Tribute to RYUICHI SAKAMOTO

Intercommunication Centerで「Tribute to RYUICHI SAKAMOTO」を観た。コンサートの前に立ち寄って、比較的小規模な展示を観たのだが、冒頭の「センシング・ストリームズ 2023-不可視・不可聴」の展示を20分ほど眺めてしまった。細かい線やパターンやスパイクが渦巻き、流れ、変化する大画面の画像と、中音から低音の成分が多い周期の異なる複雑なノイズが流れる作品で、作品解説では電磁波を可視化・可聴化するプロジェクトと説明されているのだが、その初めて触れる視覚や聴覚のイメージを、10分から20分の時間をかけて自分の中の語彙と結びつけようとすると、電磁波という自分にとっては抽象度が高く遠い世界ではなく、むしろ自分の身体の中の細胞や神経のコミュニケーションを可視化・可聴化するとこういった画像や音響になるのではないかという気がしてきた。思っていたよりも若い世代の来場者が多く、シアターのプログラムはチケットが完売で、坂本龍一の人気の高さが窺えた。

2024年2月は10キロ+Walk

2024年2月の月間走行距離は10キロだった。左腿裏ハムストリングの痛みは、おそらく12月に在宅勤務を続けて座りっぱなしだったことが災いして筋肉が固まってしまったせいだろうと推測し、ストレッチを心掛けたのだが、なかなか痛みが去らず、結局、月末になって5キロを2回走っただけで今月も終わってしまった。ランニング以外の運動は、写真散歩で4時間ほど歩いた日があったくらいだろうか。来月末のハーフマラソンにエントリーしているのだが、DNSかなぁ。

月の岬

東京芸術劇場シアターウエストで unrato#11「月の岬」(演出:大河内直子)を観た。公式サイトを眺めた程度で何の予備知識もないままに、何となく良い芝居になりそうという勘を頼りにチケットを買って一人で出かけてきたのだが、じわっと来る芝居だった。自らが招いた不幸な事故から父親を早くに亡くした姉と弟が、おそらく不幸に耐えながら懸命に守ってきた家庭があって、その家庭が弟の結婚を機に変容していく。その様子がひと月程度の時間軸の中で描かれるのだが、説明的な台詞は少なく、登場人物は皆それぞれの人生を生きていて、またそれぞれに異なる接点で交わっているので、ある人物にとって他の人物は余白が多く、その余白の多さの集積が観客に提示されつつも、その余白にはある種のまとまりというか、トーン、雰囲気がある。家族、人間関係、その歴史、家(家族の一員のような家!)、着物、島、そのほか様々なものに互いを呼び寄せ合う重力のようなものがあって、それが温かくもあり、また苦くもあるのだろうと思う。2時間の芝居があっという間で、終演後ももう少しあの世界に止まっていたい名残惜しさが残った。戯曲デジタルアーカイブに戯曲があったので、しばらくしてから読んでみたいと思う。

東大前・後楽園・本郷三丁目

良く晴れた連休の中日に東大前後楽園本郷三丁目の散歩を楽しんだ。今回はX-T5にXF33mmを付けて出かけたのだが、自分には50mm相当の画角は街歩きの散歩にはやや画角が狭く感じてしまう。42㎜相当の画角では狭さを感じることは少ないので、微妙な違いなのだけれど、今回の散歩の写真はすべてほぼノートリミングで掲載することになったので、やはり50mm相当の画角は画面を切り取る感覚なのだろう。Fujifilmから35mm相当の画角のレンズを付けたX100VIの発売が発表されて、お散歩に丁度良さそうで気になっているのだけれど(SDカードが2枚入ると嬉しいのですが。。)、X-Pro4の発売を待って比べてみたい気もするけれど、そうしているうちに品薄で買えなくなりそうで、悩ましい。

東京大学総合図書館の前で

マクベス

東京芸術劇場シアターイーストで、はえぎわ×彩の国さいたま芸術劇場 ワークショップから生まれた演劇「マクベス」(演出:ノゾエ征爾)を観た。「響きと怒り(The sound and the fury)」の題名がマクベスの台詞に由来することを知って「マクベス」(福田恒存訳、新潮文庫)を読み、その流れで公演中だったこの芝居と出会うことができた。戯曲を読んだ印象と芝居を観ての印象はやはり異なり、今回の芝居からは「無常感」、日本人の感覚とは一味違うけれどもやはり無常感という言葉が似あいそうな感覚が心に残った。テキストに固定された戯曲と、一回限りで過ぎ去っていく芝居の違いもあるのだろうか。それから、魔女の存在感がよりクローズアップされていたと思う。芝居の冒頭から魔女の声に魅せられ、その身体の動きにも視線を奪われた。特に気になった魔女俳優は茂手木桜子で、この俳優の出演作品をまた観てみたいと思った。三池崇監督の「十三人の刺客」に出ているようなので、近いうちに観てみようと思う。椅子を使ったシンプルな舞台美術も、様々な組み合わせが視覚的に楽しく、床を打ち鳴らす音も迫力があり、ストイックになり過ぎない周囲の小物たちの存在と相俟って舞台を大いに惹き立てていたと思う。