3か月ほど前になるけれど、我が家のテレビで偶々流れていたNHKの新日本風土記「函館の光」の再放送で佐藤泰志について話している人達の映像を見ていたら、奥さんが興味を持ったようで、メルカリで何冊か佐藤泰志の本を購入し、その本を自分が読み進めることになった。読んだ作品を年代順にあげると「市街戦のジャズメン」、「もうひとつの朝」、「草の響き」、「きみの鳥は歌える」、「撃つ夏」、「黄金の服」、「オーバーフェンス」、「そこのみにて光輝く」、「海炭市叙景」となる。「きみの鳥は歌える」、「オーバーフェンス」、「そこのみにて光輝く」、「海炭市叙景」の4作は映画も観た。生前に3冊の単行本を世に出して(亡くなった翌年にさらに3冊が出版された)1990年に41歳で亡くなった作家の作品が、2010年から2022年にかけて6作品も映画化されているのは、函館の街が佐藤泰志を大切に思っていることに加えて、時代の空気が佐藤泰志の作品を求めているところも大きいような気がする。主な作品は、1960年代と1970年代が終わり、1980年代の日本のバブル経済がピークを迎えていく頃に書かれたものだが、その視線は精神的にも経済的にも厳しい状況にある人たちに注がれている。ただ、そこにあるのは社会への怒りや人々への同情ではなく、何というか傍らにいる人の息づかい、手触りといったもの。温度があり、匂いがあり、湿度がある。1980年代の日本でこういう作品が書かれ、また読まれていたと知ることができて良かったと思うし、自分が生きて来た僅か数十年の時間軸の中でも、時が経つにつれて読み手や作品を取り巻く環境は変化するし、それによって作品も変わっていくんだよなぁ、などと考えさせられた。できれば近いうちに八戸から函館へ抜けるルートを旅行してみたいと思っていて、その時には「海炭市叙景」を再読することになりそうな気がする。映画は、それぞれの距離感で原作からある程度離れていて、いずれも魅力的だけれど、もう一度観るとしたら、自分が感じた佐藤泰志作品の魅力を一番掬い取ってくれていたように思える「きみの鳥は歌える」かなぁ。