飯嶋和一の「神なき月十番目の夜」の舞台となった小生瀬周辺を訪れてみた。17世紀初頭に徳川幕藩体制に組み敷かれることとなった奥久慈保内の中世的な共同体が、様々な要因が絡まり合って武力抵抗に至り、一村なで斬りの悲劇が生じていく様を描いた小説は、封建的な搾取が厳しい蔵入れ地での非人間的な暮らしと、独立したコミューンである保内の豊かな暮らしの対比や、地獄の黙示録をちょっと思わせる川を遡行する探索と殺人、無縁・アジールの場である「火の畑」(地獄沢)に逃げ込む村人と、その意味を解さない水戸の穴山衆による無差別殺戮など、飯嶋和一の小説の中ではやや思想的な記号や構造が強めな印象を受けていたのだけれど、袋田駅から月居山の峠道を越え、犬塚のあった水根、入り組んだ沢が走る山林、小生瀬の集落、直次郎の子が暮らした柿平、そして地獄沢へと足を進めてみると、飯嶋和一も実際にこの場所に来て想像を逞しくしたんだろうなぁと感じられて、ファンとしては頭だけでなく足で考える姿が垣間見えたようにも思えてちょっと嬉しかった。現在の小生瀬は極々普通の田舎の風景で、一揆を窺わせるものは何も見当たらない。生瀬一揆については、江戸時代後期の時点でも僅かな言い伝えが残っていただけのようで、水戸藩の正史には何も記録がない。実際に一村なで斬りの惨劇があったとしても、いつしか忘れられ、あるいは忘れさせられた出来事である。出来事を忘れずにいることは難しい。そもそも人の記憶は出来事の僅かな一面しか捉えられないし、それすらも時と共に変化し欠け落ちていく。その意味では、ある出来事に対する誠実な向き合い方は、忘れずにいることよりも、そのいくつもの変奏を他者や自分自身に対して語り継ぎ、問い続ける姿勢にあるような気もする。飯嶋和一の変奏には、飯嶋和一の分厚い技倆と誠実さが感じられるのである。
