啓蒙の海賊たち

デヴィド・グレーバー著、酒井隆史訳「啓蒙の海賊たち」(岩波書店)を読んだ。積読になっているグレーバーの「負債論」を読むつもりでいるのだけれど、出張先の街の書店を何か購入しようと歩き回って、結局、この本と隣に積まれていた中村達の「君たちの記念碑はどこにある?-カリブ海の〈記憶の詩学〉」を購入してしまい、この本から読むことになった。(ちなみに、「君たちの記念碑はどこにある?」は次女が先に読み始めたようだ。)おおまかな要約が訳者によるあとがき(168₋170頁)に書かれているのだけれど、その直後に翻訳者が書いているように「と、このように圧縮してはみたものの、本書をお読みになればわかるように、筋書きはけっして一筆書きですむようなものではない。まるでこの『大きな島』の歴史そのもののように、多種多様なエスニシティと信仰、コスモロジー、慣習が入り乱れ合い、いたるところで『分裂生成』を惹き起こしている」といった具合である。翻訳者のあとがきには「執筆しながらも、そこから生まれたあたらしいアイデアを展開したくて、目の焦点ははやくも前方にむいたままあわただしく世にだしたという印象が、独特の混沌に彩られた本書にもった印象である」とも書かれている。何層にも積み重なる多様な移民の歴史、そこに現れた海賊バッカニアと欧米・奴隷貿易の複雑な激流が入り混じる17世紀末から18世紀初頭のマダカスカル北東部をラフティングするように勢いにまかせて読んでしまい、どこまで頭にはいったか心許ないのだけれど、この本の前に読んだ熊野純彦の「差異と隔たり」とはまったく異なる読書になって、それもまた面白かった。この本のあとは、地域や時代は異なれどこの本と同様に海賊の子供を描いた飯嶋和一の「南海王国記」が来週発売されることを心待ちにしている。