Perfect Days

遅ればせながらヴィム・ヴェンダース監督の「Perfect Days」を観た。初めて観たヴィム・ヴェンダースの映画が何だったのかもう思い出せないけれど、初めて封切で観た映画は「ベルリン・天使の詩」で、その前に「パリ、テキサス」、「ことの次第」、「ハメット」、「アメリカの友人」、「さすらい」、「まわり道」、「都会のアリス」といった作品は名画座に通って観ていたと思う。自分にとってのヴィム・ヴェンダースの映画はこの頃に観た映画たちで、中でも何故か「さすらい」が好きだった。今回、配信サービスで「Perfect Days」を観た後で、自宅のDVDの棚を眺めながら何を観ようかと少し考えて、久しぶりに「さすらい」を観て、それから「アメリカの友人」を観た。50年前に撮られた映画を観ると、やはり若さの魅力を感じるのだけれど、もう若いとは言えない「Perfect Days」にも共通する匂いのようなものを感じる。白黒フィルム、カラーフィルム、そしてデジタル画像と画の質感は全く異なるのに、何処となく成熟を拒むようなナイーブさとでも言おうか、そういう匂いを感じるのである。ヴェンダースの旧作を観ただけでなく、映画の中で平山が読んでいたフォークナーの「野生の椰子」、幸田文の「木」、パトリシア・ハイスミスの「11の物語」といった本も読んでみた。幸田文の文章も良かったけれど、「野生の棕櫚」の「Old Man」の章は、The old man and the seaに続くような自然と人間の関わりをダイナミックに描き込んだ文章で、「良く分からないけれど凄いことは分かる」といった強烈な存在感があった。「Perfect Days」については、インテリによる単純労働の美化だといった批判もあるそうで、それはそれで分かる面もあるのだけれど、自分にとってはいろいろなことを思い起こさせてくれて、またいろいろなことを新たに教えてくれた素敵な映画である。