、和かい光が薫立つようなどちらかというと水彩画を思わせる美しさを湛えた音楽に聴こえた。「春の祭典」も、2018年12月にアラン・ギルバートが指揮した都響の演奏を聴いて以来だが、あの時の春祭は無機的というか分子レベルで音がぶつかり合って拡散するような鮮烈な印象を受けた記憶がある。今回の東フィルの演奏はもっと有機的で生命レベルでの響き合いを感じさせる音楽に思えた。一番多く聴いているオケだからだろうか、東フィルの音楽には温かさを感じる。終演後、楽員の方々が退場した後にマエストロが再び舞台に現れるのを待ち続ける聴衆も多く、舞台袖から出て来られたマエストロに大きな拍手とブラヴォーが響いていた。と、ここまでは珍しくはないのだが、今回は半分くらいの楽員の方々が、多くの方は楽器も持たずに再び舞台に登場し、聴衆と共にマエストロに拍手を贈っていた。オケの温かさを感じた印象深い場面だった。

響きと怒り

ウィリアム・フォークナーの「響きと怒り」(高橋正雄訳、講談社文芸文庫)を読んだ。手元の文庫本は2004年の第8刷で、手元に同じ頃の刷がある「サンクチュアリ」、「八月の光」、「アブサロム、アブサロム!」といった作品はこの頃に読んだのだが、「響きと怒り」は読み始めては挫折してといったことを約20年の間に何度か繰り返してきたことになる。今回は読了したとはいえ、特に第1章は読み進めることがかなり難しく、取り敢えず活字を追っていくといった具合だったので、次は岩波文庫の翻訳で読み返してみようかと思っている。どうでも良いことなら遣り過ごしたままにしてしまうのだが、この作品は再読して味わってみたい。

本阿弥光悦の大宇宙

東京国立博物館で「本阿弥光悦の大宇宙」を観た。本阿弥光悦に初めて接したのは、「小説を読む暇があるなら参考書を読め」とよく言っていた父親が唯一評価していた吉川英治の「宮本武蔵」を読んだ時で、小学校5年生だったと思う。そんな子供にとっても本阿弥光悦の印象は強烈で、卓越した知性と人間力を備えた超越的なスーパーマンだった。今回も「大宇宙」や「天才観測」といったキャッチコピーを眺めながら会場に向かったのだが、展示を観た印象は、スーパーマンというよりは、その時代に暮らして、その時代の才人達と交わりながら生きた(そして長生きした)ひとりの人間としての本阿弥光悦だった。確かに何気ない書簡の筆遣いや、「時雨」や「加賀」といった茶碗にも心を惹かれたのだが、スーパーマンかというとそうではない。スーパーマンはやはり俵屋宗達、あるいはあの時代の京都の空気で、本阿弥光悦はその中で自分の(あるいは自分と仲間たちの)作品と人生を切り拓いていった人、そんな印象を受けた。