NHKの特集ドラマ「広重ぶるう」を観た。奥さんと「不適切にもほどがある!」(TBS)を各話3回は一緒に観た流れで、阿部サダオが主役の広重を演じた「広重ぶるう」を録画したのだが、こちらは自分ひとりで何となく3回も観てしまった。長塚京三(北斎)や吹越満(国貞)といった好きな俳優が出ていることや、広重を支える仕事を気丈に成し遂げた芯の強い女房を演じた優香(加代)の美しさ、独特の個性的な存在感で画面を引き締めて見せ場を何度も作った髙嶋政伸(保永堂)の演技の力、檀ふみの落ち着いたナレーション、ギターやアコーディオンが響きが優しく軽く心地よい音楽など、作品の魅力はいろいろなところにあるのだけれど、脚本の魅力も大きかったと思う。気になって原作も読んでみたのだが、やはり錦絵と同様に大衆芸能であるテレビドラマとしての「広重ぶるう」には、原作とはまた別の趣きがあって、脚本家の創作活動への思いを乗せたような、例えばこんな台詞が刺さるのである。「売れるものを描くのが仕事ですからね。私ら絵師は職人です。好きなものなんて考えてもしょうがない。絵で食べていくというのはそういうことでございましょう」(国貞)、「俺は俺が描きてえ富士を描く。俺が見てえ富士だ。俺のために描いてんだよ」(北斎)、「人がどう思おうとどうでもいい。誰も俺の絵なんぞ見なくても構わねえ。俺は俺が満足する絵をまだ…百まで生きても時が足りねえ…いいか、お前(広重)も版元の言いなりになってケツの毛まで抜かれるんじゃねえぞ。酔っぱらっている間にすぐにジジイだ」(北斎)、「(広重は)倹しく暮らす詰まらぬお人ゆえ、描ける絵もありましょう。絵を買うのも倹しく暮らす詰まらぬ民でございますれば」(保永堂)、「(広重は)火消あがりだからね。己に才がなきゃ人の才を借りる。人に任せられる。確かに正直だ。火消ってのは時がないなかで幾人も人を使って仕事をするでしょ。一人じゃ火は消せませんからね」(保永堂)、「温かい目で物を見るから広重の錦絵には人の情けが見える。見る人の心も動くんでございましょう」(保永堂)、「(広重)師匠は甘いお人だからご自分のためにはそんなもの(描きたい絵)一生見つからないかもしれませんな」(保永堂)などなど。これ以外にもまだまだたくさんあるのだが、主役ではなく、脇役に味のある台詞を語らせるのである。国貞は「錦絵はどんなに売れても飽きたら紙屑だ」といい、広重もこれを肯んじて同時代の人たちのために錦絵を描くことに「描きたい絵」を見付けたようなのだが、広重や国貞の絵が、北斎の絵と同様に、今でも世界中で愛されているように、大衆芸能の寿命はそんなに短いものではないだろう、とも思うのだ。「不適切にもほどがある!」を観た奥さんは、第三話を見る前から「毎度おさわがせします」(TBS、1985-1987)みたいだと言っていたし、自分もその頃は「親にはナイショで…」(TBS、1986)とか見ていたなぁと懐かしく思い出したりしたのである。
日フィル第255回芸劇シリーズ
東京芸術劇場で日本フィルハーモニーの第255回芸劇シリーズを聴いた。坂本龍一トリビュートのプログラムで、ドビュッシーの「夜想曲」、武満徹の「波の盆」を交えながら、坂本龍一の「箏とオーケストラのための協奏曲」、「The Last Emperor」、「地中海のテーマ」が演奏されたのだが、アンコールの「Aqua」が一番聴き応えがあったかもしれない。シンセサイザーや電気楽器をメインとする小編成のバンド向けの作品やピアノ曲から、様々な制約がある多くの楽器を使う大編成のオーケストラ作品まで、あるいは純粋に音楽を楽しむ作品から映画やCMの音楽まで、幅広い分野にまたがる作曲家としての坂本龍一の仕事について思いを巡らせるコンサートだった。客席はほぼ満席だった。
2024年5月は80キロ+Walk
2024年5月の月間走行距離は80キロだった。ペースは上がらず、体重も増加したままだけれど、距離は伸びて来た。足の痛みもないので、来月は100キロまで距離を伸ばせそうな気がする。梅雨に入るし、だんだん暑くなってくるけれど。
東京都交響楽団第999回定期演奏会
東京文化会館で井上道義と都響の最後の演奏となる第999回定期演奏会を聴いた。1曲目のベートーヴェンの交響曲第6番「田園」は、フルオケの約半分の小振りな編成で、練り上げられた精妙なアンサンブルを演奏者の思いや息づかいが感じられほど生き生きと聴かせる室内楽的な演奏だった。第一楽章の自然の描写からその繊細で表情豊かな筆致に惹き込まれ、第三楽章以降はベートーヴェンの音楽を巡って積み重ねられてきたものと共に在る気迫が胸に迫って来て、心を深く動かされた。これからも長く記憶に残る「田園」だった。2曲目のショスタコーヴィチの交響曲第6番は、大編成のフルオケでの演奏で、自分にとっては耳馴染のない曲なのだが、1楽章の心理描写的な音楽と2楽章以降の華やかさが対照的で、後半にはコミカルな響きも感じられ、井上道義が都響との最後の演奏に選んだこの曲を、別れを惜しみつつ楽しむことができた。