鶴ヶ城(会津若松城)

連休の中日に、生憎の小雨模様だったけれど、会津若松の鶴ヶ城を訪れた。福島県内で日帰りの所用を終えた後で短時間立ち寄っただけなので、会津の歴史に身を浸すほどの時間はなかったのだけれど、昨年秋に南会津から会津若松まで会津西街道を歩いた折にはお城の姿も確かめられなかったので、足を運ぶ機会が得られただけでも良かった。鶴ヶ城は、今年9月に天守閣再建60周年を迎えるということで、城内の展示も充実していたのだが、何よりも来場者(それも日本人)の多さに驚かされた。ここ2年間に訪れた松本城、金沢城、福山城、松江城と比較しても、圧倒的に来場者が多かったと思う。連休中という時期によるところも大きいとは思うけれど、戊辰戦争の幕府軍への人気の高まりもあるのだろうか。(函館の観光客増加はコナンの影響という説もあるけれど。)世の中の体制に挑戦する空気が濃くなってきていることや、「正義」への信頼が薄れていること(朝ドラでも「逆転しない正義」が話題になっているらしい。)と関係があるのだとしたら、不正義(あるいは不完全)に靭やか​に耐えることにも価値があると思う、などと言ってみたくなったりもするのである。


広島交響楽団「平和の夕べ」コンサート

東京オペラシティでクリスティアン・アルミンクが指揮する広島交響楽団の「平和の夕べ」コンサートを聴いた。ピレシュのピアノが聴きたくてチケットを購入したのだけれど、軽度の脳梗塞で来日が困難になり、6月末にソリストがダニール・トリフォノフに変更され、演目もラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に変更された。奥さんは喜んだくらいで、自分も初めて聴くトリフォノフの演奏を楽しみにしていたのだけれど、これが期待を超えて素晴らしかった。冒頭からFAZIOLIの明るく芯の通った柔らかい音色に期待が高まり、説得力のある力強いフォルテシモも、美しく粒の揃った素早いパッセージも、心地よく魅力的なルバートも、完璧なのではないかと思いたくなるほどの演奏で、鳥肌が立つ瞬間が何度もあった。ホールをひとつにして何処かに連れて行ったような圧倒的な第3楽章の後で、盛大な拍手に応えて演奏されたアンコールは、チャイコフスキーの「子供のアルバム」から「教会で」と「甘い夢」の2曲で、1曲目からは鎮魂の祈りが、2曲目からは希望と再生の励ましが感じられて、ホールに展示されてあったヒロシマで被爆した「明子さんのピアノ」とも響き合い、心に沁みる演奏だった。広島交響楽団の演奏も、ラフマニノフはピアノに寄り添う丁寧な演奏で、第1楽章のホルンや、3楽章の全体の盛り上がりは素敵だなぁと感じた。2曲目のマーラーの交響曲第4番も、自分は聴く機会が少ない曲なのだけれど、スケール感を追求するというよりも、細部まで仕上げが行き届いた演奏という印象を受けた。第4楽章の石橋栄実の歌も素晴らしかった。

南海王国記

飯嶋和一著「南海王国記」(小学館)を読んだ。2021年11月に「出星前夜」を読み始めてから昨年8月に「星夜航行」を読み終えるまで、文庫本になっている作品をひとつずつ楽しみに読んでいったのだが、今回は初めて発売と同時に作品を読めるということで、7月30日の発売初日に書店で平積みにされていた「南海王国記」を購入し、一週間ほどで読み終えた。読み終えたのだけれど、読後感は、今までの作品とはちょっと異なる。平たく言うと、過去の飯嶋和一の作品には、そこまで有名な人ではなく、その含蓄ある生き様で「人間も悪くないよな」と思わせてくれるヒーローがいたのだが、この「南海王国記」では、鄭成功を始め歴史書に登場するような人たちが無数に出てくるのだけれども、ヒーローの存在感が希薄なのだ。様々な制約の中で我欲の追求と戦いに明け暮れる人間たちを淡々と描く500頁を読み終えた後に残るのは、救いのない疲労感のようなものかもしれない。200頁くらいまで読んだ時点で、このトーンはこれから展開する物語の舞台を整えるための前振りなどではなく、この本はこういう作品なんだという認識への切り替えを迫られたのだけれど、読み終えてもやはりそういった印象が残る。あれだけ魅力的なヒーローを描いてきた飯嶋和一が、「ヒーローなんていないんだよ」と500頁の重さで語りかけてくることに、ヒーローを期待していた少年は戸惑いを感じている。それはそうかもしれない。人間は愚かで、誰もがじたばた必死で生きていくしかないのだろうとは思う。でも、と数年後に還暦を迎える少年は思うのである。これで終わりにしてもらいたくないなぁ。自分は飯嶋和一が描くヒーローが好きだし(男性も女性も馬もヒーローだった)、身近にある様々な物に注がれる細やかな眼差しが好きだ。あの描写の醍醐味を味わいたいと思っている。「南海王国記」は、再読するか分からないけれど、この本のことは折に触れて思い出して、現在の状況も重ね合わせながら、いろいろと考えることになるだろうと思う。(この本の中で17世紀の多くの人たちが願っていたように、自分も台湾海峡や東アジアで戦争が起きないことを願っている。)でも、これが飯嶋和一の最後の作品になるのは寂しい。小説丸で連載中の「北斗の星紋」は、読んでいないのだけれど、また違った魅力を持つ作品になっているといいなぁと思っている。

響きの森クラシック・シリーズVol.84

文京シビックホールで横山奏が指揮する東フィルの「響きの森クラシック・シリーズVol.84」を聴いた。1曲目はソリストに中野りなを迎えたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲で、中野りなの伸びやかで豊かな音色のヴァイオリンが素晴らしかった。オーケストラも、21歳のソリストを温かく見守りながら丁寧に応答してソリストの魅力を十二分に引き出しつつ、曲全体の魅力をバランスよく描き出す素敵な演奏だったと思う。この顔合わせの演奏をまた聴いてみたいなぁ、今度は何が良いだろう、シベリウスか、あるいはモーツアルトか、などと考えてしまった。アンコールのバッハのパルティータを挟んで、2曲目はチャイコフスキーの交響曲第5番。こちらも何度も聴いている曲なのだけれど、やはり横山湊と東フィルの演奏の個性は感じられて、何と言うか、自然の中で手間暇かけて育てて天日干しにしたお米をかまどで炊いたごはんのような、派手さはないかもしれないけれど、丁寧で心に沁みる美味しい音楽、といったところだろうか。たくさんの指揮者がいる中で、演奏家や聴衆に向けて個性を出していくことはやはり難しいことなのだろうけれど、自分はこの演奏は好きで、横山湊が指揮する他のオーケストラの演奏も是非聴いてみたいと思っている。アンコールに演奏されたチャイコフスキーの弦楽セレナーデのワルツには、また一味違った「踊る横山湊」の魅力の片鱗が感じられて、井上道義ファンとしては、この路線の音楽も聴いてみたいなぁ、と思ったりもしている。