札幌交響楽団 東京公演2025

サントリーホールで広上淳一が指揮する札幌交響楽団の東京公演を聴いた。ブログを書くことを失念していて、当日から2週間近く経ってしまったが、印象深いコンサートだった。冒頭、コンサートのプログラムに先立って、モーツアルトのディベルティメントK136第2楽章が、先月逝去された秋山和慶に捧げられた。引退報道の数日後に亡くなられ、このコンサートでこの曲を捧げられる指揮者の仕事と人柄に思いを馳せることになった。プログラム一曲目の武満徹の「乱」組曲も、映画音楽を札響が演奏した経緯に映画評論等で何度か触れてきたこともあって、札響の歴史に思いを巡らせながら聴くこととなった。三曲目のシベリウスの交響曲第2番からアンコールの「悲しきワルツ」に至る演奏も、初めて聴く札響の透明感と温もりをあわせ持った音色と、広上淳一のエネルギッシュな指揮を存分に愉しむことができたのだが、自分にとってのコンサートのクライマックスは、二曲目に外山啓介をソリストに迎えて演奏された伊福部昭のリトミカ・オスティナータだった。手元にこの曲のCDもあり、録音は何度か聴いたことがあるのだけれど、会場で聴いたこの曲からは、オーケストラと渡り合うピアニストの個性に焦点が当たりがちな多くのピアノ協奏曲とは異なり、ピアノが特権的な地位にはなく、オーケストラと混然一体となって鳴り響いて、伊福部昭の独特の旋律やリズム感と相俟って、西洋音楽とは異なる文脈の音楽が西洋楽器の極みであるピアノとオーケストラによって目の前で創り上げられていくような、そんな時間に立ち会える鮮烈な驚きと感動をもらった。ピアニストにとっても難しい曲に思えるのだけれど、外山啓介のピアノは、アンコールに演奏されたチェレプニンの「10のバガデル」第4曲も含めて、確かな技量と誠実な人柄を感じさせる素敵な演奏だった。