2021年10月の月間走行距離は40キロ。10年前は週に正味7-8時間のトレーニングで宮古島や佐渡のロングディスタンスのトライアスロンを完走するくらいの運動をしていたのが、ここ4-5年は運動に振り向ける時間が少なくなってしまっている。SwimやBikeからはさらに遠ざかっているので、毎月の月間走行距離を徐々に増やしていこうと思う。
乱
「乱」(黒澤明監督)を観た。改めて映像も、美術も、衣装も、役者も贅沢な映画だと思ったが、今回は特に音楽の魅力を強く感じた。武満徹の玄妙な音楽も、札幌交響楽団の精緻な演奏も素晴らしいと思った。これだけの作品を創り上げる力量には敬服するしかない。この夏、「リア王」の現代英語訳を横目に日本語訳を何冊か読み比べた際に、久しぶりに「乱」を観てみようと思ってDVDを購入したのだが、「リア王」と「乱」の、演劇と映画の、言葉との距離感の違い、映像の時代に言葉がどう位置づけられるのかについても考えさせられた。機会があったら、「リア王」の舞台も観てみたい。
無縁・公界・楽
網野善彦著「無縁・公界・楽」(平凡社)を読んだ。高校3年生の時に予備校の日本史の講義で「大学に入ったら読んでみてください」と勧められ、大学1年生の時に購入して読んだ本で、その後も網野善彦の本は何冊か読んだが、この本が一番思い出深い。勧めてくれた新谷尚紀先生が、昨夏、朝日新聞の「語る 人生の贈りもの」を書かれていたのを読み、この本を再読してみようと思ってから1年以上経ってしまった。歴史資料を読む力がないので、理解の及ばないところも多いのだが、「無縁」の逞しさと研究者の情熱に心を打たれた10代の頃の気持ちを少し思い出すことができた。高校の世界史の先生に紹介されて読んだアイリーン・パウア著、三好洋子訳「中世に生きる人々」(東京大学出版会)も再読してみたが、こちらは半分ほど読んだところで図書館の返却期限が来てしまった。あの頃の自分の年齢になった子供たちを見て、自分を培ってくれた本と再会してみたい気持ちになっているのかもしれない。
2つの写真展(東京都写真美術館)
東京都写真美術館で「リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真」と「写真新世紀2021」を観てきた。在るものを撮った写真で成り立っている作品は少数派で、撮る対象を創作した作品や、写真を素材として創作した作品が多数派だった。これだけ世界中の視覚情報が溢れている状況で、写真を作品として他人に提供する営みと、写真を作品として観る営みが、どういう条件で成立するのか、考えさせられた。