東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭の「ルドフル・ブッフビンダー シューベルトの世界Ⅲ」を聴いた。前半の2つのピアノ三重奏曲(D28とD897 )は、作曲された時期や曲想の異なる2つの作品の対照が面白かったのだが、やはり後半のピアノ五重奏曲「ます」が印象深かった。ルドルフ・ブッフビンダーのピアノは、78歳とは思えない若々しくチャーミングな響きで、活き活きと音楽を楽しむ歓びに溢れているように感じられ、ともすると名のある作品として襟を正して眉聴いてしまいがちなこの曲を、仲間とのアンサンブル、合奏の楽しさに満ちた「カジュアル」な作品として味わうことができたような気がする。ルドルフ・ブッフビンダーのピアノの魅力に初めて触れられて、郷古簾と辻本玲との演奏やソロの演奏も聴いてみたかったなぁ、と思っても後の祭り、機会を見付けて是非また聴いてみたいと思っている。これで今年の東京・春・音楽祭も聞き納め。ムーティ/春祭オケの演奏を聴きに行けなくなってしまったのは残念だったけれど、素敵な演奏を楽しませて頂いたことに感謝している。
東京シティフィル第378回定期演奏会
東京オペラシティで高関健が指揮するTCPOの第378回定期演奏会を聴いた。TCPO50周年記念イヤー最初の定期演奏会を、引き続き定期会員として聴くことができて、嬉しく思っている。1曲目はショスタコーヴィチのバレエ組曲「ボルト」から5曲、「ショスタコーヴィチが屈託なく作曲できていた黄金時代の終わり頃に書かれた、とてもふざけている音楽」とプレトークで高関健が評していたように、軽妙で生き生きとしたショスタコーヴィチが、春祭と同じ規模の大編成で演奏され、まずは肩慣らしといったところだろうか。2曲目と3曲は同じくデビュー50周年を迎えた大谷康子をソリストに迎えたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とサラサーテのツィゴイネルワイゼンで、TCOPのコンマスを13年間務めデビュー50周年を迎えた大谷康子と、大谷康子と同学年の高関健、そしていつもの規模の編成のTCPOが一緒になって50周年を祝う幸せな音楽の時間を味わうことができた。休憩を挟んで4曲目はストラヴィンスキーの「春の祭典」で、約100名の大編成のオーケストラが奏でる春祭は圧巻だった。何と言うか、個々の演奏者が発する磨かれた音が、それ自体で独立して存在しつつ、他の演奏者が耳を澄ませてその音を聴きながら、自らも独立して磨かれた音を発する、それぞれの音が互いに独立して発せられているようでありながら、稠密な「聴く・感じる」行為の網目で結びつけられていて、全体がひとつの音楽として形作られていくような、100人のオーケストラがそうした集中力と一体感をもって鳴り響く迫力のある演奏だった。今シーズンのTCPOをますます楽しみにしている。
2025年3月は25.9キロ+Walk
2025年2月の月間走行距離は25.9キロだった。仕事がタイトだったりで週末のランニングをサボってしまったことが原因。走る距離も増えず、体重も落ちず、もう第1四半期が終わってしまった。何とかせねば。
シューマンの室内楽Ⅱ
東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭の「シューマンの室内楽Ⅱ」を聴いた。辻本玲との共演を聴いてから津田裕也のピアノが好きになり、去年の春祭ではバッハのパルティータを聴き、今年の春祭でもこのコンサートを楽しみにしていたのだが、期待に違わず印象深いコンサートだった。1曲目のピアノ三重奏第2番は、上品な艶のある白井圭のヴァイオリン、深みのある門脇大樹のチェロ、控えめな津田裕也のピアノが木樽の中で時間をかけて円やかに溶け合ったような音楽、2曲目のおとぎ話で情熱的な村上淳一郎のヴィオラ、歌心溢れる中舘壮志のクラリネットと絡み合って津田のピアノの彩度が上がり、休憩を挟んだ3曲目の3つのロマンス(クラリネットとピアノ)と最後のピアノ四重奏曲でそれぞれの個性がさらに花開いて盛り上がる、といったチームとして考えられて練り上げられたコンサートという印象を受けた。おそらくそのベースを支えているのが津田のピアノで、控えめでありながら彩度や輝度や輪郭の明瞭さの異なる多彩な音色を丁寧に使い分けて他の楽器と響き合う音楽は、時に激しくはありつつも基本的に穏やかで、しかし丁々発止とは異なるスリリングな魅力に満ちていたと思う。このメンバーの音楽をまた聴いてみたいなぁ、木曽音楽祭に出掛けてみようか、などと感じている。会場で津田裕也が演奏するメンデルスゾーンのCDを購入して早速聴いてみた。これもしばらく愛聴することになりそうな気がする。
夜クラシックVol.36 大谷康子・福間洸太朗
文京シビックホールで「夜クラシックVol.36 大谷康子・福間洸太朗」を聴いた。「”夏目漱石と月”に寄せて」という副題ではあるのだけれど、大谷康子のヴァイオリンは豊穣の女神といった印象で、明るく伸びやかで艶があり、大地に根をおろし空に向かって伸びた草木が光を浴びて風に揺れるようなイメージ、対して、福間洸太朗のピアノは虚飾なく端正で理知的、しかし特にプログラム後半の月光ソナタの3楽章からは端正で理知的なまま力強く異界に踏み込んでいくようなゾーンに入ったパワーを感じさせられた。そんな太陽と月のような二人がヴァイオリンとピアノという異なる楽器で奏でる音がせめぎ合うプログラム最後のフランクのヴァイオリンソナタは、演奏家や楽器の個性について改めて考えさせらる味わい深く魅力的な演奏だったと思う。プログラム前半もいずれも素敵な選曲と演奏で、山田耕作の荒城の月変奏曲、幸田延のヴァイオリンソナタ第1番第1楽章、貴志康一の竹取物語には、日本における西洋音楽の受容と発展の歴史を感じさせられた。西洋音楽と日本的なリズムや響きが無理なく絡み合う1933年に作曲された竹取物語の現代的な佇まいや、境界を超えることを恐れない内省的な冒険心を持って描かれたように感じられるホルストの夜の歌に特に魅力を感じた。こんなに素敵なコンサートが3000円で楽しめるというのは、自分にとっても世の中にとっても大変に有難いことで、チケットは完売だった。演奏者や関係者の皆様に感謝したい。