本阿弥光悦の大宇宙

東京国立博物館で「本阿弥光悦の大宇宙」を観た。本阿弥光悦に初めて接したのは、「小説を読む暇があるなら参考書を読め」とよく言っていた父親が唯一評価していた吉川英治の「宮本武蔵」を読んだ時で、小学校5年生だったと思う。そんな子供にとっても本阿弥光悦の印象は強烈で、卓越した知性と人間力を備えた超越的なスーパーマンだった。今回も「大宇宙」や「天才観測」といったキャッチコピーを眺めながら会場に向かったのだが、展示を観た印象は、スーパーマンというよりは、その時代に暮らして、その時代の才人達と交わりながら生きた(そして長生きした)ひとりの人間としての本阿弥光悦だった。確かに何気ない書簡の筆遣いや、「時雨」や「加賀」といった茶碗にも心を惹かれたのだが、スーパーマンかというとそうではない。スーパーマンはやはり俵屋宗達、あるいはあの時代の京都の空気で、本阿弥光悦はその中で自分の(あるいは自分と仲間たちの)作品と人生を切り拓いていった人、そんな印象を受けた。