世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(演劇)

東京芸術劇場プレイハウスで「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(フィリップ・ドゥクフレ演出)を観た。原作は、高校生の頃に初めて自分で新刊本を買って読んだ作品で、今の時代の扉を開いてくれたような高揚感を感じたことを憶えている。その後も折に触れて読み返し、40歳を過ぎた頃からはKafka on the Shoreや1Q84などと共に英訳のAudio Bookを繰り返し聴いた作品でもあり、自分と同じようにこの作品を大切にしている人も多いことと思う。そうした作品を演劇に仕立て直し、かつ日本だけでなくグローバル・ツアーを行うというのは相当なプレッシャーを感じる仕事だろうと思うのだけれど、幅広い観客の期待に十二分に応える素敵な舞台になっていたと思う。どことなくオペラ仕立てで、軽さと笑いを交えた台詞の言葉だけでなく、役者やダンサーの身体表現に非言語的イメージを語らせ、音楽や美術・照明が舞台に鮮やかなリズムや香り、豊かな色彩や陰影を創り出す総合芸術としての完成度の高さを感じる演劇で、自分と同じように、原作とはまた違った魅力を持つ演劇が生まれたことを喜ばれた方も多かったのではないだろうか。そんな演劇に刺激を受けて、久しぶりに日本語で原作を読み返してみようかなぁ、などと思ったりもしている。

2026年1月は20.5キロ+Walk

2026年1月の月間走行距離は20.5キロだった。年初に筑波山に登った数日後で風邪をひいてしまい、両親と広島へ旅行に行くまでに治そうとしてランニングを中断したこともあったりで、再び距離が短くなってしまった。2月は一応ハーフにエントリーしていて、相当ゆっくりペースにならざるを得ないのだけれど、DNSにはせずに走ってみようかと思っている。

チリの闘い

昨年12月に開業した神保町のミニシアター「シネマリス」でパトリシオ・グスマン監督の「チリの闘い」(第1部ブルジョワジーの叛乱、第2部クーデター)を観た。ストレートな情熱を感じる見応えのある作品だった。最近、松村圭一郎の「海をこえて」(講談社)を読んで人間の社会を対象として記述する人類学の方法論への反省を踏まえたアプローチの文章に考えさせられたり、あるいは毎年年末に観ているNHKのベストテレビで森達也がドキュメンタリーの方法論について話す言葉を聞いて頷いてきた目線からは、この作品のドキュメンタリーの力や正当性に対する信頼がナイーブに感じられたりもするのだけれど、そういった点も含めて、歴史的な名作という評価が相応しいように思えた。1973年9月のクーデターに至る経緯はそれだけでも痛ましい事件なのだけれど、その後のピノチェト政権下でさらに痛ましい経験が繰り返されることになる。クーデター後のチリを振り返る同監督の「夢のアンデス」を4年ぶりに観てみて、「チリの闘い」を観たことによって、これとは異なるアプローチでチリへの想いを語る「夢のアンデス」への理解が深まったように思えた。「夢のアンデス」は閉館した岩波ホールで最後に観た映画だった。その映画と、新しく神保町に誕生した「シネマリス」で最初に観た映画が繋がったことを、ちょっと嬉しく思っている。

つぐ minä perhonen

世田谷美術館で「つぐ minä perhonen」を観た。神保町で映画を観てから用賀に向かい、ちょうどお昼時だったので、食べログでランチを食べられる場所を探したところ、土曜日だけ営業しているラーメン屋さん「再来軒」が目にとまって行ってみた。多少並んだけれど、昭和な感じのお店とワンタン塩ラーメンを楽しませてもらった。世田谷美術館は、衣服と人について考える機会をもらえればと思って出掛けたのだけれど、期待とはちょっと異なる展示で、かなり混雑していたこともあって足早に通り抜けてしまい、砧公園を散歩してから帰宅した。

鞆の浦・府中

アラウンド米寿の両親と一緒に、鞆の浦と父の郷里である府中を訪ねてきた。運転免許を返上した両親の運転手というお役目はあったものの、往路の新幹線では福山出身の井伏鱒二の「厄除け詩集」を久しぶりに読んでその魅力についていろいろと思いを巡らせ、鞆の浦ではこれも久しぶりに海を見て「君たちの記念品碑はどこにある」という書名の意味するところについて思いを巡らせ、温泉旅館のお部屋食で給仕をしてくれたミャンマー人のウーさんと談笑し、加藤登紀子を聴きながら芦田川沿いを府中までドライブし、府中のSpingle Moveで両親のためにお手洗いを拝借しつつ記念にレザースニーカーを購入し、府中高校や府中の街を車で回りつつ両親の昔話を聞いて過ぎ去った年月と変化に思いを馳せ、90歳を超えた父と父の姉を囲むかつての料亭旅館「恋しき」での会食では歳を「拾う」ことや家族について思いを巡らせ、帰路の新幹線では今回の旅行を振り返りつつパーシヴァル・エヴェレットの「ジェイムズ」の翻訳を楽しむといった、誠に盛りだくさんな一泊二日の旅行だった。両親も、ちょと疲れたかもしれないけれど、旅行を楽しんでくれたようで良い週末だった。