高関健 サントリー音楽賞受賞記念コンサート

サントリーホールで「第50回サントリー音楽賞受賞記念コンサート 高関健」(指揮:高関健、演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団)を聴いた。10年程前に高関健と群馬交響楽団のマーラー交響曲第9番のCDを聴いてライナーノーツを読んでから、高関健の仕事に関心と敬意を持ってきたので、お祝いのコンサートに出かけたいと思った。
1曲目に演奏されたノーノの「進むべき道はない、だが進まねばならない…アンドレイ・タルコフスキー」は、もしかすると1987年11月の初演を聴いたかもしれない。当時は、タルコフスキーの「ノスタルジア」を名画座で何度も繰り返し見ていた頃で、三百人劇場の全作品回顧上映に通ったり、この年に公開された「サクリファイス」も何度か封切館に観に行ったりと、タルコフスキーに傾倒していた時期で、この作品のことも耳にしていただろうと思う。もっとも、録音も含めてこの曲を聴いた記憶はなく、やはり今回のコンサートで初めて体験した作品と言った方が良いだろう。おそらく多くの聴衆や楽員の方々にとってもほぼ初めて接する作品だったのではなかろうか。ステージ上のオーケストラと、2階の中央あたりの高さでステージを囲むように配置された6つの管弦打楽器の小ユニットが、空間的に隔たった状態で緻密なアンサンブルを組むことを求められる演奏は、指揮者や演奏者だけでなく聴衆にも遠く離れた場所で無音の沈黙から生まれる音に耳を欹てる緊張を求めるもので、先の見えない不安定な状況の中に無防備な体で投げ出された大昔からの人間の在り方を感じさせられるような気がして、そんな人間の在り方が今の世の中でも本質的には変わっていないこと、特に今日も戦火に晒されている遠く離れた場所のまわりで耳を欹てながら生きる人たちの緊張感が、この世界のアンサンブルを何とか保っているのかもしれないこと、ソ連から亡命した異国の地で故郷を想いながら客死した芸術家に捧げられたこの作品を聴きながら、そんなことを考えさせられた。
2曲目に演奏されたマーラーの交響曲第7番は、1曲目とは打って変わって奇怪さを備えた祝祭的・カーニバル的な趣もある作品で、楽曲への深い理解とオーケストラとの強い信頼関係に裏付けられた高関健の揺るぎのない自信のようなものが感じられる素晴らしい熱演だったと思う。昨年末の第九、今年3月のマーラー交響曲第9番に続いて高関健と東京シティ・フィルの充実した演奏に心から励まされた。