田村隆一

田村隆一の名前に最初に触れたのは、大学生の頃、山川直人監督「ビリイ☆ザ☆キッドの新しい夜明け」の中で高橋源一郎が「日本の三大詩人は、谷川俊太郎、田村隆一、そして中島みゆきですね」と話すのを聞いたときだったと記憶している。あの時も田村隆一の詩集を手に取ってみたはずなのだが、何を読んだのか、まったく記憶がない。昨年の10月、あの映画に映り続けたモニュメント・バレーで、宮本浩次が歌う中島みゆきの「化粧」を聴きながらそんなことを思い出して、去年の暮れから今年にかけて、田村隆一の「腐敗性物質」(講談社文芸文庫)、「1999」(集英社)、「ぼくの鎌倉散歩」(港の人)を読んだ。ひとりの詩人の言葉が人生の時間軸の中で大きく変化しつつも、やはり変わらないものもあるということを感じられたように思う。それにしても、田村隆一がアガサ・クリスティやロアルド・ダールの翻訳者だったとは知らなかった。

響きの森クラシック・シリーズ Vol.78

文京シビックホールで小林研一郎が指揮する東フィルの「響きの森クラシック・シリーズ Vol.78」を聴いた。1曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。おそらく初めて聴いた松田華音のピアノはクリアで芯がありかつ華やかな音で、息の長いフレーズを丁寧に歌い上げる美しい演奏だったと思う。オーケストラとの絡みも、二楽章終盤の弦との掛け合いや、三楽章の豊かな響きが印象的だった。アンコールに弾いたシューマンの3つのロマンス(第2曲)も、ちょっとしたサプライズで嬉しかった。2曲目は新世界。2か月前に同じホールで聴いたコンセルトヘボウの新世界の印象がまだ残っているが、今日のコバケンと東フィルの演奏も、長い年月をかけて練り上げられ熟成されてきた音で、若干編成が小ぶりな分、それぞれの奏者が力強く演奏しているような印象を受けた。イングリッシュホルンを始めとする木管も、それからホルンも、味わい深い素敵な演奏だった。終演後の拍手をしながら、コバケンが少し歳を取られたかな(痩せられたかな)、と思ったりしたのだが、力強い声を聴くことができて安心した。来シーズンも響きの森を振ってくださるようで、いつまでもお元気でご活躍いただきたい。

巨匠とマルガリータ

ブルガーコフ著、水野忠夫訳「巨匠とマルガリータ」(岩波文庫)を読んだ。面白かった。1930年代に書かれた作品だが、初読の自分にとっては小説の地平を拡げていくような新しい魅力に満ちた読書だった。尽きることのない荒唐無稽でエネルギッシュな饒舌の底に、知的に冷めた情熱が静かに流れているような、一筋縄ではいかない重層的な声が感じられる。コロナの床につきながそれなりに時間をかけて読了したのだが、やはりこの作品には800頁分の言葉が必要なのだろうという納得感も感じている。1930年代に作曲されたものの1961年まで初演されなかったショスタコーヴィチの交響曲第4番を聴いた昨年秋の群響東京公演のパンフレットの記事が、同じように1966年まで(完全な形では1973年まで)活字にならなかったこの作品について触れていた。ごく短い言及だったけれど、この作品を読む切っ掛けをもらったことに感謝している。

茗荷谷、白山、本駒込

昨年12月に散歩をして写真を撮ってあったのだが、年末は仕事が忙しく、年明けは旅行とコロナで手がつかず、1か月以上も寝かせておくことになってしまった。茗荷谷はX-Pro2にBiogon 28mm F2.8をつけて、白山本駒込はX-Pro2にXF23mmF1.4 Rをつけて出かけたのだが、Biogonの抜けの良いシャープさに惹かれるものがあって、新しいFujifilmのXF23㎜F1.4 R LM WRを手に入れてみようか、ちょっと気になっている。もっとも、ご覧のとおりXF23mmF1.4 Rも十分にシャープで美しいのだが。

だから清の墓は小日向の養源寺にある

パピヨン

スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが主演した1973年の「パピヨン」を観た。昨年12月に観た舞台「たわごと」で引用されていたことから購入した中古のDVDを、上海でもらったらしい新型コロナの喉の痛みに苦しみながら観たのだが、そんなものは吹き飛んでしまうようなインパクトだった。やはりこの映画の魅力は、凄まじい逆境にありながらも、どこかに正義感や冒険心といった少年のイノセントな面影を保ち続けるスティーブと、どこからか人間のユーモアが滲み出てくるダスティンの魅力だろう。それぞれに豊かな土壌に根を張った存在感に共感を覚える。最後に異なる道を選ぶ二人の様子が何とも味わい深く、似たような選択を迫られた場合にどちらを選ぶことになるのか、自分も考えさせられることになった。勢いに乗って翌日にチャーリー・ハナムとラミ・マレックが主演した2017年のリメイク版を観たのだが、映像はより精彩で美しくなり、構成も洗練されており、受ける印象は1973年版とはやや異なるのだが、かなり忠実なリメイクだと思った。それだけに、1973年版から変わった箇所について、特に最後にフランスで自伝を出版するパピヨンと終の棲家の天井に絵画を残すルイの対照について、その理由を考えさせられることになった。