東京芸術劇場でサラダ音楽祭のメインコンサートを聴いた。モーツァルトの魔笛(序曲)と戴冠式ミサ、ペルトのフラトレス、ファリャの三角帽子(第2組曲)、ラヴェルのボレロというプログラムで、大野和士が指揮する東京都交響楽団に加えて、戴冠式ミサでは4名のソリストと新国立劇場合唱団が、フラトレスとボレロではNoismが共演するという豪華なコンサートだった(S席6,000円はかなりお値打ちだと思う)。音楽としては、前半のモーツァルトも素敵だったし、それにも増して三角帽子の迫力のある華やかさが、切れ味鮮やかな演奏と相俟って素晴らしく感じたのだけれど、やはりNoismとの共演で味わう視覚と聴覚のハイブリッドな刺激は鮮度抜群で、観客の拍手やブラボーの掛け声も大きかったように思う。Noismの舞踊は、オーケストラとの共演で観ても素敵だけれども、できればNoismのオリジナル作品の公演を観てみたいと思った。以前のサラダ音楽祭でのNoismとの共演の記憶を辿ってこのブログを遡ってみると、2022年のサラダ音楽祭でもペルトとラフマニノフの演奏でのNoismとの共演を観て、Noismの新潟での公演を観に行ってみたいと書いていた。今年は12月に新潟と埼玉で公演があるようなので、チケットが入手困難かもしれないけれど、できれば公演を味わいに出掛けてみたいと思っている。
第72回日本伝統工芸展
今年もまたNHKの日曜美術館を観て日本伝統工芸展の季節になったことを思い出し、日本橋三越に出掛けて第72回日本伝統工芸展を楽しんできた。日本全国で多くの作家さんたちが(出品されていない数多の作家さんたちも含めて)日々創作に向き合われていることを改めて感じさせられて、毎年のことながら元気づけられる。今年は、先月末に木曽に行ってきたからか、木竹工の作品に惹かれて、受賞作品も素晴らしかったのだけれど、例えば村山明(人間国宝)の欅拭漆高盛器のように、シンプルでありながら凛とした気品と時の流れを感じさせる佇まいに思わず魅き込まれる作品がいくつもあった。人形も、受賞作品も素敵だったけれど、満丸正人(監査委員)の作品(うふつき(大月))に心惹かれた。
東京シティ・フィル第381回定期演奏会
東京オペラシティで高関健が指揮するTCPOの第381回定期演奏会で、演奏会形式によるヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」(第2幕第2場の大フィナーレを除くイタリア語4幕版)を聴いた。高関・TCPOのオケや合唱も聴き応えがあったのだが(尻上がりに盛り上がっていったような気がする)、やはりオペラはソリストに華があり、どのソリストも素晴らしかったのだけれど、特に小原啓楼のドン・カルロと加藤のぞみのエポリ公女は、ソリストの個性が登場人物のキャラクターをより鮮やかに描き出していたように思えて、加藤のぞみの第3幕第1場のアリアはこのオペラの白眉だったのではないだろうか。第3幕第2場の上江隼人(ロドリーゴ)のアリアも素晴らしかった。次々と打ち上げられる三尺玉のアリアがそれぞれに色や形の異なる壮麗な大輪を咲かせる様子を唯々客席から眺めているような、そんな豪華で贅沢な時間を過ごせた演奏会だったと思う。前日に何年振りかで銀座で深夜まで過ごしてしまい、万全の体調で臨めなかったことが悔やまれた。
難波田龍起
東京オペラシティ アートギャラリーで「難波田龍起」を観た。難波田龍起について何の知識もなく、東京オペラシティでのコンサートの前にアートギャラリーに立ち寄ろうかと思って展覧会の公式サイトを観たところ、期待が高まる内容だったので、どんな作品に出会えるのかを楽しみにしながら出掛けたのだけれど、期待を大きく上回る出会いをもらえた展覧会だった。難波田龍起が晩年に至るまで試行錯誤と変遷を重ねながらその時々のスタイルを磨き上げていく、その挑戦する姿に励まされるのだけれど、それだけでなく、それぞれの時代の様々なスタイルに共通して感じられる静かな雄弁さ、それを生み出すある種の誠実な力強さに強く惹かれているような気がする。コンサートがなければもう少し長く絵の前にいたいと思ったくらいで、会期末までにもう一度足を運ぶことになりそうな気がする。

2025年8月は26.8キロ+Walk
2025年8月の月間走行距離は26.8キロだった。今月の目標は60キロだったので、半分以下である。お盆を挟んだ2週間が空白になってしまったことが主な原因で、ということは、週末に会津に出掛けたり八ヶ岳に出掛けたりしていたことが原因ということになるだろうか。体力が落ちていることや、外気温が高いこともあり、長い距離を走ることは躊躇われるので、平日の早朝か夜に短時間でも走るようにしないと。