たわごと

東京芸術劇場シアターイーストで「たわごと」(作・演出:桑原裕子)を観た。芝居が観たいなぁと思って数日前に東京芸術劇場のサイトから選んでチケットを購入し、WEBのインタビュー記事や「荒れ野」の戯曲も読んで、どんな芝居だろうと楽しみにして出かけたのだが、期待に違わない練られた脚本・演出と味わい深い役者さんたち、心地よい美術や音楽といった芝居ならではの魅力を味わえて満ち足りた心持ちである。頼りにならないけれど頼らざるを得ない言葉の「たわごとさ」を巡る芝居は、姿を見せず言葉を話さず鈴を鳴らすだけの老作家の長大な遺言を動力として展開し、老作家が遺灰となり海に散骨される日に終わるのだが、その身体を見せない老作家が書いた遺言の言葉(と鈴の音)の質量や速度と、生身の役者が発する言葉の質量や速度の違いが、言葉だけのテクストとは異なる芝居の魅力を映し出しているようにも思えた。台詞と動きに満ちた役者たちの芝居の密度と老作家の存在感の余白の広さが対照的で、「荒れ野」の戯曲から受けたある種の緩いオフビートな空気感の面白さとはやや異なる、アンバランスな緊張感がもたらす動きや流れの魅力があるようにも感じた。老作家のテクストを愛したと言いつつその身体の死を痛切に悼む解子役の松金よね子が、老作家に久世光彦をイメージしていたとアフタートークで話していたが、自分にはまだ老作家の具体的なイメージが湧いていない。今日の観客は良い雰囲気だったと思うけれど(思ったよりも年齢層がやや高めだったかも)、皆さんどんなイメージを持たれたのだろうか。