ファーザー

映画「ファーザー」(フロリアン・ゼレール監督)を観た。フロリアン・ゼレールの「Le Fils 息子」の舞台を観て、これから「La Mère 母」の舞台を観るタイミングで、3部作のひとつ「Le Père 父」の映画版を観たのだが、これは面白い映画だった。認知症を患う老境の父親という家族や社会の課題を素材として描きつつ、認識や記憶という人間の根幹に関わる不穏さや不安を美しく静かな室内映像で綴っていく時間は知的にスリリングで、最近、東京都写真美術館で記憶に纏わる展示を観たことや、響きと怒りを異なる翻訳で再読していることもあってか、いろいろと好奇心や思考を掻き立てられた。舞台と比較すると映画は情報量が多く、舞台では余白を含めて場の雰囲気や気の流れを全体として味わっているように改めて感じられる一方で、映画では(観てきた本数が多いからかもしれないけれど)細部に目が行き、特にこの映画では俳優たちの一瞬一瞬の表情を味わっていたように感じる。メインキャストのどの俳優も素晴らしかったと思うのだが、この映画の屋台骨を支えるアンソニー・ホプキンスの凄みには改めて感銘を受けた。老境の「父」に「母」を探させたフロリアン・ゼレールが、どんな「La Mère 母」の舞台を書いていたのか、今から舞台が楽しみである。

東京都写真美術館の3つの写真展

東京都写真美術館で、「TOPコレクション 時間旅行」、「記憶:リメンブランス」、「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を3階、2階、地下1階と梯子して観た。記録としての性格を感じやすい古い写真が多く、時間旅行や記憶や没後という言葉たちにも引っ張られるように写真と記憶について、誰かが撮った写真やその写真に写り込んだものと、写真を撮った誰かや、その写真を見た誰か、その写真に写りこんだものを観た誰かやその写真の写り込んだ誰かの記憶がどう交わるのか、もともとある交わりを写真が掬い上げたり、写真が新たな交わりを作りだしたり、いい写真、あるいはいい写真たちって何なのか、線の細かさと甘さ、コントラストの硬さと軟らかさ、モノクロとカラー、画角、ライティング、露出、スピード、サイズ、技術的なことはいろいろあるけれど、そういえば最近の福田平八郎を取り上げたNHKの日曜美術館で千住博があの漣の絵を観ながら「アートは観た人の記憶に触れることが大切で、それが普遍性」といったようなことを言っていたなぁ、などと思い出しながら取り留めもない考えを巡らせた。途中で腰を下ろして一休みしながらグエン・チン・ティの「バンドゥランガからの手紙」を観たのだが(思わず最初から最後まで35分間の全編を観てしまった。)、ポートレート=顔には、その人だけでなく、その人に至る土地や文化や民族の長い歴史の記憶が写り込んでいるように感じられた。

東京シティ・フィル第369回定期演奏会

東京オペラシティでTCPOの第369回定期演奏会を聴いた。1曲目のR.シュトラウスのばらの騎士(第1幕及び第2幕より序奏とワルツ集)には、何故か音楽に対するあたたかい厳しさと愛情を感じて、唐突だけれどもこんな仕事をしたいという心持になったりして、記憶に残る経験になった。2曲目のシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番も、美しい針葉樹のように立ち上がる南紫音のヴァイオリンが森のホールでオケと響き合うといった趣の清冽な緊張感を湛えた素晴らしい演奏だったと思う。3曲目のベートーヴェンの交響曲第3番も、久しぶりに聴いたのだが、改めてベートーヴェンらしいある種の逸脱していく力が感じられるように思えて、面白かった。聴衆からも心地よい波動を受け、高関健のプレトークも興味深く、コンサートを通じて上質な時間を愉しむことができた。今シーズンからTCPOの定期会員になった。オケの定期会員になるのは初めてのことで、1年間を通じてTCPOがどんな音楽を聴かせてくれるのか、とても楽しみにしている。

Central Tokyo, North 一周完了

山手線の内側にあるJRと地下鉄の60駅の周辺を散歩しながら写真を撮るCentral Tokyo, Northの企画が、60番目の春日駅を終えて一周した。2022年の夏から2年近くかかったことになる。家族以外に写真を撮るテーマを見付けたい、まずは縁がある身近な地域を知りたい、自分がどんな写真を撮ったり撮りたかったりするのかを知りたい、取り敢えず撮り溜めてみたら見えてくることがあるかもしれない、どうせなら英語のトレーニングも同時にしてみようか、といった思いで始めた企画だったのだが、残念ながら、それなりに時間も使ったはずなのに、自分の写真や物の見方を深めることができたといった成長の実感はない。とはいえ、楽しむことはできたので、この企画はペースを緩めつつ、しつこく長く続けて行こうかと思っている。たまには過去に撮った写真を振り返りつつ、前に進めていきたい。

春日町交差点と文京区役所

Le Fils 息子

東京芸術劇場シアターウエストで「Le Fils 息子」(作:フロリアン・ゼレール、演出:ラディスラス・ショラー)を観た。生き難さが昂じて不登校や自傷行為を繰り返す息子を抱えた家族の物語は、その「課題=試練」自体がフランスでも日本でも他の国でも共有される同時代的な普遍性を持つことを改めて感じたし、それぞれに善い人でありながら限界を持つ人たちが悲劇を避けられないという構図にも時代を超えた普遍性を感じた。もっとも芝居自体には、自然に入り込んで楽しめたものの、正直なところ、期待したほどのパワーや魅力は感じられなかった。戯曲や演出への興味に加えて、こまつ座の「頭痛肩こり樋口一葉」の若村麻由美が素晴らしかったのでこのチケットを買ったところもあったのだが、満席の客席の90%?は岡本健一と岡本圭人の親子共演を楽しみに来たと思しき女性客で、一人でふらっと訪れた中年男性にはかなりアウェイ感があり、日本の演劇の状況についても考えさせられた。