東京都写真美術館で「巨匠が撮った高峰秀子」、「アレックス・ソス 部屋についての部屋」、「日本の新進作家 vol.21 現在地のまなざし」を観た。「巨匠が撮った高峰秀子」は、写真作品を観るというよりも高峰秀子の仕事を振り返る機会になり、何本かの映画は観てみたいと思っている。「アレックス・ソス 部屋についての部屋」からは、人を撮ることとその人の身の回りの物を撮ることの関係について考える機会をもらった。「日本の新進作家 vol.21 現在地のまなざし」は、5人の作家のいずれの展示も面白かったのだけれど、出口を出たところに展示されていた原田裕規の「写真の山」が心に残った。一般家庭からゴミとして集められた大量の「行き場のない写真」の中から数百枚程度をテーブルの上に無造作に置いて「展示」した「写真の山」は、一枚一枚手に取って眺めてみると、その大半は数十年前の見知らぬ日本人の結婚式だったり、家族旅行だったり、同窓会だったり、日常生活だったり、9割以上は人を写した写真だった。フィルムを現像してプリントしていた時代の写真の在り方や、そうした写真が「行き場をなくす」までの役割や時間の長さ、そしてデジタル化がもたらした変化の大きさについても改めて考える機会をもらった。