2025年5月は22.7キロ+Walk

2025年5月の月間走行距離は22.7キロだった。ゆっくり走っていたのに、アップダウンが多い道を走ったせいか右足にジャンパー膝の症状が出て、月の後半はお休みになってしまった。そろそろ治ってきたようなので、ゆっくり走り始めたい。

2025年5月はこのブログを始めてから初めて走行距離以外のブログの投稿がない月となり、振り返ってみても(GWがあったのに)活動が低調だった。コンサートや美術館に足を運んでおらず、東京芸術劇場がリニューアル中ということもあって芝居からも遠ざかっており、映画や読書もあまり進んでいない。唯一活動的だったのは、23年近く乗り続けている我が家の車の買い替えに向けて動いたことくらいだろうか。車も、日本の基幹産業であり、日本を代表する文化のひとつだと思うので、おそらくこれから長く乗ることになる車選びは楽しみつつも慎重に進めたいと思って、いろいろと情報収集や検討に時間を使ってしまった。とはいえ、数車種を試乗をしてみたところ、細い路地に面した我が家の車庫にストレスなく入れられる車のサイズは限られてしまうことが判明し、結局あまり選択肢はなかったのだけれど。おそらく秋頃には、今まで乗ってきた車を(両親が免許を返上して車を売却した)実家で使うことにして、新しい車が我が家にやって来ることになりそうで、楽しみにしている。

ハノイ・ハロン湾

3泊4日の旅程でハノイ・ハロン湾に出掛けてきた。ハノイには、1997年におそらく一週間ほど滞在したことがあり、当時の記憶は薄れていたのだけれど、旧市街を歩き回り、ホアンキエム湖畔でぼーっとしていると、不思議なことにだんだんと昔の記憶が蘇ってきた。20代後半のあの頃は大して意識もしていなかった人生の持ち時間の価値や、それを擦り減らしながら得てきたものや失ったものを振り返ってみたりして、改めてこれからの人生の持ち時間の使い方を考えさせられたりもした。

ルドフル・ブッフビンダー シューベルトの世界Ⅲ

東京文化会館小ホールで東京・春・音楽祭の「ルドフル・ブッフビンダー シューベルトの世界Ⅲ」を聴いた。前半の2つのピアノ三重奏曲(D28とD897 )は、作曲された時期や曲想の異なる2つの作品の対照が面白かったのだが、やはり後半のピアノ五重奏曲「ます」が印象深かった。ルドルフ・ブッフビンダーのピアノは、78歳とは思えない若々しくチャーミングな響きで、活き活きと音楽を楽しむ歓びに溢れているように感じられ、ともすると名のある作品として襟を正して眉聴いてしまいがちなこの曲を、仲間とのアンサンブル、合奏の楽しさに満ちた「カジュアル」な作品として味わうことができたような気がする。ルドルフ・ブッフビンダーのピアノの魅力に初めて触れられて、郷古簾と辻本玲との演奏やソロの演奏も聴いてみたかったなぁ、と思っても後の祭り、機会を見付けて是非また聴いてみたいと思っている。これで今年の東京・春・音楽祭も聞き納め。ムーティ/春祭オケの演奏を聴きに行けなくなってしまったのは残念だったけれど、素敵な演奏を楽しませて頂いたことに感謝している。

東京シティフィル第378回定期演奏会

東京オペラシティで高関健が指揮するTCPOの第378回定期演奏会を聴いた。TCPO50周年記念イヤー最初の定期演奏会を、引き続き定期会員として聴くことができて、嬉しく思っている。1曲目はショスタコーヴィチのバレエ組曲「ボルト」から5曲、「ショスタコーヴィチが屈託なく作曲できていた黄金時代の終わり頃に書かれた、とてもふざけている音楽」とプレトークで高関健が評していたように、軽妙で生き生きとしたショスタコーヴィチが、春祭と同じ規模の大編成で演奏され、まずは肩慣らしといったところだろうか。2曲目と3曲は同じくデビュー50周年を迎えた大谷康子をソリストに迎えたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とサラサーテのツィゴイネルワイゼンで、TCOPのコンマスを13年間務めデビュー50周年を迎えた大谷康子と、大谷康子と同学年の高関健、そしていつもの規模の編成のTCPOが一緒になって50周年を祝う幸せな音楽の時間を味わうことができた。休憩を挟んで4曲目はストラヴィンスキーの「春の祭典」で、約100名の大編成のオーケストラが奏でる春祭は圧巻だった。何と言うか、個々の演奏者が発する磨かれた音が、それ自体で独立して存在しつつ、他の演奏者が耳を澄ませてその音を聴きながら、自らも独立して磨かれた音を発する、それぞれの音が互いに独立して発せられているようでありながら、稠密な「聴く・感じる」行為の網目で結びつけられていて、全体がひとつの音楽として形作られていくような、100人のオーケストラがそうした集中力と一体感をもって鳴り響く迫力のある演奏だった。今シーズンのTCPOをますます楽しみにしている。