記憶をひらく 記憶をつむぐ

東京国立近代美術館で企画展「記憶をひらく 記憶をつむぐ」を観た。1937年の盧溝橋事件により日中戦争が始まってから1945年8月の敗戦までの期間に制作された作品や作品を掲載したメディア等を中心とした展示で、当時の画家やメディアが戦争とどう向き合ったかを学び考える良い機会となったし、戦争に限らず時代の流れや権力の意志とアートやメディアの関係について考えさせられることになった。その中で、特に気になった作品のひとつは猪熊弦一郎の「長江埠の子供達」で、戦後に制作された上野駅の壁画に繋がる趣の作品なのだけれど、作家の個性が強く感じられる作品で、当時の中国に文化視察として派遣されて創作した作品とは思えないその雰囲気と存在感にはっとさせられた。もうひとつは、やはり藤田嗣治の作品で、今回の展覧会には大作が5点展示されていた。20代後半から40代前半をパリで過ごし、エコール・ド・パリの画家として大きな成功を収め、3人のフランス人と結婚を重ねた藤田と、森鴎外の後を継いで陸軍軍医のトップを務めた父や陸軍大学校の教授を務めた実兄を持つ藤田の間に葛藤がなかったはずはなく、今回の展示にもあった藤田が陸軍美術協会理事長として書いた文章からは、確かに日本の国策を支援した藤田の姿勢が明らかに読み取れるのだけれど、その作品からは、単純に国策を支援したという文脈に回収することができないものが感じられるのである。例えば、ノモンハンで戦死した戦友を弔いたいという依頼を受けて制作された「哈爾哈河畔之戦闘」の永遠に続くかと思える青空、白い雲、そして緩やかな弧を描く広大な地平線と、戦車に向かう日本兵の小さな姿を眺めるとき、あるいは「アッツ島玉砕」や「サイパン島同胞臣節を全うす」の濃厚な人間の死の表現に触れるとき、そこにある藤田の無言の声に耳を傾けたくなる。猪熊弦一郎も藤田嗣治も、戦後は日本を離れて国外で暮らした画家であり、そんなことからも、日本の戦後というものについて考えてみたくなる。