東フィル第996回定期公演

サントリーホールでチョン・ミュンフンが指揮する東フィルの第996回定期公演を聴いた。「田園」を聴くのは久しぶりだったのだが、和かい光が薫立つようなどちらかというと水彩画を思わせる美しさを湛えた音楽に聴こえた。「春の祭典」も、2018年12月にアラン・ギルバートが指揮した都響の演奏を聴いて以来だが、あの時の春祭は無機的というか分子レベルで音がぶつかり合って拡散するような鮮烈な印象を受けた記憶がある。今回の東フィルの演奏はもっと有機的で生命レベルでの響き合いを感じさせる音楽に思えた。一番多く聴いているオケだからだろうか、東フィルの音楽には温かさを感じる。終演後、楽員の方々が退場した後にマエストロが再び舞台に現れるのを待ち続ける聴衆も多く、舞台袖から出て来られたマエストロに大きな拍手とブラヴォーが響いていた。と、ここまでは珍しくはないのだが、今回は半分くらいの楽員の方々が、多くの方は楽器も持たずに再び舞台に登場し、聴衆と共にマエストロに拍手を贈っていた。オケの温かさを感じた印象深い場面だった。

響きと怒り

ウィリアム・フォークナーの「響きと怒り」(高橋正雄訳、講談社文芸文庫)を読んだ。手元の文庫本は2004年の第8刷で、手元に同じ頃の刷がある「サンクチュアリ」、「八月の光」、「アブサロム、アブサロム!」といった作品はこの頃に読んだのだが、「響きと怒り」は読み始めては挫折してといったことを約20年の間に何度か繰り返してきたことになる。今回は読了したとはいえ、特に第1章は読み進めることがかなり難しく、取り敢えず活字を追っていくといった具合だったので、次は岩波文庫の翻訳で読み返してみようかと思っている。どうでも良いことなら遣り過ごしたままにしてしまうのだが、この作品は再読して味わってみたい。

本阿弥光悦の大宇宙

東京国立博物館で「本阿弥光悦の大宇宙」を観た。本阿弥光悦に初めて接したのは、「小説を読む暇があるなら参考書を読め」とよく言っていた父親が唯一評価していた吉川英治の「宮本武蔵」を読んだ時で、小学校5年生だったと思う。そんな子供にとっても本阿弥光悦の印象は強烈で、卓越した知性と人間力を備えた超越的なスーパーマンだった。今回も「大宇宙」や「天才観測」といったキャッチコピーを眺めながら会場に向かったのだが、展示を観た印象は、スーパーマンというよりは、その時代に暮らして、その時代の才人達と交わりながら生きた(そして長生きした)ひとりの人間としての本阿弥光悦だった。確かに何気ない書簡の筆遣いや、「時雨」や「加賀」といった茶碗にも心を惹かれたのだが、スーパーマンかというとそうではない。スーパーマンはやはり俵屋宗達、あるいはあの時代の京都の空気で、本阿弥光悦はその中で自分の(あるいは自分と仲間たちの)作品と人生を切り拓いていった人、そんな印象を受けた。

N響第2004回定期公演

NHKホールでN響第2004回定期公演を聴いた。日本と米国にルーツを持つ井上道義が、日本のオケ、ロシアの独唱者、スウェーデンの合唱団と、ウクライナのキーウ近郊でナチスが3万4000人ものユダヤ人を虐殺した事件を題材としたためにソビエトの政治的な圧力を免れなかったショスタコーヴィチの交響曲第13番を演奏するという、背景に思いを馳せるだけでも複雑なコンサートだったのだが、この曲自体も、自分はほぼ初めて聴いたこともあって、複雑で大きな作品であることは感じつつも、身体に馴染ませることが難しかった。録音になると思うけれど、近いうちに再度この曲を聴いてみたいと思っている。先立って演奏されたシュトラウスのポルカやショスタコーヴィチの小品は、井上道義らしい?センスの良さと楽しさを感じさせてくれる選曲で、特にショスタコーヴィチの「リリック・ワルツ」と「ワルツ第2番」は印象深かった。そういえば去年の6月のコンサートで井上道義が振った武満徹の「ワルツ」も素敵だったと思い出したりした。

2024年1月は0キロ

2024年1月の月間走行距離は0キロだった。正月1日を実家で過ごし、2日から上海・蘇州への旅行に出かけ、帰国後まもなくコロナに罹患し、月末になって走ろうとしたところ左腿裏に痛みがあって止めてしまった。というわけで、特に上海では長い距離を歩きはしたものの、まったく走らなかった1か月になってしまった。2月は左腿裏の痛みに気を付けながら少しづつ走り始めたいと思う。